記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

吉田初三郎名義最後の作品「札幌冬季オリンピック会場予定図」

2014年01月20日 22時19分16秒 | 吉田初三郎

1913(大正2)年の「京阪電車御案内」に始まる吉田初三郎の2千点におよぶ鳥瞰図作品群、おそらくこれが初三郎名義(二代目・吉田朝太郎作)の最後の作品か。1968(昭和43)年、北海道開道100年記念「北海道(北海道庁発行)」に掲載されている「札幌冬季オリンピック会場予定図」です。

吉田初三郎(初代)は昭和30年に亡くなりましたが、その後も「初三郎」名義の作品が二代目・朝太郎氏の筆によって発行され続け、昭和43年の観光社廃業(初三郎の息子、阿瀬庄太郎氏の死去)まで続きます。

先週1月14日の「開運!なんでも鑑定団」に久しぶりに鳥瞰図絵師・吉田初三郎作品が登場し、鑑定されました。結果はニセモノとの判定、しかしこれは美術品としての判定であり、初三郎作品は博物的価値の方が高いことから単純にニセモノという評価は不当です。今回の初三郎解説の資料(写真や鳥瞰図)画像をご遺族や研究者の了解を得て提供させていただいたので、その事は放送後に意見として伝えさせていただきました。

初三郎の作品の多くは、工房での弟子との共同作業により完成されたもの。構図や下書きまでは初三郎が手がけても、彩色や仕上げは弟子が担当する事も多く、それが初三郎鳥瞰図が日本画壇で評価されない一因です。担当弟子の画風や技量の差が出て当然。彼自身もその事は承知しており、自分の作品は「印刷芸術」であり画壇での評価を欲していなかった(権威ある展覧会などへの出品は皆無)訳です。

「印刷芸術」の追求、イコール大正期から印刷技術の変化に合わせて、印刷で再現できる画風やタッチを確立し、石版印刷からオフセット印刷、写真製版へと変化する中でより繊細な画風へ変化していきました。今回の出品作は画面で拝見する限りは大正期の画風であり、それも大正12年の関東大震災で首都圏の印刷所が壊滅し、印刷機械などが一気に現在へ繋がるオフセット印刷へ進化した時代のため、画風が様々に変化している時期です。それでも戦前の「現代画家細見番付(流通する絵画作品ランク)」で初三郎は「風景部門の別格横綱」とされました。


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