高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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二極化と神の御業

2013-06-05 11:45:07 | 水瓶座の時代を生きるヒント

目は、神の御業(みわざ)を見るために与えられているのだ。
神の御業と言っても大それたことを意味してはいない。

幸福者は、目を開けてそこに沢山のものが与えられていることを知る。
しかし不幸者は、目を開けてそこに足りないものを探すのだ。

目に映る映像は同じであっても、その心が違うのだ。
これは、物事は捉え方次第だといった奇麗事を言っているのではないのだ。
自分は不幸だけれども幸せであると思い込んでおれば、そのうち幸福になるといったトリックのような話をしているのではないのだ。

その心の方向性の話であるのだ。

これより先、二極化がはっきりとしてくるであろう。
その二極化こそ、その心の方向性が関係しているということなのだ。

常に、あなたは問われている。
神の側につくのかと問われ続けているのだ。

常に神の名を呼ぶ者が神に近いとは限らぬ。
神に対して多くの知識を持てるものが神に近いとは限らぬ。
神の為に功績を残したものが神に近いとは限らぬ。

災いなるかな。
自らを神に近しと思うものたち。
その多くは、己の心の方向性を知らぬのだ。
何故なら、その多くは己の心と真正面から向き合っては居らぬからなのだ。
己の心が神の名を得たいという名誉欲に支配されていることに気づいてはおらぬのだ。
己が神の子であるということを知識としては知っておろうとも、自覚しておらぬから名誉などを求めてしまっているのだということに気づいては居らぬのだ。

何かをすれば天国にいけるといったものはないのだ。
何かをすれば天の使いとなれるといったものはないのだ。
その心の波長そのものが己が道を決めるのだ。

神の側とは、美しき心の調べを求めて、己の心と向き合うものである。
その目にて、神より与えられしものをつぶさに見んとし、多くのものが与えられていると感じるものである。

さぁ、己の進む道を選ばれよ。

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