気ままに

大船での気ままな生活日誌

安岡章太郎展

2016-10-14 08:30:00 | Weblog

おはようございます。

横浜山手の神奈川近代文学館で安岡章太郎展がはじまったようなので、早速、覗いてきた。ぼくは、彼の小説はほとんど読んでいないけれど、”軽薄のすすめ”などの随筆集が結構、好き。

入館すると、大画面のビデオスクリーンに映る、安岡章太郎さんの、いかにも人柄のよさそうな顔が迎えてくれた。詩人の谷川俊太郎氏との対談の番組。先だって、三島に行ったときに谷川俊太郎展をみてきたばかりなので(本ブログでは未発表)驚いた。自分の作品の朗読というのは、なんだか恥ずかしい、谷川さんが言っていたように、昔の作品は、排泄物、うんちみたいなもんだからね、なんて言っていた(笑)。

サブテーマが”私から歴史へ”ということで、はじめは安岡の私生活の紹介がある。1920年、高知市帯屋町で生まれ、父が陸軍獣医だったこともあり、転勤が多く、千葉、東京、そして5歳のときには現ソウルへ。戦後は弘前に移り、小学5年生から都内の青山などに住んだ。学校がきらいで、登校途中、青山墓地に行ってしまい、そこで過ごしたことも多かったという。ずっと劣等生で、旧制高校の入試も落第ばかりで数年浪人、ようやく慶応の予科に入ったものの、1944年、学徒動員で満州へ。途中、病気して帰国、と、ぱっとしない青春時代をおくってきた。

戦後、三田文学などで小説をぼちぼち書き始めていたが、1953年、33歳でようやく芽が出た。”悪い仲間/陰気な愉しみ”により芥川賞を受賞。そして、彼の仲間、吉行淳之介、遠藤周作らも次々、芥川賞をとり、”第三の新人”と注目された。吉行とは生涯の友で書簡なども展示されている。

ロックフェラー財団のファンドでテネシー州のナッシュビルに留学した。そのとき、黒人が映画館にも入れないような人種差別を目撃し、関心をもつ。”ルーツ”(アレックス・ヘイリー著)の翻訳もする。その後、小林秀雄とロシア見聞をしたり、世界各地を廻っている。カメラも趣味のようで、そのときの写真も展示されている。

永井荷風の濹東綺譚を病床中に読み、とくに結びの文章が心に沁みたという、荷風フアン。また心筋梗塞で死にそうになった入院中には、中里介山の大菩薩峠を読破したそうだ。そして、退院後、”果てもない道中記”を著わし、大菩薩峠を論じた。転んでもただでは起きない(笑)。

歴史物も書いた。自分の先祖が土佐藩の郷士であることを知り、詳しく調査し、”流離譚”を著わす。NHKでやってるファミリー・ヒストリーですね(笑)。そして、膨大な数のエッセーも書きつづる。軽妙ながら、深いところ突く文章にフアンも多い。

安岡が晩年、キリスト教の洗礼を受けたとは知らなかった。そのときの写真があって親代わりの遠藤周作が横に立っていた。大病したりして、大いなるもの庇護を受けたかったようだ。

今年も、惜しくもノーベル賞を逃した、村上春樹さんの寄稿文が最後を飾る。デビューした年齢がお互いに30歳ぐらいと近いが、初期の安岡作品はほんとに上手だなあ、と舌を巻く。文章にキレがあり、実に生き生きしていると。それに較べると、自分のはサクブンみたいなものだと安岡さんに言うと、サクブンを書くのだってむづかしいよ、と応えたという。

エッセイだけではなく、こんどは小説も読んでみたくなった展覧会であった。


それでは、みなさん、今日も一日、”風に吹かれて”、お元気で!ぼくは都内へ!

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