高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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「本来、病なし」を生きる

2013-03-21 00:57:42 | 水瓶座の時代を生きるヒント

本来、病なしと言っていても、風邪をひいたり、病になることはあります。それは、肉体は三次元のものであり、「本来、病なし」とは天上界の感覚であるからです。本来、肉体なしとどれ程悟っていても、足の小指をテーブルの脚ににぶつければ思わず飛び上がるものです。

勘違いしてはなりません。本来、病なしとは、病に心とらわれるなという意味です。病気になって、その病気に対して「お前は本来存在しないんだ」と幾ら病気に向って言っても病気が「そうか」といって納得してどこかに行ってしまうようなことはないのです。

そういうことではなく、病の床にいて「この病気を何とかしたい。」と病気、病気と心で病気を掴(つか)んでいては、病気は治らないということなのです。

では、具体的にどのような心持(こころもち)でもって病気というものと対峙(たいじ)すればよいのでしょうか。それは、素直に治療を受ければよいのです。治療は治療で行えばよいのです。「本来、病なしと言っていたのに、病院へ行くということはこれは自分が悟っていないということを表しているんじゃないだろうか」と思って、「こんな姿を人に見られたら恥ずかしい」と思ってこそこそと病院へ通うなどする必要はないのです。「本来、病なし」と口ずさみならが、堂々と胸を張って、病院に行って治療を受ければよいのです。

ただ、心では1週間後の自分、1年後の自分を思い描くのです。「1週間後には、あの時は苦しかったなぁと今日のことを思い出しているだろう」ですとか、「1年後には、今日のことを思い出してあのとき入院していんだなぁと、今日のことを思い出しているんだろうな」と、将来の自分の気持ちで今の自分を見つめるのです。気持ちはもう既に病が完治した自分で治療を行うのです。それが病に捉われず、健康を念うということなのです。

或いは、死期が近づいてきますと、「本来、病なし」と言っていても体のどこかしらが悪くなって参ります。「本来、肉体なし」の本来の姿に戻るには、肉体を脱ぎ捨てねばならないからです。そのとき、病に向き合っては、「有難う御座います。ここまで永く生きさせて頂きました。お陰で色々と勉強することができました。もうすぐ、あちらの世界に還れます。いやぁ、嬉しい嬉しい。」と感謝の気持ちが沸いてくるのです。

確かに中には、一休さんのように死ぬ間際に「わしは死にとうない。」と言って、目をむいてお亡くなりになる方もおられます。しかし、一休さんの場合は、本当にこの世が楽しくて、「もっと遊びたい。まだお家に帰りたくないよ。」という子供のような気持ちから「まだ、死にたくない」と思われていたようです。そのような方もおられれるのは確かです。一休さんは、龍宮界の方です。破戒僧だとか、悪霊にとり憑かれていたですとか、色々と言われていたようですが、実際は、ちゃんと天上界にお還りになっておられます。龍宮界の方というのは、この世的な常識というものがあまり通用致しません。それは常に天上界の気持ちで生きている方が多いからです。それで天衣無縫と呼ばれたりする訳です。

少し、余談になってしまいましたが、「本来、病なし」を生きるとはそういうことなのです。

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