エドルネ日記

まち歩き、神社、坂道、サイクリング、地図、料理、家庭菜園、手芸、子育てネタなど

2012 春の鎌倉散策

2012-03-27 | お出かけ

<河津桜>

先週、夫と出かけた鎌倉の写真をアップします。

長谷寺と大仏をめぐったのち、源氏山ハイキングコースを歩く予定でしたが、

前日の雨で、あまりの足場の悪さにひるんで^^;、バスで大船まで出て、夕食の買いものをして帰りました。

花の写真は、すべて長谷寺のものです。

< 紅梅>紅がきれいですね。=*^-^*=

 <マンサク>早春に咲くことから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。(wiki引用)

まんずさく・・・マンサクとはおもしろいですね。

ミツマタ・・・紙の原料のあのミツマタです。

素心蝋梅

椿・・・花期がながいですよね。

土佐水木

玄界つつじ

・・・様々な花がたのしめました。

長谷寺は、花の好きな人には、オススメのお寺です。

長谷寺経蔵脇の池にぷかぷか何匹も大きなカエルが・・。

観光客(主に若い女子)からが、グロイ・キモイと散々な言われようのカエルくん達なのでした。 (;^_^A

長谷寺をでて大仏までの道すがら、、雑踏のなかうまく人と人の間をすり抜け

何かついばみながらあるいてました。ネット検索でみたら、ハクセキレイに似てるような・・?

鎌倉大仏殿高徳寺にて

相変わらず人が多かったです。

大仏トンネルの上にハイキングコースがあります。

距離は短いが、けっこうきつい。

高いところからの眺めを愛でるくせに、実はわたし、高所恐怖症。後ろを振り向いたとたん冷汗が出てきた。

ここで転んだらヤバイななど、一気に血の気が引いたのでした。

大仏切通

地図は、できたら後でということで、花の写真が旬なうちにアップします。

バスに久々に乗ったので、急に地図にバス停もいれたくなりました。

といって、正確な場所を地図にマッピングするのは、ちょっと注意を要するというか・・。

バス停もふえてたりしましたし・・。

バスに乗り、懐かしい地名が次から次へとアナウンスされるなか、懐かしい景色のその後も見ることが出来ました。

隣に座る夫に、いちいち「ここはこうでああで・・・」みたいなことをしゃべってましたっけ。^^;

今回のったバスにかかわらず、興味深い地名が多いですよね。

住んでいるときは、若すぎて(?)あまり気にもとめなかったですけど。

車窓を流れる景色・・昔と違えど

あぁぁ〜、なつかし・・。

なつかしいかったです。(歳ですかね。)

 

 

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坂・カフェ始動!

2012-03-24 | 坂関連

3月15日第1回 坂・カフェが三井本館で開催されました。

会員の坂の情報交換の場がほしいという声にこたえての開催とのこと

ゆくゆくは、ワークショップやセミナーなども視野にいれつつ・・とのことですが、

第1回は、お菓子、持ち寄りなどをお茶といただきながら

休憩を含め約4時間、発表や坂の情報交換などが行われました。

 

第1回 坂・カフェ

日時:3月15日(木)

時間:15時〜20時(※実際の終了時間は19時過ぎでした。)

場所:三井本館6F会議室

内容:「武蔵野台地東部の鉄道整備による坂道の変化」 坂学会理事長 原 征男さん 

    「日本の坂道 100選」 坂学会副理事長 瀧山 幸伸さん 

   ほか、坂の情報交換など。 

 

先日の坂学会総会同様、三井本館6F会議室・・・なんといっても歴史的建造物!

重厚感ただよう会議室で和やかに坂カフェが進行していきました。

今回の発表者は2名、簡単ですがご紹介!

