【掲載日:平成22年3月2日】
・・・この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ
ももしきの 大宮所 止む時もあらめ
赤人は 願い出た
是非ともの 寿ぎ歌の朗詠
歌姿の なんたるかを 突き止め得た赤人
いま 一つの 境地にいる
〔心底 歌に沈みきれば
長歌と反歌の繋がりなどは よいのだ
時々の歌ごころに任せ
長歌に付くもよし
長歌を離するもよし
これぞ 我が歌道〕
天平八年〔736〕夏六月
吉野離宮に 赤人の歌声が 流れる
やすみしし わご大君の 見し給ふ 吉野の宮は 山高み 雲そたな引く
川速み 瀬の音そ清き 神さびて 見れば貴く 宜しなへ 見れば清けし
《天皇の お治めなさる 吉野宮 山が高こうて 雲靡く
流れ速うて 音清い 神々しいて 貴うて 清らかなんは 当然や》
この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ
ももしきの 大宮所 止む時もあらめ
《山の姿が 消えるなら 川の流れが 絶えるなら
その時こそは 大宮の 無うなる時や それは無いけど》
―山部赤人―〔巻六・一〇〇五〕
神代より 吉野の宮に あり通ひ 高知らせるは 山川をよみ
《昔から 吉野の宮に 通うんは 山と川とが 素晴らしからや》
―山部赤人―〔巻六・一〇〇六〕
居並ぶ 人々の胸に 聞き継がれた 人麻呂吉野賛歌が 蘇る
そして それは
赤人の 人となりを 思わせる 爽やかな軽みを覚える 歌でもあった
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