高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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無知の知と神の子

2013-03-26 00:43:18 | 水瓶座の時代を生きるヒント

「人間・神の子」「神の子・人間」、この言葉を知るものは多いことでしょう。しかし、その意味するところを真に知るものは、あまりいないのです。

自らを神の子であると幾(いく)ら知識としては、知っていても、取り越し苦労したり、不安で不安で仕方なく、日々不機嫌な顔をしているようであっては、真に自らを神の子として知ったとは言えないのです。真に自らが神の子であると知るとは、神の子であるという自覚が生まれて来なくてはならないのです。知識は単なる知識であって、自覚を生み、その自覚が行動となってこなくては、真に知ったとは言えないからなのです。

皆、知識ばかり追い求めておられます。真に、知らんとするものは少ないのです。その証拠に、皆、表面的にばかり学んでおられます。

今、御霊の開放と呼んでいるものも、かつて「真理は汝を自由にする」という谷口雅春師の言葉も、同じことなのです。自分の人生を愛するという言葉も、みな同じことを意味しているのです。

神の子の自覚とは、仏教でいうところの、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根を清浄(しょうじょう)された状態、六根清浄された状態、すなわち、涅槃の状態でもあります。六根に振り回されている自己を捨て、欲望に振り回されない状態を涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と呼んでいたのです。その状態を出口王仁三郎師は、「伊都能売魂(いづのめのみたま)」と呼び、谷口雅春師は「神の子・人間」と呼んだのです。「生命の実相」「甘露の法雨」に述べられている言葉は、仏教で言うところの涅槃寂静の姿を示しているのです。それをまた違う言葉で、「悟り」と呼んだり、「空(くう)」と呼んだり、「真空妙有(しんくうみょうう)」「苦楽中道(くらくちゅうどう)」という言葉で表して来たのです。

それを言葉の表現にばかり捉われ、その言葉が真に意味しているところを知ろうともせず、知識ばかりを追い求め、己を飾ってきたもの達が争いを招いているのです。すべて、同じことを意味しているのです。

何ゆえ、我らが難しい理論理屈を表現せぬか。それは、そのような用語化してしまったものに、人は捉われ、自分が如何に多くの用語を知っているかを競い合い、より多くの知識を得た者が偉いと勘違いしているからなのです。特別な知識など必要ではありません。。そのような自分を飾るためだけの知識など必要ではないのです。大切なことは、その用語が意味する先にあるのです。その意味するところを自分が真に知ることが大切なのです。それを見失ってはなりません。それを見失っているから、「神の子」という言葉を知りながら、皆、自らの心さえ救われないでいるのです。

かつて、ソクラテスが言った「無知の知」とは、そのような姿勢を言うのです。「あなたは知っているというが、本当にどこまで知っているのか?」という問いかけを自問自答してみよということなのです。「知行合一」という言葉も、「無知の知」とその奥にあるものは一緒であるのです。

知識を求める方々よ。本当の知を得よ。本物の知を得よ。本物の知でない単なる知識は、己を飾るガラクタでしかないと知って下さい。ソクラテスは言ったではないですか。「かしこい人は、自分が知らないということを知っている人だ」と。

これを読む方々には、真の自覚を得て頂きたいのです。「神の子」というたった一言の言葉さえも、真に知るものは少ないのです。「神の子」とは何か、具体的に自らの生活をどのような心境で生きることなのか?具体的に自らの人生をどのような心で生きていくことなのか?考えてみて頂きたいのです。それすら考えることもなく、「アセンションだ。次元上昇だ。」という方の何と多いことでしょうか。では、アセンションした状態とはどんな状態なのですか?次元上昇とはいったいどうなることを言われているのでしょうか?そして、そのアセンションしていく過程は、いったい何でしょうか?ある日突然、勝手に次元上昇するのでしょうか?それは、あたかも線路を走っていた列車が、ある日突然、何もしていないのに銀河鉄道999のように空を飛ぶようになると言っているようなものではないのでしょうか?どれ程、私たちは知らないかということを自覚せねばなりません。

慢心という言葉がありますが、慢心するもの達は多くを知らないのです。そして、自らが何も知らないということに気づいていないもの達であるのです。何故ならば、神のお創りになったこの世界、この世とあの世すべての世界に目を向けた時、「自分は何も知らないのだ」ということを思い知るからであるのです。神のお創りになったこの世界に目を向けた時、慢心するなどあり得ないことであるのです。この世の世界だけですら、私たちは知っていることよりも知らないことの方が多いのではないでしょうか?学者ですら、日々、それぞれの分野で謎の究明ばかりしているではありませんか。

慢心するということは、神から見たら丁度、小学1年生の子供がテストで100点をとって「自分は天才だ」と喜んでいる姿を見ているに等しいのです。神の創られた世界を私たちは何も知らないのです。あの世の世界について知れば知るほど、私たちは何も知らないということを思い知ることになるのです。ましてや、他の星での魂修行のあり方などビックリすることが多いのです。

まずは、あなたご自身が「神の子」というたった一言を真に知る一人となって頂きたいのです。それが天上界の願いであるのです。

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