気ままに

大船での気ままな生活日誌

花森安治の仕事/デザインする手、編集長の眼

2017-03-24 09:43:39 | Weblog

こんにちは。

家内が暮らしの手帖をながくとっていたこともあって、花森安治ファンで、この展覧会には是非にと言っていた。婦唱夫随(笑)で、先日、世田谷美術館に行ってきた。

森安治の仕事/デザインする手、編集長の眼展ということで、彼の一生の仕事がほぼ時系列で紹介される。何と約750点もの展示品が並ぶ。NHK連続テレビ小説”とと姉ちゃん”をみていたから、唐沢寿明が演じた彼の生涯は、だいたい頭に入っているつもりだったが、本展をみて、その多彩な仕事にびっくり。

花森安治(1911-1978)は、神戸の生まれで、旧制松江高校を経て、東大の美学美術史学科を卒業。伊東胡蝶園に入社し広告、デザインを担当する。戦中は、大政翼賛会に入り、国策広告の仕事をする。当時の作品がずらりと展示されている。欲しがりません勝つまでは、とか、進め一億火の玉だ、など良く知られた標語のポスターなど。下のポスターもその一つ。


終戦後、大橋鎭子(しずこ)と出会い、1946年に衣裳研究所を設立し、服飾評論家として活躍。雑誌”スタイル・ブック”を出版し、好評だったが、さらに、生活家庭雑誌として、”美しい暮しの手帖”(のちの”暮しの手帖”)を1948年9月に創刊した。社名も暮しの手帖社に変更し、花森は、1978年までの30年にわたり編集長を務めた。

暮らしの手帖創刊号(花森安治原画)

この創刊号からはじまり、暮らしの手帖の約30年間が、3つの時期に分けて紹介される。100号を一世紀として、101号から二世紀1号としている。その間の表紙絵は花森によるものだが、途中から写真も取り入れるようになった。表紙絵の原画や実物のほか、版下や新聞広告、中吊り広告などもある。みな花森が手掛けたもの。

一世紀74号

読者からの戦争中の暮らしの記録をあつめた特集号


編集内容は、衣・食・住すべてに渡っているが、もののない時代には”工夫とアイデア”による豊かな暮しを提案。電化製品が普及した高度成長期には”日用品の商品テスト”の結果を公表。そして、公害問題が浮上した70年代には、社会の矛盾を鋭く突く批評文を。それらが、所狭しと並べられている。

りんご箱でつくった机といす

商品テストで高得点をとったストーブ

そして、暮らしの手帖の連載随想などを次々と本にして出版した。戸板康二の”歌舞伎への招待”、大橋鎭子の”すてきなあなたに”など。自身でも”一銭五厘の旗”を出版した。我が家にもある。家内が買ったのか、ぼくが買ったのか記憶にありません(笑)。

花森安治 一銭五厘の旗 

読売文学賞を受賞した記念の、大橋鎭子はじめ、関係者のサイン入りの、”一銭五厘の旗”が誇らしげにひらめいていた。

展示室内に花森安治のがみがみ声が始終、鳴り響いていたが、ただ、うるさいだけなので、やめてほしい(笑)。でも、とても面白い展覧会だった。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平塚総合公園のヤマナシとア... | トップ | 稀勢の里、よもやの負傷で休場か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事