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おひとりさまの人生、前向きに明るく「今」を生きようとしています!

2015年母の看取り日記(21)

2017-04-08 00:00:08 | 介護・看取り回想
一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつアップしてきましたが、これが最後の日記です(Facebookで公開したものです)

2015年4月10日記

みなさまには多くの心温まるコメントを頂戴しまして本当にありがとうございました。

お蔭様で、7日通夜、8日の葬儀を無事終えることができました。小さな母でしたが、さらに小さくなって私の元に帰ってきました。

通夜では思いがけないサプライズ弔問客もあり、従姉妹の美しい歌声等に涙涙。。。

葬儀も氷川きよしさんの歌をずっと流してもらいましたし、氷川きよしさんの写真や写真集、コンサートに行く時に必ず持っていたトートバック、そしてコンサートスケジュールなどもお花とともに棺にいっぱいいれてあげて旅立たせました。

通夜と葬儀では迎えに来てくれた父にも写真のように席を設けました。

いとこ達とその家族たちの存在がとても心強かったです!!!また家族同様のお世話をしてくださった老人ホームの方々も予定以上に多く駆けつけてくださり、家族葬でしたがとても心温まる良い葬儀ができたと思っています。

まだまだ役所の手続きや母の老人ホームの片付けなどがありますが、ゆっくりやって行こうと思います。

岡山にいる時は、朝起きてまずその日に何時ごろに母のホームに行くかを決めて、それから残りの時間の計画を立てていたので、この「習慣」から抜け出るのに少しで時間がかかりそうです。母には岡山にいる時も出張中も毎日電話していましたがその必要がなくなりましたし、出張から岡山に帰る時に母や施設へのお土産を買って、母に会えるのを楽しみに帰路についていたのが、それがなくなってしまったこと。。。この寂しさをこれから仕事に復帰してからしみじみ感じて行くんだろうと思います。

でも、従姉妹が亡くなった今の方がとても身近に感じるものなんだと言っていたのですが、本当にその通りで、母だけでなく父もとても身近に感じられます。ずっとそばで二人で見守ってくれるんだろうなぁと思います。

お寺さんに確認したところ、四十九日までは神社の鳥居はくぐれませんが、お寺にはどんどんお参りに行っていいそうです。母の位牌は持っていけませんが、その代わりに遺骨をペンダントにいれて、写真と一緒に携帯して、どこにでもお母さんと一緒に行きなさいと背中を押していただきました。

来週後半は以前計画していたまま高野山に母と(父もかな(笑))一緒に行ってきます!!!

母が父と一緒に私に以下のようなパーフェクトなタイミングを沢山与えてくれました:

・仕事の閑散期の良い季節を選んでくれたこと。

・看取りの準備を始めるきっかけをいろんな場面で作ってくれていたこと。

・桜と昔の祇園の家を一緒に見るまでがんばってくれたこと。

・きよしのズンドコ節ノリノリの母の映像が撮れたこと。

・満州娘を深夜ベッド上でフルコーラスで歌ってくれてしっかり録音できたこと。

・父がお世話になった同じ訪問看護ステーションの同じ方が母の看取りに関わってくれたこと。

・最期の日は施設で長年母に関わってくれていたスタッフさんが日勤の日だったこと。

・マンションに帰ろうとする私を引き戻し、最後の最後の瞬間までの充分な時間を、母の枕元に寄り添って手を握り、母の呼吸の変化と最後の呼吸までを自分の肌で感じ取ることができて、感謝の想いをしっかり耳元で囁くことができたこと。

・父と同じ時間帯に息を引き取り、果たせなかった父の看取りもさせてくれたこと。

・亡くなった日(6日)の翌日が友引だったので、7日通夜、8日葬儀となり、母と親子水入らずの夜を二泊一緒に過ごせたこと。

・そしてこれはお寺さんが教えてくださったのですが、8日は「花まつり」(お釈迦様の生誕お祝いする日)で、母の骨上げの後の初七日法要の時間と同じ時間に花まつりの読経が市内で始まっていたそうです。ご住職も縁を感じると言ってくださいました。

・8日は綺麗な晴天に恵まれ新しいスタートを祝福してもらえたこと。

さぁ、これから次の人生の第一歩を踏み出します!

