気ままに

大船での気ままな生活日誌

稀勢、序盤絶好調 5連勝!

2016-05-12 22:38:52 | Weblog

夏場所5日目。稀勢の里が宝富士を危なげなく破り、5連勝!序盤戦を絶好調で乗り切った。ぼくが予想している”全勝優勝で横綱昇進”の薔薇色の夢が一段と近づいた。”一段と”、というよりか、”一歩近づいた”というべきでは中廊下。

ファンも、The有頂天夏場所で浮かれることなく、地道に、次の目標は中日で勝ち越し程度の目標でいいのでは中廊下。そして、10連勝で終盤戦を迎える。そこまでくれば、一気に怒涛の5連勝で、夢の全勝優勝!その程度の目標でいいのでは中廊下。これでは、全く、変わらんThe有頂天夏場所では中廊下。

。。。。。

今日の二強

稀勢の里の場合

完璧に宝富士を仕留め、5連勝!


白鵬の場合はあまりにおばかさん

こちらも気迫の寄りで魁星を下す。しかし、またダメ押し! もうくせになってる。そろそろ、おすもうのかみさまの鉄槌がくだるのでは中廊下。

そして、今日はもうひとつ、新関脇・勢の場合はあまりにもうれしい♪

全勝、鶴竜を逆転勝訴!

座布団が乱れ飛ぶ、The有頂天国技館!

今夜、気分が高揚しているのは(汗)、稀勢の5連勝ばかりではなく、これが4999本目の記事となるからデンガナ。明朝は5000本目のThe有頂天ブログで騒ぐゾ。

では、みなさん、おやすみなさい

(今日出会った由比ヶ浜のお猫さん)

 

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原田直次郎展 近代洋画/もうひとつの正統

2016-05-12 09:02:19 | Weblog

おはようございます。今朝は神奈川県立近代美術館/葉山で開催されている原田直次郎展 近代洋画/もうひとつの正統についてのレポです。

2013年秋にドイツを旅したときのブログに、ベルリンのコッホ博士のところに留学していた北里柴三郎(1853-1931)と森鴎外(1862-1922)のことについて書いた。鴎外は北里の一年前の1884年(明治17年)に陸軍省派遣留学生として横浜港から出国している。ドイツの最初の1年をライプツィヒで過ごし、次の滞在地ドレスデンに5か月、そして、1886年3月8日から翌年4月15日まで、中沢東一郎(ジョン万次郎の子息)のいるミュンヘン大学のペッテンコーフェルに師事し、そのあと、ベルリンに入るのである。鴎外はミュンヘン時代に当地の美術アカデミーに留学していた原田直次郎(1863-1899)と知り合い、終生の友となる。鴎外のドイツ三部作のひとつ、”うたかたの記”の主人公、画学生、巨勢(こせ)のモデルにもなっている。原田は3年間の留学生活を終え、1887年(明治20年)に帰国する。

その後、原田は、洋画排斥運動のさなかにあった日本で、西洋画のアカデミックな理念と技術を広めるため尽力する。”明治美術会”の創立に参加、また画塾も開いた。この間、美術にも詳しい森鴎外のバックアップもあり、”もうひとつの正統”は大きく育ちつつあった。しかし、夢半ばの36歳の若さで夭折してしまう。鴎外は没後10年に原田直次郎遺作展を開催した。今回の回顧展はそれ以来、約100年振りのことだそうだ。

原田の、重要文化財指定の名作2点をはじめとする油彩画30点、素描画、装幀など30点が展示されている。加えて、ドイツ時代の師匠、友人たちの作品、同時代の高橋由一らの作品なども多数、飾られていて、見応えのある展覧会だった。

なんといっても、重文2点。とくに、大作、騎龍観音は是非、見たかった。竹橋の国立近代美術館のベストコレクションでよく飾られていた。ここでは、一室にこれ一枚という豪華な展示。

騎龍観音

靴屋の親爺。

肖像画が多い。こころの内面まで表現。

ガブリエル・マックス像


老人

森鴎外(右端)との写真。中央が原田。左端は岩佐新。みな、スカしてますね(笑)。

安藤信光像 病床で下から見上げるように描いた。遺作。

風景画にもいいのがある。ちらしを飾る”風景”

同時に”明治の美術/コレクション展”も開催されている。これが、また、なかなか良かった。別に報告したい。

葉山の美術館

海岸沿いにたつ。

では、みなさん、今日も一日、お元気で!


 

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