作品名 : ルーパロマーナ
作者名 : 不詳
複雑怪奇な現代社会とは言え摩訶不思議な現象が起きるものです。
この頃、石川県では「おたまじゃくし」や「小魚」などが空から降ってくるという珍事が起きています。
原因が解らず出来事の真相を説明のしようがないようですが、私などはこの種の神がかったお話
には興味津津です。
真相が判明すれば「なんや!そんなことか」ということになるかも知れませんが、この話、少しばかり
ロマンを感じています。
昨日、さる所でくじ引きをしたら写真に示す「ハンズフリー CAR CALL」なる物を貰いました。
その名の通り、車で携帯電話を使う場合に手に持たずに通話できるという代物ですが、此の物、
元電波を扱う仕事をしていた私にとって、少々興味があるのは、電話の通話音の再生を車のラジ
オを利用する点にあります。
仕組みは、この装置で電話の受話器の音を拾い、その音を微弱なFM電波に変換してラジオの
スピーカーを鳴らせて交信しようとするものです。
とわ言え、その私は此れを実際に使ったこともなく、今後も使う必要性など感じていませんが、
周波数の安定度や携帯からの受話音の正確な補足能力など此の程度のもので問題なく可能な
のかどうか解らず実際に使うに当たっては多少の不安感があります。
しかしながら、一つの面白いアイディア製品と思い余計なことかもしれませんが紹介します。
今年2月に、将来の教育者を育成する某教育大の男子学生6人が、同僚女子学生に性的
集団暴力を加えた事件のあったことが、3ヶ月も経過してから明るみに出てきました。
事の良し悪しは明白で、今から何も云々する積りはありませんが、その事件の起きる前後
の関係者の対応について、私には少なからず疑問があります。
その1は、加害者である男子学生の、何れは教育者として先生と呼ばれる立場に着こうとし
ている一人の人間としての基本的な意識はどうなっていたのか?
その2は、暴力事件は、如何なる場合にも、加害者に非があることに間違いはないと思って
いますが、此の事件の場合、被害者には暴力など断じて許さない、という毅然たる姿勢を持っ
ていたのかどうか、後で加害者から「合意の上だった」などと言わせないものでなければな
りません。
その3は、やむを得ず公表せざるを得なくなった大学当局の姿勢の問題です。
記者会見で、都合が悪くなると「教育的配慮」と答えるだけで、事の真相を明確に伝え反省
しようとしている姿勢が見えません。
私には「教育的配慮」とは、加害者6人の行為に対する配慮と、大学の面子と運営責任者
の保身のためだけの配慮とし思えません。
もしろ、もっと早めに真相や問題点を真摯に公表したほうが、社会全般に意義のある「教育
的配慮」になったのではないかと思うのですが、この有様では、皆さん教育者失格ですよ・・・・
今日6月1日は、電波の利用が国民一般に開放されたことを記念して制定された「電波の日」
です。
私の現役当時は、その電波に関わる仕事に携わり、数十年を過ごしてきました。
電波は、目に見えるものではありませんが、長年私の生きる糧と、生きがいを、そして、私の
家族の生活を支えてくれた命の恩人です。
その意味で、私には今日の「電波の日」は何にもまして感慨深いものがあります。
現役をリタイヤした今では、電波と等しく付き合うことはなくなり、ただその恩恵に預かるだけ
の日常ですが、その動向には興味津津です。
通信に放送にそして、近代の人類が、豊かな生活を営む上で欠かすことのできない電波は、
これからも益々重要なツールとして必要欠くべからずなものになっていくものと思います。
そんなことを思い、それに感謝する「電波の日」です。