発想が鼠

王道回帰

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新リーダー就任祭り!!

2005-09-30 03:01:36 | Weblog
さて、述べ口上から入りたいと思います。もし、この書き出しに以前に見たイラスト(文字だってある種「配置」ですからイラストに見えなくもないから)と違い、「ほら!始まった!!」感が、ゾクゾク感が芽生えているのに気付きましたら、書き手として、待望を仰せつかった身として、これに勝る光栄はありません。さあ、始めます。

私、新リーダーに就任しました。
新リーダーには何が必要なのか?何が求められているのかわかりません。「ハク」が付くのか?交通費は出るのか?おおおおお。というか、たいした「権利」「才能」とかに丸っきり興味ないですし、私自身勉強不足ですから・・・、おお、流行の反省会見になるトコだった!!

勝手に就任しました。自分からやる!!と決めました。
誰の了承も必要としてません。他のメンバーはただ、ノルか?ソルか?を決めるだけです。

大仁田厚を引用します。
「笑うなら笑え!!だがな、俺はお前を否定せん。だから、お前も俺を否定するな!」

で、本日の「新リーダー就任祭り」をぶち上げたわけですが、結果は試合に負けて、勝負に勝つという、片手落ちでした。決まり手は勇み足。映画作品がネームバリューだけで動員出来なくなりそで、コラボやらタッグやらも最早小康状態。コスプレなんて茶飯事。宣伝!を悩んだ末の投げっぱなしの「新リーダ就任祭り」

入ったのは同情票の一票。

とにかく、開催時間を間違えた!!
前日に「15時集合」だなんて、私はどんな神経をしているのでしょうか?(それでも、温かくメール返してくれてありがとう。回答率100%だもん)

金本浩二を引用します。
「桜庭?知らないっすね」

とにかく、私の考えとしましては、観客なんていません。いるのは人間です。映画を供給する側は、観客をつくるために作品は構成され、観客にさせるための場所を用意するのです。では我等宣伝部の使命は?と申しますと、人間にとって観客になるという行為は即ち『「体験」たる「行動」』ですから、あえて宣伝は人間を集めるのであって、観客を集めるのではないということにひとまず賛同することだと思います。

観客動員数という単語のかくもヘンテコなこと。システム、制度を批判するつもりは毛頭ありませんが、劇場公開に関しては「都合つけた人間数」と改めるのも手だと思います。ひとっつもお洒落でありませんが。

私は学生宣伝部という身分ですから、配給会社の腰ぎんちゃくでも、イメージ戦略の客寄せパンダでもありません。配給会社と同等なのだ!と開いてます(開き直ってません)。だから「協力」なのです。
「加勢」でありません。稼いでおりません。有志です。ボランティアです。
こんなこと人間の前ではどうでもいい話でした。
とりあえず先ほど「イメージ戦略」と申しましたが、それがどこまで有効なのか考えます。作品に友好なのかと。

私の立場はイメージ戦略なんざ、うんちだと「思いたい」党、もしくは「思わせたい」党です。つまり、イメージ戦略はうんちです。おおっと、勿論人間にとってうんちは大事なものです。その情報で体調を測ることも出来ます。うんち!と言って、もの凄くマイナスイメージ(!!)に受け取られ、その時点で読むのをやめる人もいます。しかし、こうやって読んでる人に怒るのも気が引けますが、文脈を読んで頂ければわかることなのがほとんどです。大事なのは「使われ方」です。今や、キーワード検索が横行し、タンゴがキーボードで踊ってる始末ですが、やはり必要とされているのは、「使われ方」です。うんち、ウンチ、unti、伝え方もイメージの一つでしょうが、・・・・、なんか嫌になってきました。

スタンハンセンを引用します。
「田上、ゴメンナサイ」

私の立場ではなく、主張が大事でした。
とりあえず、観客は文脈を理解するが、人間はまだ文脈を理解してない、という分別(フンベツなんちゃって)を今は理解頂き、話を始めます。

イメージによって人間は情報を得るのですから、人間を相手にする宣伝はそれに敏感になってしかるべきだと思います。目の前に『カミュなんて知らない』の試写状、これをマジマジと見まして、この一枚が出来上がるのにどれだけの人が心血を注いでいるか思いを馳せます。さらにはこの『カミュなんて知らない』にどれだけの人が関わり、そしてどれだけの人がこれに関わるか?と、イベントとしての映画を標榜する私は、本当にゾクゾクします。

