☆おひとりさまを楽しく生きる☆

おひとりさまの人生、前向きに明るく「今」を生きようとしています!

2015年母の看取り日記(15)

2017-03-31 20:59:18 | 介護・看取り回想


早いもので、来月4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間 (12) 2015年3月31日記

昨晩は泊まりました。母は一晩中不穏状態のまま夢の中でまどろんでいる状態でした。私もほとんど眠れず。。。
明け方やっとトイレに行けて立位もまずまずでスムーズに介助できていたのですが、パジャマのズボンを上に上げている時私の身体がお尻に触れてしまって、それを椅子と勘違いしてズルズルと腰砕け状態。。。ギリギリで夜勤の方が駆けつけて支えてくださったのですが尻餅をつかせる一歩手前。。。肝を冷やしました。

一番怖かったのは母です。認知症状の攻撃性が一晩中続いていたので、車椅子に座らせた途端、私は頭や頬何度も殴られました。。。夜勤さんと一階で徹夜されていたケアマネさんも駆けつけてくれたのですが、その二人の前でポコポコにされました。。。

さすがにこれはショックでした。でもその後思ったんです。これはキュープラロスの死のプロセスの「怒り」のステージなのかもしれないと。少しずつ肉体が最期に近づいていて、一番苦しくて怖いのは母なのでしょう。そしてケアマネさんが「お母さん、よくわきまえておいでですよね」と。つまり激しい怒りと暴力行為は娘である私に向けられていて他のスタッフさんではないのです。

母の苦しみが怒りという表現で表れてもそれは全て娘である私が受け入れようと思いました。おそらく母もそれを求めているんだと思います。

父が亡くなってからは、母はずっと寂しかったんだろうと思います。私は仕事柄出張が多くいつもいつも私の帰りを待っていました。自宅で一緒に暮らしていた時も、老人ホームに入居してからも、ずっとずっと私が仕事から帰ってくるのを待っていました。。。出張にも一緒についていきたいとよく言っていました。。。今はそんな時間を取り戻すかのように一緒に過ごしています。

そしていずれ肉体から解放されたら、これからは出張でも神社仏閣巡りでも、どこでも一緒に行けるんだと思うと、ホロっとくるのですが、不思議にその日が来ることも楽しみなのです。

さて午前中一旦帰宅して、午後から再度ホームへ。午後の母は少しポーっとしていて水分もメイバランスと豆乳ドリンクそれぞれ8割程度です。あんまり発話がありません。でもきよしくんのコンサートビデオを観る母の様子は昨日より表情が穏かで嬉しそうです。

夕方母の三歳年下の弟(叔父)とその息子(いとこ)が母に会いにきてくれました。ほとんど発話のなかった母ですがやっぱり弟と見つめ合いながらとても良い表情をしてくれました。

今日は褥瘡予防のマットレス(介護保険でのレンタル)が届きました。寝心地が良いのかスヤスヤと寝息をたてながら眠っています(今のところ!)。。。お母ちゃん、今晩は私もゆっくり眠らせてね(笑)
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2015年母の看取り日記(14)

2017-03-31 19:00:19 | 介護・看取り回想
早いもので、来月4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

2015年3月30日記(その4)

父が亡くなってから母の心の拠り所になってくれたきよし君(氷川きよしさん)。全国津々浦々コンサートに一緒に一杯行きました!

楽屋訪問が当たったり、コンサートでサイン色紙が当たったり、着物を着た母と手をつないでコンサート会場に行きました(*^_^*)本当に楽しかった!

大腿骨頸部骨折した後はズボンになりましたが車椅子で各地のコンサートに連れて行きました。まだ回復期リハ病院に入院中なのに、新宿コマに連れて行ったりして、病院の先生に前代未聞だと呆れられました。

仕事の出張と母とのコンサートツアー、今思うと凄まじいスケジュールこなしていた40歳台。。。

でもあの時代があるから今を受け入れることができるように思います。

ありがとう!きよし君(*^_^*)
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2015年母の看取り日記(13)

2017-03-31 06:23:12 | 介護・看取り回想
早いもので、来月4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(11) 2015年3月30日記(その3)

母の部屋にTVとビデオデッキをレンタルしようと思っていましたが、今自分のマンションにほとんどいないので、マンションのを今朝持ってきました。

母が大好きなきよし君(氷川きよしさん)のコンサートビデオを見せてあげるためです。今までは他の利用者さんとの同じ空間で日中は過ごしていましたが、一軒家で静かにのんびり暮らしていた時代に戻してあげれたらと思っています。

ただ今日は昨日同様に精気がありません。。。水分摂取もさらに下がってきたので今日は尿の出具合もあまり良くありません。

「どうすりゃぁいいの」「助けて」「はよう連れて帰って」「寂しい」と。魂が闘っているのか、死の恐怖なのか。。。よく似た言葉を発しておられた方が以前施設におられました。この魂の叫びにどう寄り添ってあげればいいんだろう。。。スピリチュラルケアの知識がもっとあればと悔やまれます。ただ否定はせずに肯定する、母の言った言葉を繰り返して肯定するように心がけています。。。

