高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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光明思想の注意点

2013-03-04 14:39:30 | 水瓶座の時代を生きるヒント

谷口雅春師の生命の実相について、ポイントを絞ってご紹介致しました。生命の実相を生きるということは、仏教でいうところの無我で生きることである。自分、自分と思っている自己認識を「天地一切を貫いている神の生命である」という自己認識に入れ替えてしまうことであって、「他人というのは姿を変えた自分なんだ」と認識することであるとお伝え致しました。

光明思想と聞くと、「よい事が来るんだ。良い事が来るんだ。」と思っていればよい事が起きてくると思っておられる方が多いかと思います。そのような「自己実現」の考え方であると思っておられる方が多いかと思います。問題は、その「よいこと」とは何か?いったい誰にとっての「よいこと」だと思っているのか?ということです。

「自分にとって」の良いことになってはいないでしょうか。「自分にとって」都合のよいこととはなっていないでしょうか。「自分にとって」の良いこととなっていては、これは生命の実相から離れて仕舞っているのです。もうその時点で「我」が含まれているのです。もうその時点で自己保身が含まれていることに成ってしまいます。自己保身の思いが含まれている念というのは、これは神の御性質から言って程遠いものなのです。

念というものは、世界中を飛び回っています。自分の発した念派というものは、世界中を駆け巡りこの世界の何かに働きかけをしているのです。自分の出した念というものは、世界になんらかの働きかけをしているのです。念というものは、一生懸命に念じている時のみ出ているわけではありません。日々生活していく中に、念が絶えず出ているのです。日々の思いが念として絶えず出ているのです。そして、世界のどこかに何かを創造していっているのです。私たち一人一人は、その自分の出した念というものに対して責任があるのです。

光明思想、光明思念だといって、自分に都合のよい「よいこと」を願うということは、これはどれ程の責任があるのかということを振り返る必要があります。ここを無視していては、後で大きな付けを払うことになってしまいます。

この点を高橋信次師は、ご心配されておられたのです。高橋信次師も「生命の実相」については悟られておられました。しかし、「本来、病なし」といって、申し訳なさそうに信者がこそこそと病院に通っている姿をみて、「生命の実相」を本当に理解して生きるのはなかなか難しいということを心配されておられたのです。それで、ご自身の教えとして、「生命の実相」に至る為の前段階である「自己保身を去る」ということに重点を置いて教えておられたのです。

谷口雅春師の教えと高橋信次師の教えは、対極にあるように見えるかも知れません。違う教えに見えるかも知れません。しかし、最終的に目指すのは「生命の実相」です。ただ、そこに到るために「自己保身を去る」「己の穢れを払う」という修行が必要であるのです。

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