清水幾多郎を引用します。
「書物は道具である。そして、古典も道具である。道具を大切にするのはよいが、道具の前でお辞儀してしまったら万事は終る。」

「新リーダー就任祭り」に同情票という名の同乗をしたkenshiroさんは「作家主義と資本主義へ抵抗する映画作品」だと『カミュなんて知らない』の存在を教えてくれました。私はその映画作品も観てないのに、その映画作品の宣伝部にリハウスしました。勿論、ここから「契り」を語るのも悪くありません。同性故に「どうせいっちゅうねん、アッシェンバッハ」は『カミュなんて知らない』がお勧めです。これから目にし、聞き、情報となる『カミュなんて知らない』の誘いの道具達(イメージ)は、友人のクチコミ、大衆のマスコミ、劇場のヒトゴミ、色トリドリだと思われます。イメージによって観客になることを躊躇するのも、わからなくありません。受信料未払い、政治家、企業、その他諸々、イメージ戦略に躍起です。私のこの書き込みだってそうです。新リーダー然としようと。イメージ戦略、イメージ操作、イメージを売り込むのに必死です。伝え方、伝わり方だってイメージ戦略だと思いますが、何のためのイメージなのかしっかりわきまえないといけません。イメージ戦略のためのイメージ戦略に陥らないように、認知度向上を念頭に考えるべきだと思います。イメージ戦略のために、イメージにお辞儀をしていられないと言えば、興奮は伝わりましょうか?

蝶野正洋を引用します。
「俺はあいつを認めているよ。(自分の胸を両手で指差し)でも、俺の中には入って来れない」

とにかく認知度を上げるのが宣伝の肝だと思います。私には大いなる野望があります。アンケートの項目なのですが、「どうしてこの作品を知りましたか」の欄があるならば、そこに激震を与えることです。映画は映画好きやあるターゲット達への回覧板じゃないと気取ってみます。この気取りを貫徹して、まず『カミュなんて知らない』という言葉を、欲を言えば観客になるための案内をしたいと考えています。

私達が宣伝で活躍するのはまず『カミュなんて知らない』という言葉を伝えるコトです。『カミュなんて知らない』が言い訳とも郷土料理の名前ともわからない人間にはチラシを差し出せば、心血が注がれた情報が載ってます。

長い渾身の文章、かいつまめば、
観客にするのは、作品、上映の問題。
観客になるのは、人間の問題。
人間を起こすのは、宣伝の問題。

あ~、「すなお力学」健在。


橋本真也を引用します。
「時は来た。それだけだ」


認知度のためだったら逮捕も辞さない、新リーダーはそんなワイドな器などではありません。

極端を考える必要はないかもしれません。それは例えば小娘女史が抱いていさめてくれるでしょう。

一人で考える必要はないかもしれません。それは例えばkenshiroさんが崖っぷちでも背中を押してくれるでしょう。

割り勘を考える必要はないかもしれません。それは例えば俺さんが大量の金券を持ってましょう。

明日の食事を考える必要はないかもしれません。それは例えばRina嬢が買出しに走れば余りましょう。

生活を考える必要はないかもしれません。それは例えばレアキャラKの徹夜明けの顔を見れば知るでしょう。

秩序を考える必要はないかもしれません。それは例えばkoyukiさんのブログ、突然のデカ字にオノノキましょう。

若貴を考える必要はないかもしれません。それは例えばサメ猫とイルカ犬のニコイチっぷりは血縁を超えましょう。

政治を考える必要はないかもしれません。それは例えば新リーダーの不躾メールに返事をくれた、O・Sさん、P・Mさん、早くお会いしましょう。

進退を考える必要はないかもしれません。それは例えば積んでるエンジンが違うF・Mさんに「で?」とオンブされましょう。

退屈を考える必要はないかもしれません。これは張り合いのある毎日、まるで撮影のようで、映画に行くときのような、愛しい煩わしさ。


kenshiroさんを引用します。
「ただそんなことを言っても始まらない。」

でも!

小島聡を引用します。
「1+1は2じゃないぞ。俺達は1+1で200だ。10倍だぞ10倍!」(天山広吉とタッグチームを組んで)



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