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世界のベストセラーを読む(139回目)

2016-09-19 11:29:27 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイ伝第27章46節)。マルコ伝にもあります(15:34)。十字架上で語るイエスの言葉です。これは読んできたヨハネ伝にはないですね。ルカ伝にも。何故でしょうね。イエスが栄光を受けられるとの120回目あたりから書いたヨハネさんをいろいろ書いていきなぜかそのとどめのイエスのpassionがぼやけているようで、また記者ヨハネさんの謎や彼の第一の手紙などの話に行ってうろうろしてしまいました。
◆うろついているのはおそらく僕にとってはイエスが今も十字架にかかりつつあると思えるからなのだな。それが時折、見えてくるのだ。だから、救われてHappyなどとはとても感情意識に上ってこない。(人それぞれに語るのですから僕はそうだということで・・・)。僕は若いその道の方に「あなたは心に闇がありますね」と言われたことがある。返答、「そうかもしれません。トルストイよりドストエフスキーが好きですから」と言おうとしたが、その方は全く読まれてもいないようなので言うのをやめた強い記憶がある。もとい、イエスのその言葉・・・
◆聖書を読まれた方は心に引っかかる言葉です。初めて読む人はなぜ、神の子が絶望的な言葉を吐くのかと不思議に思うところだろうと。どうぞ、不思議に思われたら、近くの教会に行ってその道の方に訊かれるとよろしいと思います。おそらくこう答えると思います「教会にいらっしゃい・・・」。このブログにはその道の方もおられるようですし、聖書をよく読まれておられる方もおられますから、しかし今の思いに波風を立てたくなければこれ以上読むことをお勧めしません。
◆M.Lさんが読むのであれば何を差し置いてもヨハネ伝と言われた理由は134回目の終わりに短く”本命”に書きましたが、ここにもその理由が現れているようで共観福音書を提示しました。マタイ、マルコはそのように書き、ルカにはこの言葉、詩編第22編の冒頭の言葉がない。こういう不思議なところを読むとやはりいろいろ調べて見たくなりますね。
◆使徒ヨハネについて書いてきて、兎に角、彼は長生きし、イエスの神の”わざ”を目で見て、手で触れてその”わざ”を起こされた人が現に存在するという群れを過ごした(統率、引率した)人であったわけだ。その中で当時の聖書も調べたろうし教えられることが山ほどあったことだろうと思う。(21:25) 
◆で、ヨハネはどう書いたか「すべてが終わった(完了した)」(19:30)・・・。
この以降の沈黙(といっても文字空間を作っただけだけど)。いままで、ヨハネ伝を読まれてきて分かるでしょう。イエスの地上でのミッション、天の父なる神が地上に送られたひとり子イエスの使命が完了したのです。ヨハネにとっては、その究極の使命が完了した結論を書くことでもう十分であると教えられたのだ。
◇「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子(みこ)を信ずる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。(ヨハネ伝3:16)・・・次回、その言葉の謎について 
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