人生、消去法

世捨て人のつぶやき

競争が必ずしもいい結果をもたらさない実例・・・AKB48

2012年05月27日 20時42分21秒 | つぶやき
経済学とかで競争がイノベーションを生むなんて言うが
そのいい反例がAKB48じゃなかろうか。

そんだけ。
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シゾイドもアスペも、「他人がわからないこと」が痛いほどわかる

2012年05月19日 23時18分37秒 | つぶやき
今日、次のような記事を見つけた。
http://mindgater.hatenablog.com/entry/2012/05/19/022041

で、ふと思ったのが、アスペだけでなく
(ま、自閉症スペクトラムという点でつながりはあるのかもしれないが)
シゾイド型人格障害も、どちらも
「他人がわからないこと」が痛いほどわかる
ところがポイントなのかなということである。

コミュニケーションにおいて、なにかしら決定的に
「自分は失敗した」ということを痛感してしまうところがあるってこと。

おそらく、「わかるタイミング」がタイムリーではなくって
ワンテンポ遅れてしまうことが大きいのではなかろうか。

全く他人の気持ちがわからないとかであれば
そもそも後悔することすらもないわけであるから
周りは迷惑しても本人は苦しまないはず。
しかし、実際には本人が苦しんでいる。

私も子供の頃から、場面場面をパターン化して
それぞれに適切な対応方法を予め準備しておくことで
なんとかうまくコミュニケーションを図ろうとするところがあった。

しかし、当然ながら突発的な、あるいは柔軟な対応というのができない。
そして色々と気まずい場面を経験することとなった。

では、アスペとシゾイドとの違いはなんだろうかと考えると
今一つうまくつかめないところがある。
どちらも過敏である点は共通のような気がするからだ。
普通の人の目からすれば鈍感に写るものだとしても。
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みんなしあわせでありますように

2012年04月25日 00時29分12秒 | つぶやき
Facebookを通して知り合いの近況などがわかるようになった。
女性の多くは結婚して姓が変わっていたりする。
もう三〇半ばをすぎようかという年代なのだから当然といえば当然である。
その中には、私に近づいて来てくれて、そして、失望させてしまったひともいる。

おそらくは幸せなのだろう。穏やかな笑顔を公開しているし。
書かれてはいないが子どももいるだろう。
こちらから気安く友だち申請するのは気が引ける。
こういうのって、未だに恨まれていたりするもんだから(別件の実話あり)。

どうか、みんな幸せでありますように、と祈らずにはいられない。
この気持はいったい何なのか。

Facebookではコネクションのない古い知人女性について
父からひょんな形で情報をもらった。

彼女は結婚はしたが、いまだ子どもが出来ていない、とのことだった。
彼女は私の一つ下、今年で三七才になるはずだ。
昨今高齢出産する人が増えているとはいえ、
産みたいという気持ちがあるなら、当然そこには焦りの気持ちも芽生えているのではなかろうか。

これを聞いて、私は自分でも馬鹿馬鹿しいとは感じながら
私が冷たく接したことがなにか影響しているのではないか?
あるいは・・・「影響していてほしい」という歪んだ欲望を自分の中に見出すことになったのである。
自分の存在が何がしか意味のあるものであるということを手に入れようと
エゴはどういった手段も分け隔てせずに使おうとするようだ。

醜い我執である。
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『論語』の無知の知についての一節

2012年04月08日 21時00分32秒 | つぶやき
たしか中学か高校で習ったはずだが
遠い年月がたつうちに、記憶が曖昧になっていた。

原文はこのようである。

子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也。

碩学、宮崎市定ではこうだ(漢字は適宜変更している)。

「子曰く、由や、なんじにこれを知るを教えんか。
 これを知るをばこれを知るとなし、
 知らざるを知らずとなす。これ知れるなり」

私はこれを次のような書き下し文に記憶(あるいは改変)していた。

「子曰く、由や、なんじにこれを知るを教えんか。
 己の知るところを知るとなし、
 知らざるを知らざるとなせ。
 これ、知るなり」

こうして見ると、原文には忠実ではなかったことになる。
しかし、手前味噌だがリズム的にはいいような気がする。
命令形で記憶していたのがなぜなのかは謎だけれども・・・
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資本主義にハンガーストライキは掛けられるか?

2012年03月25日 19時13分44秒 | つぶやき
主義主張を貫くため、押し通そうとするため、ハンガーストライキなるものが行われることがある。
しかし、これは、あくまでも食べるものがある「にもかかわらず」行われて初めて意味がある。
たとえば、アフリカの難民が飢えている上にさらなるハンガーストライキを行うというのはナンセンスだ。

しかし、と振り返って、現代の先進国の一員である日本に住みながら
そして、これといった主義主張を通すためでもなく、人知れず亡くなっていく人々がいる。
何の反社会的思想や主義を持っていないにもかかわらず
社会から見放され、いないことにされ、最終的にほんとうにこの世から消されてしまう。

最低限食べること、控えめに生きることすら、今この国では(他にもあるのだろうが)難しくなっている。
で、その最低限の控えめな人生さえも危うくするものは何だろうかと考えると
月並みながら資本主義なのだろうということになる。

ということは、資本主義にはハンガーストライキは掛けられないのだ。
資本主義に抗してのハンガーストライキはありえないのだ。
ハンガーストライキが意味を持つのは「人間」に対してであり、
「人間」ではない資本主義というものには、痛くも痒くもないのだ。

いや、今更なのは分かっている。
人間、追い詰められないと、なかなか現実というものが直視できないというだけのことなのかもしれない。
そう考えると、マルクスなんかは自分が置かれている「のではない」立場を、よくぞ真剣に分析しようと思ったなぁと、なんだか情けない感想を漏らす自分がいる・・・。