今日ビデオを観る母の後ろ姿をアップしたところ、回復おめでとうとメッセージを送ってくださった友がいました。複雑でした。。。

終末期というのは回復はないのです。。。だから終末期。食べれなくなって飲めなくなって、終末期を知らない人は、絶えず苦しみ喘いでいる状態を終末期と捉えておいでなのかもしれませんがそうではないのです。胃瘻や経管栄養に頼らず、安易に点滴に頼らないのは最期に少しでも苦しまない尊厳を持った最期にしてあげたいから。。。でもこれは見守る遺される者にとっては相当苦しい。。。でもこの経験は私の人生に絶対良い経験を与えてくれると信じているので、逃げ出さずに最期まで寄り添いたいと思っています。

「助けてください」という母。近ずいて「大丈夫よ、そばに居てあげるからね」というと「あなたに助けてもらおうと思わん。顔も見とうない。」と言われ、離れると1分もしないうちに「雅子ちゃ〜ん、助けて〜」と。近づいて「助けてあげるよ」というと「あんたの言うことはようわからん」とこんな会話を繰り返しながら母はまどろんでいます。

今晩と明日は母のところに泊まります。桜。。。明後日から雨のようですね。。。見せてあげれるのかな。。。
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2015年母の看取り日記(12)

2017-03-31 06:20:01 | 介護・看取り回想
早いもので、来月4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(10) 2015年3月30日記(その2)

29日(日)
昨晩は早めに帰らせてもらって10時間くらい爆睡できました!

ホームの食事ははっきり言ってあんまり美味しくありません。固形食はもう食べれなくなっているのでミキサー食で出してもらっていますが昼食も夕食も一切食べずに廃棄となってしまっているので、昼食と夕食は止めていただくことにしました。

代わりにAEONやキューピーが出している舌や歯茎で潰せる食事を買ってストックし、食べてくれるかなと期待できるときに出してみることにしました。メイバランスなどの高カロリードリンクは二パック程度飲めていましたが微妙にその量も少なくなっているような感じがして切ないですが。。。無理させずでも飲む気になるその瞬間瞬間をとらえてチビリチビリ飲ませているところです。

前回の往診で先生から提案があった訪問看護サービスをケアプランに入れてもらうことにしました。母の場合、住宅型有料老人ホームですが同じ建物内の小規模多機能施設のサービスを受けている形で介護サービスを受けています。介護度5なので訪問看護などの点数は取れるのですが、特浴と言って寝たままの訪問入浴サービスは受けられません。この施設には寝たままの入浴設備がないのです。。。

普通浴にこれからどれだけ耐えられるのかわからないので、今まで週二回の入浴は一回に、代わりに清拭は週二回程度で、固定スケジュールではなく、母の具合と母と相性の良いスタッフさん勤務帯の組み合わせでフレキシブルに対応していただくことにしました。

上記に書いた特浴はいよいよという時あったほうがよければ個人全額負担でもお願いしてあげようと考えています。

母の部屋は二階で南向きですが、比較的大きな窓が付いています。雨露で汚れていた窓をスタッフさんがスッキリきれいに掃除してくださいました。

今日は昨日と異なり機嫌が最悪です。。。「助けて〜」「はよぉ〜連れて帰って〜」が何度も出ます。水分摂取も尿意訴えも著しくよくありません。

夕方やっとトイレに行けたのですが、車イスに座らせた瞬間、側頭部を平手とグーで殴られてしまいました...ちょっとクラクラしましたよ。痛かった!!!

今までは「殴っちゃろぉか」と言っても頭を優しく小突く程度だったのですが今回初めて強く殴られてショック。。。でも認知症の出ている母もすべて受け入れられているのでそのことでは涙は出ません。

認知症と言っても100パーセント呆けているわけではないのです。必ず正常な部分があって、正常な部分と認知症の部分が入り乱れて出てきます。

私を殴った後、正常な母が出てきて、今やったことを悔やんでいるようなとっても切なく苦しげな表情の母がいました。そしてその後黙って私の頭を優しく優しく撫で始めたのです。。。これにはヤラレタ。。。泣けました…
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2015年母の看取り日記(11)

2017-03-31 06:13:10 | 介護・看取り回想
早いもので、来月4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間 (9) 2015年3月30日記

28日(土)
朝8:00過ぎひとまず帰宅。お風呂に入って荷物を入れ替えて再度母のホームへ。

今日は父の介護の時代から今のホームに入るまで、訪問看護その後ケアマネさんとして8年近くお世話になった方が来てくださいました。

高校の後輩(8つ年下)だとわかり一層親近感を感じていた方ですがその後お会いする機会もなく久しぶりの再会でした。
今は訪問看護ステーションは辞めて看護学校で教鞭をとっているそうです。今まさに大事な在宅看護担当だとか。

彼女には寝たきりの父の在宅看護で本当にお世話になりました。父も「このこは本当にいいこじゃ」と、父の最期には彼女の夢枕に父が出たくらいです(私には出てくれなかったのにね〜)

父の死後は母の介護で訪問看護を引き継ぎその後ケアマネさんとしてヘルパーさんのアレンジなど本当によくしてくださいました。私が仕事でいない時に母のことを本当によく見守ってくれました。

久しぶりに母との再会。やっぱり母は彼女のことを覚えていました。笑顔一杯そして会話のキャッチボールがいっぱいできました。昔の懐かしい思い出が走馬灯のように蘇ってきました。

みかちゃん、母に会いに来てくれて本当にありがとう!

水分はちびりちびりと飲んでくれますが、あんまり量取れなくなってきましt。。。

この夕方は私が寝不足で限界。。。まだまだこれからなので今日はスタッフさんに託して早めに帰宅しました
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