高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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日韓併合と日本の心

2013-04-30 22:58:44 | 水瓶座の時代を生きるヒント

戦後、この国には、日本人に生まれながらも自国に誇りを持てぬもの達が増えてしまわれました。そして、日本人であることに負い目を感じ、西洋化に走る人々が増えて仕舞いました。そのつけが、今、色々と社会問題として現象化して来ています。

1895年、日清戦争に勝利した日本は、下関条約にて一番に清国に望んだのは、当時、清国の属国であった朝鮮国の自主独立でありました。下関条約の第一条にそれが記されています。戦勝国日本は、何でも望めたはずであるのに、一番最初に望んだのが朝鮮国の自主独立であったのです。その後成立した大韓帝国は、慢性的な食糧不足、国土の荒廃といった問題を抱えていたのです。それは丁度、今の北朝鮮の国内情勢に似ていたと言えるかもしれません。そして、いわば大韓帝国側からの要請があって1910年、日韓併合がなされました。

日韓併合後、日本は、当時の最新技術を投入し鉄筋の立派な学校を各地に建設し、教育というものを施しました。それは、日本に都合のよい教育ではなく、大韓帝国民にとって必要とされるだろうという視点から教育を行ったのです。お陰で識字率が低かった大韓帝国民にハングルが普及したのです。他にも、ダムの建設や衛生状況の改善も行われています。

それらは、日本が日清戦争に勝利して潤っていたからできたことではありません。当時の日本国内の学校といえば、まだ木造のボロボロの校舎ばかりでありました。丁度、お客様が来られれば、丁重なもてなしをするという風習が日本にはありますが、まさしく、韓国をお客様として、丁重なもてなし政策をしたのです。創氏改名というものを朝鮮人に強制したように歴史の教科書では言われているかも知れませんが、実際は、「希望者は日本名を名乗ってもよい」というものでありました。その上、多くの希望者が出て役所がパンクする程でありました。

それだけ見ても、日本という国は、己をなくし他に尽くす心をもっていたのです。己の利得の為だけに韓国を占領するなどして来ていないのです。同じようなことは、台湾などにも行っています。日本が占領したとされる台湾に親日派の方々居られるのは、その経緯を知っておられるからなのです。

日本という国は戦時であっても、そのような公の心を持って、己をなくした政策をして来た国であるのです。それ程の国の国民であるということをお忘れになってはなりません。

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