気ままに

大船での気ままな生活日誌

円歌師匠の中沢家の人々

2017-05-14 09:36:00 | Weblog

ぼくの入院中に円歌師匠がお亡くなりになった。88歳だった。その一週間後、病室のテレビで師匠の歌奴時代の名作、中沢家の人々を聞いた。さすがに一時代を築いた名人だけあって、うまい、面白い。ぼくは落語好きで、浅草の演芸ホールにもたびたび行っていて、そこで、円歌師匠の噺を何度か聞いている。でも、この中沢家の人々は今回、久し振りに聞いたような気がする。

これは、円歌師匠(中澤信夫/中澤圓法(日蓮宗のお坊さんでもある))の家族の実話に基づいているもので、おもしろ、おかしく、脚色してはあるが、改めて、師匠の人間としての大きさを感じさせる噺だ。
 
自宅は千代田区六番町の作家有島武朗の旧居であり、隣りが旧里見とん邸、その向こうが旧泉鏡花邸という文士村にある。その大邸宅に、円歌の両親、亡妻の両親、後妻の両親と6人もいて、”年寄りが佃煮にするほどいた(笑)”という。トイレもが6つもあったとのこと。その年寄り家族のおもしろ話が満載なのだ。
 
実母は親孝行してもらったから、子孝行して死んでいくよ、と常々、言っていたが、本当に、ある朝、布団の中で静かに息を引き取っていた。そのあと、残された二人の老母も、家族に、何の手間もかけずに次々と他界したという。それに引き換え、三人の老父はと、師匠にだいぶ茶化されるのだが、彼らも、随分と幸せな晩年をおくったことだろう。
 
師匠が僧侶になるため、身延山に修行に入ったとき、心筋梗塞で倒れ、救急車で東京の病院に送られた。通常、病院から寺へ行くものだが、寺から病院に行ったのは自分くらいだろうと、笑わせる。意識が戻ると、前述の母親が涙を流して、”代われるものなら代わってやりたい”、と言っていた。あとでそのことを尋ねると、そんなこと言った覚えはないとしらをきったそうだ。
 
今年のお正月に、東博のホールで初落語を聞いた。円歌師匠のお弟子さんで、三遊亭歌奴。歌奴というので、みなさん、あの”山のアナアナ”の師匠が来られるものと思っていた方も多いでしょう、とまず笑わせた。演目は、お相撲さんの噺で、”佐野山”、別名、”横綱谷風の人情相撲”ともいう。とても上手で、きっと円歌師匠のあとを継いでゆくことだろう。
 
そういえば、今日から夏場所がはじまる。楽しみだ。
 

(昨年の浅草演芸ホール、お正月公演。円歌師匠も出演していた)
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