気ままに

大船での気ままな生活日誌

そこに自分の考えはあるか 吉田秀和

2012-07-25 10:16:21 | Weblog
先日、NHKのクローズアップ現代で、”そこに自分の考えはあるか、音楽評論家・吉田秀和の遺言”が放映された。

吉田秀和の、”そこに自分の考えはあるか”が遺憾なく発揮されたのは、誰もが熱狂して迎えた大ピアニスト、ホロヴィッツの来日公演のときだった。すでに全盛期を過ぎた神様の演奏に対して、“ひびの入った骨董”と一蹴した。一方、誰もが認めなかった、風変わりなバッハを弾くピアニスト、奇才、グレン・グールドを高く評価した。

今日の日本人は”流行”に恐ろしく敏感になっている。何かがはやると誰も彼も同じことをしたがる。こんな具合に流行を前にした無条件降伏主義、大勢順応主義と過敏症を、これほど正直にさらけ出している国民は珍しいのではないかと、私は思う、と吉田秀和。

日本人に、自立した精神を訴えつづけた、人生の最晩年に最悪の絶望的出来事が起こる。想定外ということばを連発する人々の姿。まだ日本人にはみずから考える力が備わっていなかったのではないか。この国は病んでいる、とかってない言葉が原稿につづられた。と、ナレーション。

慶応の片山杜秀さんが補足する。やっぱり音楽、クラシック音楽、ほかの文化芸術でも、それを味わうということは、批評家が説明してくれたってやっぱり分からないわけで、自分で一生懸命想像して、あと論理の力を発揮させて、一生懸命鑑賞しないと分からない。そういうものにたくさん触れていれば、もっとイマジネーションが豊かになって、世の中の非常事態みたいなものに対しても、対応できるというか、何が起きても、こういうこともあるだろうっていう想像力が培われているはずだ、ところがそうなっていなかった。ご自分がやってきたことも含めて、とっても最後に衝撃を受けられていたと思います。

ぼくは原発事故が起きてから、現代日本の最高の知性のひとり、吉田秀和さんがどういう考えをもっているのか、知りたかった。しかし、主要なマスコミでのコメントはなかったように思う。先日、ブリヂストン美術館での”ドビュッシー展”のギフトショップで、”レコード芸術/7月号”を買った。ドビュッシー特集号で、かつ追悼特集、吉田秀和の記事があったからだ。吉田秀和の遺稿となった、死の前日、受けとったという、直筆原稿も掲載されている。

その雑誌で、吉田秀和への追悼文がつづき、ある文章の前で立ち尽くしてしまった。それは、吉田が館長をしている水戸芸術館に大震災20日後に訪れたときの全職員への挨拶文である。録音されておいたのだろう、それを文章化したものだった。その中に原発事故についての考えが述べられていた。もちろん、クローズアップ現代の前だったから、ぼくは、はじめて、彼の考えを知ることができたのだ。要約して以下に掲載する。

巨大な地震や津波が来て、想定外だったと言っているが、でも日本にも、何人かは学者もいるでしょうし、あれだけの危険なエネルギーの源泉を日本のあちこちに建てるについては、当然、国民の生命と財産の安全に責任を持った上での仕事だろうに、想定外ということで間に合わせるような気風を見ていると、その人たちを責めるというより、やっぱり僕たち、日本人全体としてイマジネーションが貧弱だったのかな

それから、みなさん、身体を大事にしてね。大津さん(事務局長)に叱られようと、絶対守るべきは、自分のための時間をつくること。自分を豊かにすることが大事です。もう二度とないんだよ、一生は。じゃあ元気でね。

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