令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

憶良編(18)士(をのこ)やも

2009年09月11日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月7日】

をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよ
           語りくべき 名は立てずして



いまでも 夢に見る 
あの 御津みつの浜での 盛大な見送り・・・

難波なにわの津を出て の津へ
そこからが 大変であった 
出港した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り  
再度の船出は 翌年よくとし
忘れもせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・  
唐土もろこし 
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂きいろずな 濁り水
大和の 青い山 白い砂 清い流れを  
どんなにか恋しく思ったことか 
いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴おほともの 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早く日本やまとへ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
                         ―山上憶良―〔巻一・六三〕 
あのとき  すでに四十二 若くはなかったが  唐土もろこしへのつかいに列し 青雲の志に 燃えていた 
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りの虚しい日々 
その後 伯耆守ほうきのかみに任じられはしたが 
すでに よわい五十七を数えていた
地方官の任務に耐え  一度は京の職に着いたものの 六十七の歳 筑前守ちくぜんのかみを命じられ 天離あまざかひな

でも 筑紫は 楽しかった 
旅人殿を中心とした 筑紫歌壇が 懐かしい 
旅人殿は 赴任早々 奥様を亡くされたのだった 
鬱々うつうつたる日々 せめてもの慰みにと 催されたうたげの数々
七夕の宴 
梅花の宴 
あのころの友 小野老おののおゆ 沙弥満誓さみまんぜい・・・
みな 遠くなった 

筑前守の解任は昨年 
京に戻れはしたが もう お役目とてない 
世をうとう 歌みの日々が 過ぎて行った
今 病を得 このていたらくだ
藤原八束やつか殿が 川辺東人あずまひとをして 見舞いに寄こして下された
果報者よ 憶良 まだ 友が
「見舞いの礼に 八束やつか殿に この歌を
 憶良めは まだまだ 死なぬと お口添えを」 
をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよに 語りくべき 名は立てずして
丈夫ますらおと 思うわしやぞ のちの世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
                       ―山上憶良―〔巻六・九七八〕 
天平五年〔733〕 
社会派歌人うたびとは 帰らぬ人となった 享年七十四



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