高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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調和ある生き方

2013-01-24 00:06:03 | 水瓶座の時代を生きるヒント

御霊の美しさと女性の法

御霊の美しさとは、内より出ずるものであるのです。現代の女性達は、きらびやかに飾ったり、お化粧をしたり、はたまたプチ整形でしょうか。あるいは、顔の形そのものを変えたりして、外見的な美しさというものを追求されておられるようですが、そこには大和の精神、大和の美しさはないのです。皆、見た目ばかりを気にされますが、その心根こそ磨かねばなりません。

大和の女性達には、白粉(おしろい)や紅などを付けるというファッションは確かにありましたが、皆、常に自らの心根が如何(いか)に美しいか、醜い心根で自分は生きていないかを気にされていたのです。自らを振り返って、少しでも醜い心根があったと気づいた時には、とても恥ずかしい気持ちになられていたのです。そして、そのように常に自らを律しながら、美しい心根というものを追求されていたのです。男性方の前で少しでも自分を出す、自分を表現するということでさえ、とても恥ずかしいことであるとお感じになられていたのです。

ですから、大和の女性にとって、現代の女性達のように、自分の権利を主張したりするということは、とても考えられないことでありますし、はっきり申し上げて、大変醜い生き方に見えるのです。天上界の女性達は皆、心美しくあられますので、現代の女性達がいかに醜くく映っているかということにどうか気づいて頂きたいと思います。

多くの方が、女性の法というものを望まれておられるかと思いますが、現代の女性の乱れた世界観の延長上に女性の法というものは、残念ながらないのです。

女性の法の基本、根本というものは、調和ある生き方であるのです。調和ある生き方とは、節度ある生き方であるのです。それを基本として考えたならば、今申し上げている大和の心、大和の精神が女性の本質に合った生き方であり、それぞれの御霊の美しさを増す生き方であるということに気づいて頂けるものと信じております。


◎大宇宙の神より与えられた女性の役割

今、女性の生き方ばかり申し上げておりますが、今、地上は調和を失っているということに気づかれる方も多いかと思います。世界中の国々が自らの国のことばかりを考え、各々の企業というものは、自らの企業の利益のみを考え、各家庭においても、皆、自分のことばかり考えておられます。

とても潤(うるお)いなく心の砂漠が広がっているように見えます。今、地上に必要なのは、潤いであり、調和ということなのです。

人は、調和の心にある時、心癒され、安らぎを得て、明日への希望を持って力強く生きていくことができるのです。社会を見渡して希望のない若者が多いのはなぜですか。社会に安らぎがないからではないでしょうか。社会に調和がないからではないでしょうか。これ程、調和が必要とされる時代はないのです。今こそ、調和のエネルギーの体現者である女性の活躍の時代であるのです。

東日本大震災の復興を叫ぶ声もあります。復興を叫ぶならば、まず、人々の心をこそ復興させねばなりません。希望を失い、道を閉ざされたと感じている人々の心を復興させないでは、本当の意味での復興は難しいのです。それゆえ、調和のエネルギーを地上に供給する方が一人でも多く必要なのです。

そのような背景もあって、天上界の女神達が地上の女性のあり方について「そうではありません」「そのような生き方をなさってはなりません」と強く強く訴えておられるのです。

これからの時代においても、ずっと必要とされるもの、それが調和のエネルギーであるのです。その調和のエネルギーを地上に注ぎ込む使命が女性にはあるのです。それが、大宇宙の神より与えられた女性の役割であるのです。これは何千年、何万年と経とうとも決して変わることのない大宇宙の真理であるのです。

これは女性は男性よりも劣っているとか、そういうものではないのです。調和の中に自ら自身も喜びを感じるように出来ているのです。

振り返ってみて下さい。自らの幸せな時間を。それは、他の人々と仲良く時を過ごしたときに自分は幸せを感じていたはずなのです。仲間はずれが生まれず皆が調和している時に幸せだと感じていたはずなのです。それが女性であることの幸福であるのです。調和の中に自らの本当の幸せがあるのだと気づいて頂きたいと思います。

天上界の諸霊も女性達に考えを押し付けているのではないのです。「神様がこう決めたから、こう生きねばならない」と縛(しば)っているのではないのです。女性としての御霊の生き方を伝えておられるだけであるのです。調和の中に生きるとき、女性達の御霊は幸福を感じ、本来の御霊の美しさが出てくるのです。それを品であるとか、優雅であるとか言われて来たのです。


◎礼の心と敬う心

古来より、大和の国では、何々の命(みこと、尊)と名を呼び合っておりましたが、命(みこと)とは、神の命(いのち)を意味しています。それゆえ、互いに尊(とうと)びあい、礼をもって接しておりました。相手の方が高次元の方であろうがなかろうが、そのようなものに関係なく、相手の方を神の命として尊び敬(うやま)ってきたのです。

礼というものは、調和のある姿でありますが、人と人とが互いに調和していくために必要であるのです。いわば、礼とは潤滑油(じゅんかつゆ)としてあるのです。

これから迎える世でも、やはり、一定の礼、礼節の心というもの、他の方に対する敬(うやま)いの心というものをもって生きねばなりません。この礼の心を失って参りますと、世は殺伐(さつばつ)とし、乱れて行くものであるからです。

女性についての話ばかりして参りましたが、男性においても礼について、もう一度しっかりと学び、心得て頂きたいと思います。

特に男女においては、男尊女卑(だんそんじょひ)という考え方、男は尊く女は卑(いや)しいという考え方は天上界の考えとは違います。女性に対する敬いの心というものを決して忘れてはなりません。

現代、世は乱れ、男性においては、女性を性のはけ口として見ておられる方や、女性は男性に服従すべきものという考えをお持ちの方がいらっしゃるようですが、そのような心を持ってはなりません。

男性、女性という現われ方をしておりますが、ともに神の命であります。互いに敬う心というものをしっかりともって、男女共に、相和(あいわ)して調和して行かねばなりません。

特に、男性にあっては、近年、男らしいという方が減って参りましたが、先にも触れましたが、それは責任を取ろうとなさる方が減ったということなのです。会社勤めをされておられる方が多いかと思いますが、その中で、いかに責任をとらないでいるかということばかり考えておられます。しかし、責任を取ろう、責務を果たそうとする中に男らしさというものが生まれてくるのです。

人としての務めをはたそう、夫としての務めをはたそう、親としての務めをはたそうとする中に男らしさというものが生まれてくるということなのです。

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