萬連の「悠々去来に生きる」(50歳台女性の生き方)

お遍路や旅をはじめ日常生活で出会った心がほっこりする風景を写真で紹介します。

2015年母の看取り日記(18)

2017-04-03 18:45:00 | 介護・看取り回想
早いもので、4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(15) 2015年4月3日(その3)

今日は朝8:30くらいから母のホームへ。
今日は昨日とは異なりずっと精気はありません。水分摂取もほとんどできませんでした。。。

つい最近までは立位もよく自分でトイレで手すりにつかまって立ち上がったり、ベッドに仰臥位からベッドの淵に座位になるのも自分でできていたのですが、ほぼ毎回介助が必要になってきました。特にトイレは二人体制でなければ危なくなってきました。。。

ステロイド少量投与も食欲には効果はなかったようです。。。
約6日間便が出ていないのでテルミン座薬を入れていただきました。量はそれなりに出ました。何度もトイレで立ったり座ったりと昨日のドライブの疲れでしょうか、終日ポーっとしているか手を振り上げて叩こうとする拒否の繰り返し。。。本人が一番しんどいのでしょうね。。。可哀想。。。

昨晩も夜勤の方がどうやら父としゃべっているのか「早く助けて〜」「どうしたらいいの」「待っててね」「お父ちゃ〜ん、早く迎えに来て〜」という言葉を発していたそうです。

口を真一文字にして鋭い眼光で抵抗する表情はあの母とは似ても似つかず。。。むしろ父が認知症で抵抗していた顔つきとそっくりなんです。

先日往診の先生からいただいた「大切な人との別れの準備」の中に逝くことを受け入れるという項目があり、そこには次のようなことが書かれています。

「人が死に逝く数日前になると身体の働きは停止してくる段階に入ってきます・・・(途中割愛)・・・これはごく自然な身体のプロセスで、身体がその働きを終える準備をしているのです。この準備にはその人の人生でやり残したことをやって解消することや、残される家族がその人の死を受け入れる準備をして最終的に受容されることが含まれています。
死に逝く人はたとえそれで苦痛が長引くことになるとしても、残される人たちが大丈夫であることを確認するためにがんばろうとします。死に逝く人をこの気持ちから解放して安心させてあげることは、この時にできる家族の最善の行為です。」

娘として安心して逝かせてあげれるように、今は粛々と物理的精神的な準備を進めている感じです。。。

今晩は母のところに泊まります。

いろんなことがありますが、スタッフさんたちの協力もあって悲壮感は一切なく、みんなで母の挙動を温かく見守れるので本当にありがたいです。私一人じゃないという状態が本当に有難いです!お互いユーモアを忘れずに楽しく介護ができています。
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