高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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国常立尊の怒り

2013-02-01 00:50:43 | 水瓶座の時代を生きるヒント

この日の本の国土は、国常立尊(くにとこたちのみこと)がお創りになられました。地上の地形を変え、龍の如く地形にされたのです。国土を創るのみならず、地上を永きに渡って見守り指導されて来られたのです。

今の地上をご覧になり、とてもお怒りでおられます。自分勝手な者をはびこらす為に我は国土を創ったのではない、己の利得を望むような国民(くにたみ)などいらぬ。これ以上の生き恥をさらすならば地上より消さねばならぬ。そのようなお気持ちでおられるのです。


大和の国民(くにたみ)としての気高さを忘れてはならぬ。美しき大和の気高さを忘れてはならぬ。気高さとは、他を見下すことではない、己の心を律することである。大和の地に生をうけた誇りを忘れてはならぬ。神々が守り育てた国土を汚してはならぬ。

己のことのみを思う心、そは神の国、大和の国を汚しているということなのだ。今、あなた達が住み暮らしている国の国土とは、国常立尊の体であると言っても過言ではないのだ。

本来、この国土に生を受け、生を許されるは、心清き者であることが条件であったのだ。地上に入国審査というものがあるように、神々に許されし者のみが、その転生を許されてきたのである。あなた方がその足で立っている国土は、そのような地であるのだ。

天照を光であるとするならば、国常立は大地である。龍宮は水である。大地と水、そして光によって成り立っている国、それが大和の国、日の本の国である。

穢(けが)れを取り払えと言っているのは、そのような国土に生かされている者の礼である。礼儀である。この地にて生あるを当たり前だと思っているならば、それは間違いである。穢れた心で生きるということは、己が御霊を穢しているのみならず、国常立尊のご神体を日々穢しているということなのだ。

神国日本と信じていた時代の人々は、そのような畏(お)れ敬(うやま)いの念というものをもっていたのだ。確かに、神国日本を履き違えた者もいよう。しかし、神々の国土に生かされているという光栄に、皆、誇りを持ち、心清く気高くあったのだ。

まだ、この地に神の存在を信じる者もいる。しかし、国常立尊のご神体の上に、今、自分が暮らしているなどと思いを致す者はいないのだ。それほど、この地を穢しているということを知らねばならぬ。

この国土を海に沈めるのも、これ以上、生き恥をさらさせないためであるのだ。



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