 

◎「武蔵野台地東部の鉄道整備による坂道の変化」 原 征男さん

日暮里駅は14本(京成を含む)線路が並列する日本でもっとも線路が多い区間。

当初拡張は平地側で進められていたが、市街地の進展で後に台地側を限界いっぱいまで削ることになったということです。

以前、このあたりの地図をみて、台地沿いを走る線路の切迫ぶりにおどろいた覚えがあります。そういう事情だったのですね。

このほか上野駅周辺の地図での検証では、地図上の変化をつぶさにみていき、鉄道の拡充とともに様相をかえていった

各々の坂について、写真とともに検証しており、とてもわかりやすく面白かったです。

以下、発表写真の一部です。(割愛していますが、それぞれに検証した内容が書かれています。)

重ね合わせ 安政3年(1856年)と明治40年(1907年)寛永寺塔頭が上野駅に

明治19年

明治23年

明治42年

昭和5年

昭和31年

平成10年(ほぼ現在の姿)

上野-鶯谷間線路図

鉄道の歴史を、本を手にとり説明をする原会長。

鉄道からトラック輸送へ・・そんな時代の流れを感じるお話も楽しかったです。=*^-^*=

 

◎ 「日本の坂道 100選」  瀧山 幸伸さん 

「日本の坂道 100選」の選定条件とは・・

坂が有する景観のうち、唯一無二性(Uniqueness)と「文化的景観」を重視した。

自然景観に優れている坂。ただし、通常のパノラマ道路や登山道(信仰の対象となっている山への登山道以外)は除外した。

文化的景観に優れている坂(耕作、人工植栽、建築・構築物、坂の借景、文化財、歴史や人物ゆかりなど)

坂学 事始め by 瀧山幸伸 坂学会への寄稿を兼ねて』のページ

日本の坂道100選から引用いたしました。


写真はこのくらいしか撮ってません。

写真と動画の迫力がすごすぎて、シャッター切るのあきらめました。^^;

日本にこんなにもたくさん美しい場所があるとは・・・。

この日の発表は、地図なども用いて地理的条件などの検証、歴史文化的背景などの説明で

その場所の様々なストリーをイメージすることができて楽しかったです。

写真で説明を受けたのちに、そこで撮った動画を見たのですが、音のある世界は、

臨場感がまったく違います。息をのむような感動がありました。

水の音、風にそよぐ木々、鳥の鳴き声、五感をくすぐる世界・・・ため息が出ました。

・・・言葉足らずの私があれこれ言うよりも、以下のサイトで美しい坂道をご覧下さい。

そのほうがわかると思います。(;^_^A

http://japan-geographic.tv/index-saka100.html


・・・お茶をのみながら、楽しいカフェタイム♪

今後は、時間帯など様子をみながら流動的に決めていきたいとのことでした。

また次回も期待!楽しく坂学をまなんでいきたいと思っています。


※おまけの写真〜三井本館

外観

6F廊下

一階ポスト

中も外も重厚で美しいですね。=*^-^*=



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江戸川区郷土資料室文化財講演会「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」&小岩遺跡出土品の特別展示

2012-03-17 | 江戸川区フィールドワーク

先週の土曜日グリーンパレスにて、開催された、江戸川区郷土資料室文化講演会

「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」に出かけました。

主な講演内容と展示は以下・・。

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平成23年度 江戸川区郷土資料室 文化講演会

「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」

講師:熊野正也先生(江戸川区文化財保護審議会会長)

日時:平成24年3月10日(土)午前1時30分〜3時30分

会場:グリーンパレス

主催:江戸川区教育委員会教育推進課文化係

※あわせて、小岩遺跡出土品の特別展示が行われました。

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◎文化講演会「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」

 上小岩遺跡捜査団長とし遺跡捜査にあたった熊野正也氏の講義です。

上小岩遺跡は、倭の女王卑弥呼のころから古墳時代前期にかけての生活跡であることが推測され

現時点で東京低地における最も早い人間活動の痕跡とのことでした。

しかし、、住居跡などの遺構が発見されておらず、定住し集落が営まれたか

短時期ごとに移動して生活をしていったのかなど、解明が待たれる問題があります。

 

※江戸川区文化講演会「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」資料より引用

東京低地形成の歴史、および低地遺跡としての上小岩遺跡について、わかりやすい

講義がありました。

東京低地の歴史の話では、ナウマン象の化石が出土し、ナウマン象が住める環境であったことや

その後温暖化で海水面が上昇する「縄文海進」が進み、関東の奥まで海が入り込むのですが、

およそ6千年もの時間をかけ、じっくり進んだとことなど、あらためて頭に描こうとすると

時間軸がすごすぎて驚いてしまいます。

縄文中期以降、海退が進み、沖積化による陸域が形成され、縄文時代が過ぎると

人々は砂州、微高地を選び住み始めます。江戸川右岸、国府台に面した

上小岩遺跡は、上の図の黒丸のあたりで、微高地となっています。

 

