気ままに

大船での気ままな生活日誌

外尾悦郎とサグラダ・ファミリア

2017-06-20 10:50:25 | Weblog

2014年秋にスペイン旅行をした。そのとき、一番、印象に残った建造物がバルセロナの、アントニ・ガウディ設計の大聖堂、サグラダ・ファミリアだった。何とも言えない、威厳に満ちたものだった。その後、サグラダ・ファミリアのドキュメント映画が近くのホールで上映された。この聖堂は1882年に着工されたのだが、ガウディが生きている内には完成せず、あとの人に託された。いまだに未完成なのだが、この間の建築に携わった人々のインタビューを交えながら、その歴史を振り返ってみようというものだった。

そして、先日、前述の映画でも紹介されていたサグラダ・ファミリアの専任彫刻家、外尾悦郎が出演した、Eテレの”こころの時代/宗教・人生/永遠に、彫り続けること”を視聴した。単身、バルセロナに渡り、39年もの間、教会の石を彫り続けた男の人生を辿り、行きついた彼の人生観と哲学を聞くというもの。印象に残った番組だったので、記録に残しておこうと思う。

1953年生まれの外尾悦郎は、大学の彫刻科を卒業後、教師をしていたが飽きたらず、1978年に渡欧する。どこかで石を彫りたいと願っていた。パリは出来上った街で自分の居場所はないとすぐに離れ、バルセロナにやってきた。そして、サグラダ・ファミリアに出会う。教会は未完成で、山のように彫刻されたがっている石が転がっていた。一も二もなく、ここだと、決めた。厳しい審査をパスし、ここでの石彫りがはじまった。はじめ、三カ月のつもりが、1年、2年となり、そして39年が経過した。

若き日の外尾悦郎

次第に彼の実力が認められ、重要な仕事を任されるようになる。そして、サグラダファミリアの中でも最も初期に建設され、ガウディの精魂がこもったファサードである”生誕のファサード”の未完成部分の彫刻を依頼された。そして、16年かけ、15体の楽器を演奏する天使たちを彫った。天使たちの仲間に入り、話しかけながら彫ったという。



これが完成し、生誕のファサード2005年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。

そのあと、生誕のファサードの門扉の制作を依頼される。ガウディは、門扉の名前だけを決めていた。慈悲の門、希望の門、信仰の門。果たして、ガウディならばどんな彫刻模様にするだろうか。それには、ガウディは何を視ていたか、彼の視線を知らねばならない。ガウディになりきって、心眼でそれを追う。そして、神に捧げるもの、”生命の賛歌”のテーマに行きつく。

門扉の名前だけが決まっていた

慈悲の門 ここには、愛、慈悲の象徴として蔦が描かれる。緑と紅葉の葉が生い茂る。蔦は花を咲かせないが、虫たちの命を支える。葉の陰に昆虫たちが仲良く暮らしている。


希望の門 アイリスと葦が描かれる。かたつむりも。



信仰の門 やすらかなひとときを与えてくれる信仰。野バラがふさわしいと。

希望の門扉が2015年クリスマスの頃に完成し、生誕のファサードの三つの門扉が勢揃いした。ぼくらが訪ねたときは(2014年)、制作途中であった。

現在の外尾悦郎。63歳。

ぼくは彫刻家ではなく、石工だ、石を彫っているときが一番幸せだという。自分が彫っているのではなく、ぼくは、石に彫らされている、石に使われている道具に過ぎないという。彫っているうちに、自分の身体が石の中に、石の宇宙に入り込んでしまったような気持ちになり、こんな幸福な時間はないという。

現在は、イエスの塔を造っているそうだ。どんな塔になるのか、また機会があれば、見上げてみたいものだ

アントニ・ガウディ

私がこの聖堂を完成できないことは悲しむことではない。必ず後を引き継ぐ者たちが現れ、より壮麗に命を吹き込んでくれる。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 赤ちゃんパンダ順調 生後一週間 | トップ | スペイン・バスク地方 素敵... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL