高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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本来、罪なし

2013-01-21 00:54:18 | うた

◎まず、自らを愛せよ

汝、まず、自らを愛せよ。

自らを愛するとは、日々清らかな心で生きていかんとすることだ。自分自身の人生を愛することだ。自分自身の人生を抱きしめることだ。

自らを愛せぬ者に、人を愛することはできない。自らの人生を抱きしめれぬ者に、人を受け入れ許すことはできない。

汝、自らの穢れ多きを知れ。自らの穢れ多きを知らず生きてはならない。

そして、汝、神に詫びよ。神に詫び、己の穢れを取り払い、清らかな心で生きていかんと決意せよ。己の穢れに気づかねば、さらなる穢れをまとうこととなり、やがては自らの人生を自らの足で歩むことができなくなって仕舞うのだ。

己の穢れを取り払い、清らかな心で生きていかんと決意せよ。それこそが、自らを本当に愛し大切にする道である。

汝、自らの罪多きを知れ。自らの罪多きを知らず生きてはならない。

そして、汝、自らを許せ。罪深き自らの人生を抱きしめることだ。神が人を許すのではない。自らが自らを許す以外に罪は決して消えることはない。そのようなあなたであろうともまだ生かされているということは、すでに神はあなたを許しているのだということを知らねばならぬ。

罪穢れ多き自分の人生を愛しみ抱きしめよ。自らの人生を抱きしめれぬ者に、人を受け入れることは出来ぬ。自らを許せぬ者に、決して人を許すことはできないのだ。

自らを真に愛し許せぬ者に決して愛は分からぬ。自らを忌み嫌い、自らの人生を呪う者は、神を呪うているのだ。なぜなら、自分自身も神の子であるからなのだ。

「愛を与えよ。愛が大切だ。人を愛せよ」と口にする者は多いが、真に愛を知っている者は、ほんの一握りであるのだ。

そのような耳障りのよい言葉を口にする者の多くは、自分がよく見られたいという穢れた思いで言葉を発しているのだ。彼らは人を愛してはいない。自らをも愛せてはいない。自分が愛されたいがゆえに愛の大切さを口にしているのだ。

決して、そのような偽者になってはならぬ。


◎本来、罪なし

罪は本来ないのだ。しかし、罪がないのではない。罪はあれども、罪は光を当てたときに消えるのである。神の光に照らされたとき、太陽の前の霜のように解けてなくなるのである。

しかれども、心の曇りが神の光を遮っているいるのである。それゆえ、心の曇りを晴らさねばならぬ。すがすがしい澄み渡った青空のような心でなくては、天上よりの光が地に届かぬからである。

 

 

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