常設展示のS字状口縁台付甕

※江戸川区文化講演会「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」資料より引用

上小岩遺跡の出土品にS字状口縁というものがあるのですが、その分布が興味深かったです。

S字状口縁は愛知県尾張地方で制作された独自の土器で、その土器がまとまって

出土したことは、当時たいへん注目されたそうです。

専門家のなかに「S字状口縁はパイオニアの土器」と評する人もいて、弥生以降、東京低地が

沖積化して陸域ができたからといって、下総台地や武蔵台地の人々が低地に降りてきたという

単純な状況をしめすものではなく、東海地方の開拓者によって開拓されていったという考え方もあり、

S字甕出土は、東海地方と深い関わりがうかがえるというお話でした。

 

ピンぼけしてますが、有名な金印「漢委奴國王印」を忠実に模したレプリカで

授業中まわってきたものです。ずっしり重かったです。^^

邪馬台国がどの地にあったのか・・・これが定まらない限り正倉院に残る下総葛飾郡大嶋郷の

戸籍にみられる「甲和里」について、場所の特定などはっきりしたことがいえないとのことでした。

「甲和里」が現在の小岩と推測されていますが、今までのところ、上小岩遺跡からこの時期に

相当する遺物はほとんど出土されていません。 


 
小岩遺跡出土品の特別展示 

熊野正也先生から、土器の説明をうける。 

破片など直接手にとれる土器の展示もあり、これらを使っていた人々を

想像してみました。なんかとても不思議な感じがしました。

 

以上、講演と主に講演会資料をもとに、書きました。

ここに書いた以外に、日本の考古学史といったお話も聞けたのですが、

考古学は実証科学であるという言葉が印象に残りました。

昭和27年の発見から、少しずつ解明がすすんだ卑弥呼の頃のわが町の歴史・・・

今後さらに解明が進むことが望まれます。私達も興味深く見守っていかねばとおもいました。

 

引用:江戸川区郷土資料室文化講演会「上小岩遺跡が語る 卑弥呼の頃の江戸川区」配付資料

    江戸川区郷土資料室展示資料

    遺跡が語る東京の歴史 (株)東京堂出版

 

さわらびYさんのルポ→http://sawarabi.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=670

 

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3/14 亀戸天神梅見&旧中川サイクリング

2012-03-16 | お出かけ

 昨日、亀戸天神に梅を見に息ました。

江東新橋まで旧中川沿いに自転車を走らせ、それから左に折れ、一本中の道を走り亀戸水神宮でお参りを

した後、蔵前通りに出て、亀戸天神まで行きました。

旧中川では、ビッグサイズのボラやアオサギ(たぶん)などの川辺の生き物を愛でつつ、

のんびりサイクリングです。

 

逆井橋

昔、わたし場があった場所です。→参照:ウィキペディア画像、名所江戸百景 「逆井のわたし」

 

 

川を指さして話し込んでいる人達がいたのでみると大きな魚が!

70センチはあると思う。おじさんがボラじゃないのか?といってましたが、ボラで大丈夫でしょうか?

 

東京スカイツリーと橋と水辺の動植物たち

舟が行き交っていたころとは、随分な様変わりですが、東京の新しいランドマークに橋、そして

水辺の植物、鳥や魚・・・なかなかいい感じです。

 

14日時点では、満開の木もありましたが、7,8分咲きの多く3分咲きといったものも。

 

 

 

 

メジロが2羽で、枝から枝へと・・・。

 

春ですね。やっと・・・。

 

メジロも撮れたし、梅も堪能した!これで思い残すことはないな・・・と帰りかけて、右目になんか飛び込んできた。

結構大きな鳥で、ビックリして立ち止まって、カメラを向けても、ちょこんと枝にのっかっている。

家に帰って調べてみると、「ゴイサギ」の幼鳥っぽい。

・・・とまぁ、なんだかんだ、いろいろ出会えたサイクリングだったなぁ。

今年もまたここで梅の花を見ることができました。

春のよい日でした。=*^-^*=

 