資本の犬になろうとしたがなれなかった。
もちろんその前には、知的に生き抜けないものかと模索もした。
巡り巡って、にっちもさっちも行かないことになった。

さて、どうしたものか。
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母親というもの

2012年03月20日 15時41分11秒 | つぶやき
母親というものの根本がここに表されていると思った…

http://www.youtube.com/watch?v=Bf9K6SXDkXU
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ニンニクの臭いが持つ快感物質

2012年03月16日 22時28分13秒 | つぶやき
二年と少し前になくなった私の母は臭いのキツイものが嫌いだった。
隣家がゴミを燃やしたりするのはもちろんのこと
食べ物で臭いのキツイ物、そう、ニンニクなんかは
料理で使ったことがなかった。

例外的にニンニクの味を知ることができたのは
既製品の餃子を食べる時くらいだった。

ニンニクのおいしさというものを知ったのは
もう大学を出てからのことだったかもしれない。

育ちというものがあるせいか、一人暮らしをするようになってからも
どうもニンニクには手が出ないまま過ごしていた。

はじめはパスタで使ったのだと思う。
ペペロンチーノをつくろうと思って、うまく行かなかった。

オリーブオイルでニンニクを炒めて
唐辛子を入れればできるはずだった。

しかし、育ちのせいもあるのか
それはなんだかうまく感じられないものだった。
まぁ、端的に、失敗だった可能性が高いのだが。

それでどうもパスタは苦手だと思うようになった。
食い物関連でネットではパスタは定番なのだが
なんだか、茹でて、それと同時にオイルを温めて、などというのが
どうも面倒臭い感じがしていたのである。おいしくないし。

ところが、その母が亡くなってからなのかどうか
父がニンニクを好んで摂るようになった。
まるごと一個、電子レンジでチンして
それを少しずつほぐしては、日々食べるのだった。

老年の体力低下を補う意味もあったのだろうが
それにしても、それまで馴染みのなかったニンニクをどうして?という思いがあった。

ニンニクの香りというものは、食欲を誘うものである。
しかし、馴染みのない者にとっては
それはもうキツイ強烈な匂いを発するものでもある。

正直に言って、私はニンニクの香りがいい匂いだと思うようになったのは
ほんの4,5年前のことではないかと思う。

ラーメン屋で、おろしニンニクを入れて食べるのが気に入ってからではないか。

それまでは刺激が強すぎると感じて遠ざけていたニンニクを
少しずつではあるものの、食事の中に取り入れるようになっていった。

この、ニンニクの香りが持つ力というのは一体なんなのだろうか?
どこか、異質な感じを持ちつつも、ぐっと惹き込むような力を持つ、
怪しくも幻惑的な、いや、馴染んでいる人にとってはそうでもないのか。

臭いそのものを客観的に判断するとすれば
それはどうしたって「化学的な」臭いのような気がする。
日常には似たような臭いがないからだ。

しかし、この臭いは何か人の深いところの快感中枢を刺激するような
得も言われぬものがあるということに気づくことになった。

結果的に、ニンニクを食べることでスタミナ増強になることはあるのだろう。
しかし、そもそも、食べる時に感じるこの臭いこそが
何らかの快感物質なのではないかということだ。

それから何度かニンニクを買っては使い切れないことが続いた。
最初の一欠片はペペロンチーノなどに使うのだが
気がつくと、残ったニンニクからは青い芽が吹き出しており
房の部分はしわがれて、もう食べれそうに無くなっているのであった。

しかし、最近ようやくのことというか
少しはニンニクを活用できるようになりつつある。

母の呪縛が解けつつあるのだろうか…
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ひええぇ、知らんかった

2012年03月05日 21時27分39秒 | つぶやき
だれだこれ?って、衝撃だなこりゃ。人のことは言えんか・・・
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地縁・血縁の代替としてのSNS

2012年02月28日 20時37分03秒 | つぶやき
すごく久しぶりに思想誌「at」を購入して読んでいる。

そのなかで、大塚英志と與那覇潤の対談が面白い。
柳田國男の話の辺から面白くなり
近代より前の地縁・血縁が失われていく過程において
産業組合とかいわゆる秘密結社のようなものの役割がぐっと出てくると。

で、フェイスブックなんかのSNSは、
ようするに非-地縁・血縁のネットワークとして機能しており
世界中で爆発的に広まっているというのも
ひとえに前近代的社会が壊れて、
その次の「つながり」が求められているからなんだろう、という話。

ネットがない時代ならば、それこそ組合活動か秘密結社のようなものに頼るしかなかったのかもしれないが
それが、よくも悪くも近代からいきなりスタートしたアメリカという国の
最先端のシステムがネットを通じて拡散することで
世界的に均衡が破られつつあるということなのかもしれない。

直接面識を持たなくてもつながることのできる「社交クラブ」。
結局はそれだけだとも言えるし、だれにでもその可能性が開かれたということはスゴイことでもある。

ネットはとかく「最先端」で語られがちだが
こうやってみてみると、過去の制度の代替という側面も無視できないのだな。
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円城塔というペンネーム

2012年02月23日 21時41分42秒 | つぶやき
先日の芥川賞を読んでみようかと中央公論に手を伸ばしたのだが
パラパラとめくってみて、下劣な週刊誌的なものを感じて買うのをやめた。

なんだかやりきれない思いがある。

言いたかったのはそれだけなのだが、話題にならなかった方の(と言っては失礼だが)
「円城塔」というペンネームの奇妙さにいまさらながら気づいた。

人を喰ったような感じもあり、見方によってはオヤジギャグ的でもある。

円い城は塔です。

「これはペンです」もその系譜なのだろうか?
読んでないのでなんとも言えないが。
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