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【未来につながる大輪の向日葵】津南町立上郷中学校3年 小林 公介

2011年12月05日 | 新潟県津南町

未来につながる大輪の向日葵

津南町立上郷中学校3年 小林 公介 (激励賞)

平成23年8月9日 新潟県少年の主張大会~わたしの主張~ 十日町・中魚沼地区大会 発表者原稿) ※新潟県HPより転載

http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/201/958/notes2,0.pdf

 

 午前四時、暗闇の中、物の倒れる音・ガラスの割れる音、悲鳴、いろいろな音が一斉に響き、私は飛び起きました。何も見えない、真っ暗な世界から聞こえてくるのです。死ぬのかな、家族や友達は大丈夫なのかなと思いながらも、恐怖で動くことができませんでした。揺れがいったん収まったとき、倒れた家具で足場のない中、家の外に避難しました。そう、東北大震災のわずか十ニ時間後に起きた長野県北部地震です。

 震源地の栄村は、津南町上郷と川を挟んですぐ向かいにあります。幸い誰一人ケガをしませんでしたが、家は大規模半壊で、住めなくなりました。

 しかし、地震の恐怖は、建物だけでなく人の心も壊してしまうのです。

 これからどうしようという不安、強い余震の恐怖がいつになっても消えません。どこに住めばいいのか、家を壊したり建て直したりする費用はどうするのか、深刻な表情で話し合う父と母のそばで、私は見ているだけしかできませんでした。いつものにぎやかな家族の姿はありません。人の心というものは、暗くなると、前向きに考えられなくなってしまいます。自分は学校に行けるのか、私たちはは生活していけるのかということばかり考えていました。

 この地震は、学校も壊しました。上郷中学校は、今年で閉校を迎えます。私たちは、最後の卒業生として誇りと責任をもち、新たなスタートを切ろうとした矢先でした。

 学校は、バス通学をしながら津南中学校のオープンスペースを借りて活動することになりました。みんなの笑顔に出会え、とてもうれしかったし、落ち込んでいた気持ちがすっと消えていきました。本当は、二十三人全員がそれぞれ大変な恐怖と被害を受けているのです。同じように自宅に戻れない級友もいました。お互いがお互いの笑顔で元気になれたように思います。

 そんな中、津南中の生徒全員から力強い激励のエールをもらいました。また、吉田中学校の全校生徒から励ましのメッセージをいただきました。津南中での生活が始まった頃は、三年生なのに授業も部活動もどうなるのかと不安でいっぱいでしたが、やるべきことに向かって前に進むしかないと思えるようになりました。 修学旅行は、地震のため準備が遅くなりましたが、予定どおり実行することにしました。三年生十名は、大阪で津南町の名産品を販売することになっていたのです。豪雪や地震のニュース以外に、もっと津南町の良さを少しでもアピールしたかったのです。今回の震災で私たちも被災しましたが、東北地方やすぐとなりの栄村ではもっと大変な思いをしている人がたくさんいます。地震の怖さや大変さを知っている私たちだからこそ「お互いに頑張っていきましょう。」という願いを込めて募金活動をしました。級友の家が栽培・販売しているイチゴジャムやコシヒカリの他津南の名産品を売ったお金と、募金で集まったお金を義援金として津南町に届けました。

 身近な人からの温かい心、そして、遠く離れていてもたくさんの人たちの支えがあるから復興に近づいていけるのだと実感しました。

 五月の下旬、ようやくできた私たちの生徒会スローガンは「上中 BEST SMILE ~未来につながる大輪の向日葵」です。上中に携わった人たちが、大輪の向日葵を咲かせる一年間にしようという願いを込めました。みんなで困難やいくつもの目標を乗り越えたとき、仲間を認め合い信頼しあい、絆が深まります。その時の最高の笑顔を、上中を卒業しても、津南中と統合してからも、続けようという意味もあります。

 東北地方も少しずつ復興に近づいています。誰もが明るい未来を願います。でも、何もしなければ明るい未来を築けません。学校が使えない中で体育祭や小中地域合同文化祭での合同劇、閉校記念式典、統合を迎えますが、自分たちだけでなく、上中に関わってきてくださった人たちとの絆をさらに深め、たくさんの笑顔が咲く活動を企画しています。

 人は人に支えられて生きています。仲間と協力し、人との絆を大切にしながら、自分たちの未来を創っていきたいと思います。津南町の向日葵のように、明るく元気な笑顔あふれる未来を。



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