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第15回地図を広げて歩く会〜世田谷ぐるっとひとめぐり

2012-03-14 | 地図・地形

少し時間がたってしまいましたが、先週7日に歩いた世田谷歩きをアップします。

先月に引き続き、山岡光治先生の「地図を広げて歩く会」への参加です。

 

◎ルート

東急世田谷線三軒茶屋集合→松陰神社前駅→松陰神社→若林公園→烏山川緑道1

→豪徳寺→宮の坂駅(玉電)→世田谷八幡神社→烏山川緑道2→世田谷城址公園

→天祖神社→大場代官屋敷→世田谷郷土資料館

東急世田谷線世田谷駅→三軒茶屋駅→目青不動→三軒茶屋駅解散

※青地は東急世田谷線で移動


◎ルートラボ

ルートラボをみる。

上の赤い部分は私があるいてわくわくしたポイント。

松陰神社から若林公園を通り、崖下の鳥山川緑道へ降りる坂で、

この坂の少し前から、先のみえない坂に、ときめいてた。(ん?大げさ??(;^_^A)

坂の全容がみえてくると、思った以上になだらかな坂で、肩すかしをくったような

気になったりして。まぁでも楽しかった♪

ルートラボは、地図の上でドラッグすると下の標高グラフが連動して、コース内の

ポイント間の高低差がわかるのが便利だよね☆


◎この日のGPSログ

http://g.co/maps/h47jb



◎グーグルアースに今昔マップ2の明治の地図をのせたもの。

 

このあたりの寺社、烏山川跡、城趾、鎌倉道などの古道、そして 

元宿、上宿、下宿・・と宿がつく地名が3つもあり、なんだかおもしろそうよ。 

古地図みながら、また川の跡やら、昔の道やら、また線ひいちゃおうかな。 

ってことで、それらの作業はこれから。



崖の上から下へくだる坂・・・イメージよりなだらか。

下から見た図

鳥山川緑道を歩く。こんな感じの崖です。

招き猫で有名な豪徳寺の三重の塔・・目をこらすと

観音様の下に招き猫が・・。

宮の坂駅玉電・・・昔の写真など展示してあった。

城向橋

世田谷大場代官屋敷

目青不動


※まだ写真などの説明がぬけているけど、もう寝ます。

補足は明日・・・。

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あれから一年

2012-03-11 | つぶやき、etc

あの震災から1年、あの日からのハテナブックマークをながめ、

ひとつのコラムを探してる。

 

原発事故後、そんなに時間のおかない時期にかかれたコラムだったと思う。

記事はみあたらないが、原発処理に対して、ことは急を要しているが、情報を隠さず開示して

民主的な行程を経て、粛々と処理をすすめていくべきといった内容であった。

ひとつひとつをしっかり行うことが、この国の民主主義の未来を決めるというのである。

(確かこんな記事で、もう少ししっかり書かれてた。)

 

しかし、この1年をふり返ってみると、真逆のような展開だった。

世の中、そう簡単に理想的には動かないのは、わかってるけど。

 

だけれどね、

ちょっとくさい台詞みたいですが、

・・・わたしは、ネットでつながる未来を信じてる。

個々が情報発信できる今、言葉は悪いけど、偏った情報を流すマスメディアに

流されず、情報の取捨選択ができる時代。

いろいろな問題を孫子の代に残してしまったけれど、インターネットという

ツールで、みんなで議論し知恵を出していけば、きっとよい方向へいくはず。

そう信じて、いまわたしに何が出来るかを考え、行動していこう。

 

・・・そんなことを思いつつ、14時46分黙祷。

 

関連ブログ:雑感2〜食の安全 2011/06/02

       雑感1〜いま変わるとき 2011/06/02

 

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あの感動を忘れずに・・・

2012-03-11 | つぶやき、etc

なぜだか今朝、15年前初めてHPをWebにアップした時のことを思い出した。

97年秋だった。

インターネットをはじめて半年、HPを持ちたくなって、

ホームページビルダーというソフトで、四苦八苦して作った。

ftp送信がうまくいかず、もうHPを自分で持つのはムリと思って挫折しかけたが

それでも、なんとかwww上にのった瞬間の感動は忘れない。

「この瞬間世界とつながった!」と震えるような感動。

おもわず夜中大声でヤッターと叫んでしまった。

 

以前、「ネットとわたし」という記事を書きましたが、

私がネットに向かう理由は、そんなことではなかった・・・と気付いた。

わたしは、自ら発信したかったのだ・・。

(当時のサイトは、子育てメインだったので、子どもの成長とともに閉鎖しましたが)

 

あれから15年、今のブログ&ホームページ開設からは5年をむかえる今年は、節目の年。

ブログもいいけど、ホームページにも情報を更新していこう。

初心にもどって、そう固く誓うのだった。(毎年言ってる気もするけど(;^_^A、今年はやります!)

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ツインヴィレッジにあるふたつの富士見橋

2012-03-08 | 地図・地形

先日買い物帰りに、花の写真でもと立ち寄ったなぎさ公園と富士公園をむすぶ富士見橋・・・下は道路で陸橋です。

ふと富士見橋の「富士見」に反応してしまい、いろいろな年代の空中写真がみれる電子国土で、このあたりをみる。

 http://portal2.cyberjapan.jp/site/mapuse/index.html?longitude=139.87980597691&latitude=35.648061983495

※中心点が上の写真の富士見橋です。

 

旧江戸川をへだてて、浦安をみると、そこにたくさん「富士見」の町名が見られる。

この界隈は富士山がきれいにみえたのか・・・?

ウィキによると、浦安市の「富士見」の地名の由来は

「当地にある境川に「富士見橋」があり、橋の上から遠く富士山を望むことができたことから。」

ということで今昔マップ2を利用して、昭和51年の地図をグーグルアースに重ねてみた。 

あいかわらず、地図に線をひくのが好きなので、橋のポイントから富士山まで引いてみた・・・。(;^_^A

(ウィキやその他サイトなどで、おおよそかつての橋の場所の推測はできたが、確証がないので

バス停「富士見橋」をポイントアップした。


 これは昭和51年の地図を今昔マップ2を利用してグーグルアースでみたものなのだが、

昭和51年といえば、ついこの間のようなもの!・・なのに、かつての堀江、現在の富士見のあたりは

なにもない。視界がひらけて、海からの風が気持ちよさそうな場所よね♪(*'ー'*)

(※ウィキによると「昭和57年10月1日に浦安市大字堀江字富士見・字旭・字吹上・字河口の区域を以って、

浦安市富士見一丁目〜五丁目を新設。住居表示施行。」・・・とのこと。)

 

きょうのブログのタイトルだけど、旧江戸川をへだてたこのあたりを「ツインシティ」「ツインヴィレッジ」と

表した、「昭和30年・40年代の江戸川区―なつかしい青春の記憶」(三冬社)

のp49の山田安雄氏の言葉をかりたもの。

昭和初期から30年代半ばまで旧江戸川をへだてたふたつの町は相似していたという。

川をへだてたふたつの富士見橋は、いずれもかつて「堀江」とよばれた地にある。(橋自体は古くない。詳細は他日)

今までのこの地の歴史も少ししらべてみたい。

そして、これからふたつのまちは、どのような歴史を刻んでいくのだろう。

http://g.co/maps/tgj9c

作りかけの地図だけど、ぼつぼつ図書館や実際あるいてわかったことなど書き込んでいこうかな。

 

※江戸川区の富士見橋ですが、図書館で名前の由来を探し切れていません。

そんなこんなで、まだ調べが足りてませんので、わかったことを都度ブログでアップしたいと思います。

 

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ひなまつりに道明寺をつくりました。

2012-03-04 | 料理

ひなまつりの昨日、道明寺粉が手に入ったので、つくってみることにしました。

 ※材料・作り方→http://www.flickr.com/photos/edorune/6948079559/in/photostream

北海道十勝産小豆200gであんこを作りました。

 

