気ままに

大船での気ままな生活日誌

子規のみた酒井抱一

2017-06-09 15:05:09 | Weblog

酒井抱一といえば、現在では江戸琳派の雄としてゆるぎない地位を築いているが、さて、正岡子規は抱一をどうみてたでしょうか。

子規は34歳で亡くなる二日前まで、病気と闘いながら、”病牀六尺”を書き続けていた。その随筆の中に、日本美術の記述が結構あり、今日、紹介するのも、その一つである。

その27(号)で、こんな記述がある。枕元に光琳の”光琳画式”と抱一の”鶯邨(おうそん)画譜”を拡げて、毎朝、毎晩拡げて見るのを無上の喜びにしている。ただ、それが美しいばかりでなく、二人の画風が比較できるので、とても面白い。ことに、梅、桜、百合、椿、萩、鶴など同じ画題が多く、比較するには便利である。

そして、それから、辛辣な抱一批評がはじまる(笑)。光琳は、光琳派という一種無類の画を描き始めたほどの人であるから、一々新機軸を出していて、殆ど比肩すべき人を見出せない。とても抱一などと比すべきものではない

抱一の画の趣向なき反して、光琳の画には一々意匠に苦心惨憺した跡がみえる。また、光琳は筆が強く、抱一は筆が弱いし、色彩でも、光琳が強い色、殊に黒色を余計に用いているようだ。従つて草木などの描写も、光琳はやはり強い処があり、抱一はただ、なよなよとしている

しかし、一転、抱一の良さにも言及している。草花画では、抱一の方が精密に描写されているし、輪郭も光琳よりは柔かく描いているし、彩色もまた柔かい。”或人はまるで魂のない画だといふて抱一の悪口をいふかも知れぬが、草花の如きは元来なよなよと優しく美しいのがその本体であつて魂のないところがかへつて真を写して居るところではあるまいか”と援護射撃までしている。

要するに、全体の画家としての値打は、抱一は光琳に及ばないが、草花画描きとしては抱一の方が光琳に勝つて居る点が多いであろう、と結んでいる。

さて、病牀六尺6(号)にも、抱一の記述がある。これは画家としてより、俳人、抱一の批判というべきか(笑)。抱一の画、濃艶愛すべしといへども、俳句に至つては拙劣見るに堪へず。その濃艶なる画にその拙劣なる句の賛あるに至つては金殿に反古張りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚だし(原文のまま)。上げたり、下げたり。

一方、子規が俳人として高く評価していた蕪村は画家でもあるが、”病牀六尺”中には彼の絵画についての論評はない。きっと蕪村の絵は好みでなかったのではないかと推察している。

これからも、ときどき、病牀六尺を紹介しようかと思っている。

。。。。。。

子規が好んだ抱一の草花の絵。四季花鳥図巻(下巻)より。

子規も草花の絵をよく描いた。草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生していると、造花の秘密が段々分かってくるような気がする(病牀六尺87)

菜の花図 
1902年、碧梧桐が摘んできた菜の花を鉢植えにしたものを描く。

神さまが草花を染める時もやっぱりこんなに工夫して楽しんでいるのであろうか。(病牀六尺89)

草花帖 中村不折からもらった画帖に全17図が描かれている。その一部。

 

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