道明寺粉をさっと水洗いした後、袋にかかれてあったレシピを参照して

電子レンジにかけること10分、その間数回かき混ぜる作業はありましたが、あっという間に

出来上がりです。

 

熱いうちに、つぶします。

 

ラップをひろげ、砂糖水の手でラップをのばし、お餅と餡をのせ、まるめます。

春らしいきれいな桜色の道明寺ができあがりました。

餡もあらかじめ丸めておく方が、偏りなく均一にできるとおもいましたが

あっという間に食べてなくなることを思うと、端折ってしまいました。

もちもちした食感とほんのりした甘さが美味しかったです。

 

ブログアップに際し、道明寺の定義がわからなかったので、wikiをひいてみました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E9%A4%85

「各地で違って表れる菓子

桜餅は各地ごとに違う菓子であって、異なった菓風が現れたものである。

主に長命寺と道明寺があり、関東、東北、山陰では長命寺が伝わり、

近畿、西日本、北陸、北海道では道明寺が伝わった。

そのうち一つを桜餅と呼ぶところと、どちらも桜餅と呼ぶところがある。略」


今回私がつくったものは、桜の葉が手に入らず、定義とずれる部分はありますが、

材料、形状から、概ね上方風道明寺ということになりそうです。

今回はじめて「長命寺」のことを知りました。

(関東で)桜餅として売られている餡を皮でつつんだものは、

向島の長命寺が由来のものだったのですね。

「関東では長命寺を桜餅と呼び、道明寺は道明寺と呼ぶ。京都では道明寺を桜餅と呼び、長命寺は長命寺餅と呼ぶ。道明寺餅、長命寺餅ということもある。山陰には道明寺餅、長命寺餅を桜餅として、いずれでも呼ぶようになった。長命寺、道明寺の何れも桜餅と呼ばない場合がある。」引用:ウィキペディア

なんか分かる気がするな。向島の桜堤をイメージすると「長命寺」が消え、「桜餅」が呼び名として

関東で浸透したことが・・・。

分布や境界の話も興味深いよね。

身近な食の歴史もなかなか面白いですね。(*'ー'*)

 

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この冬の編んだもの

2012-03-02 | 地図・地形

きょうは、あたたかかったですね。昨日降った雪もあっというまに溶け、

ぬるんだ風に曇った空・・・まるで花曇りようでした。

毛糸のシーズンは終わりということで、この冬、編んだものをアップします。

 

◎スヌード

この冬、よくみかけたスヌード・・・ツイッターで流行を知り、マフラーよりも邪魔にならず機能的!

ということで、作ってみることにしました。

 

一目ゴム編みで、ただまっすぐ編むだけです。毛糸も少なくてすみます。

首の長さより少し長めに編み、寒いときは口元まですっぽりかぶっていました。

うちのゴマちゃんに着せてみました。なんかちょっとネズミ小僧のような・・(^m^)

 

◎ケープ

肩がひえるので、余った毛糸でケープを作ることにしました。

参照サイト:http://www.amuuse.jp/alacarte/files/pdf/dress/snood/amu-33.pdf#search='ケープ アーム ウォーマー'

・・・肩があたたかければよかったので、レシピとかなり違うものを作ってしまいましたが。

 

◎iPhone入れ

昨年末に購入したiPhone入れを作りました。

タンスの肥やしになってたマフラーをリメイクすることにしました。昔子どものために編んだものです。

右の白い毛糸もあまってたので、一緒になにか作ろうと思って撮ったものでしたが、結局使いませんでした。

 

マフラーの幅をそのまま生かしたもの。これはこれでかわいいけど、少し間口が大きいような・・・。

 

いくつかのサイトを参照し、この形におさまりました。

飾りの花を編み、ビーズでつくった花弁どれがいいかな?どのくらいデコラティブにしちゃう?

など、あ〜でもない、こ〜でもないと考えながらの作業は、楽しいものです。=*^-^*=

 

出来上がり☆

さほど時間もかからずに、完全オリジナルの一品ができました。( ´ ▽ ` )ノ

iPhone入れというより、充電器やイヤホンなどの付随品を入れて、持ち歩いています。

肝心のiPhoneは、カバンやポケットに無造作に投げ入れられております。

 

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