まだまだ疲れてボォ〜っとしていますが、十分に自分を癒してから楽しいことワクワクすることを一杯できればと思っています!
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2015年母の看取り日記(20)

2017-04-06 07:06:20 | 介護・看取り回想
二年前の今日母が亡くなりました。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(17) 2015年4月6日記

母は本日午後0時40分に逝去しました。満91歳でした。

昨晩もずっとせん妄と不随意運動が激しかった母ですが今朝方からはその症状は落ち着いたものの、頻脈がますます激しくなり血圧や酸素飽和度が少しずつ落ちて行きました。下肢にはチアノーゼが出てきました。

午前9:30から今日の訪問看護。終わった後、今夕から明日朝くらいでしょうと言われました。

連泊なので午前中に一度お風呂に入りに帰っても大丈夫と言われたので、一度施設を後にしたのですが、タクシーがつかまらない。。。何かが引き止めている感じがあり、帰宅をやめてコンビニで買い物をして20分程度でホームに帰ったのでした。

母を見て夕方までもたないのではないかと瞬時に察して、母の枕元に添い寝するように寄り添いました。呼吸が少しずつ浅くなっていき、末端が徐々に徐々に冷たくなって行きました。

あぁもう近いんだ。。。と思うと涙が止まりません。耳元で母への感謝、母の娘に生まれてこれた感謝、そして父が迎えに来てくれている感覚があったので父に迎えに来てくれてありがとうと囁きました。

手首で脈が触れなくなり、そして呼吸が止まりました。施設のスタッフさんが見守ってくださる中、安らかに息をひきとりました。

16年前、父もほぼ同時刻に自宅で亡くなりました。自宅で介護していたのに、ごく30分ほど母と台所で昼食を取っている間に一人で逝ってしまいました。終末期の事を何も指導を受けないまま知識がなかったこともあり、最期を看取ることができなかった事をずっと悔やんできました。16年の歳月を経て父も母と一緒に看取る事が出来たと思います。ずっと抱えてきた想いが遂げられ完結したと思いました。感涙しました。

最期は微笑んでいるような安らかな顔でした。胃瘻も経管栄養もせずに、点滴にも頼らなかったので口腔内も痰もなくとても綺麗で、四肢も浮腫は一切ないとても綺麗な身体で自然に枯れるように最期を迎えることができました。死亡診断書を書きに来てくださった往診クリニックの先生も、なかなかこのような綺麗な身体で最期を迎えられるのは珍しいと言ってくださいました。うれしかったです。

訪問看護の方が再度来てくださって、ホームのスタッフさんと一緒にエンジェルケアをしてくださいました。母の旅立ちはやはり着物です。うす化粧した母は父に会えてとても嬉しいのでしょうね。とっても綺麗で可愛い笑みをたたえています。

ホームからの旅立ちは敢えて顔を覆い隠さずに表玄関に運んでいただきました。日本では顔を隠して裏ドアから出る場合が多いようですが北米医療ツアーの仕事で何度も老人ホームやホスピスで亡くなった方がをそのまま顔を隠さず表玄関からごく普通に運び出しているのを見てきました。施設に事前に了解をいただいて実行出来たことを嬉しくおもっています。

終末期の方針を自分の意志を母のために貫けて本当に良かったです。何も悔いの残らない最高な看取りができました。

看取りの準備が必要だと余命の事を話してくださり、看取り準備の指導をくださった往診クリニックの先生、看取りの過程を支えてくださった施設のスタッフの皆さん、そして父が引き合わせてくれたと思っている訪問看護の皆さん、わずか2回とエンジェルケアだけでしたがこのご縁が間に合ってよかった!!!関係者の皆さんに感謝の気持ちで一杯です。

そして記事を読んで応援してくれたFBフレンドの皆さん、心強かったです。本当にありがとうございました。

エンジェルケアが終わったころ、従姉妹が駆けつけてくれました。本当ににうれしかった!!!トヨちゃん、ありがとう(^○^)母を乗せた車は2日に通った祇園界隈を再度経由して葬祭会場へ。母の弟(叔父)や従兄弟も駆けつけてくれました。

今晩は母の隣で眠ります。母もまるで眠っているようです。。。

明日が友引なので、明日通夜、明後日8日葬儀です。
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2015年母の看取り日記(19)

2017-04-04 15:02:33 | 介護・看取り回想
早いもので、4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(16) 2015年4月4日記

4月4日(土)
昨晩もずっと大きな声でしゃべっていました。「早く助けて〜」「どうしたらいいの」
「待っててね」「助けてくださーい」「ゆるさーん」。。。腕には頻繁に不随意運動が顕著に現れてきました。寝たかなっと思うも最長10分〜15分でまた喋り出します。。。そういえば父の時も同じような症状がありました。。。

朝はぐったり、ボォーっとしていて、ベッドからの移乗、トイレは難しく、そろそろベッドでの時間が長くなるんだろうか。。。と。ベッドからでもビデオが見えるように部屋のレイアウトを変更。車椅子もクッション性の高いソファのようなのが介護保険内でレンタルできるとのことで早速ケアマネさんにお願いしました。

一旦マンションに帰宅。手触りの良い毛布や、足に挟む(褥瘡予防)クッションなどを持ってマンションを昼過ぎに出発。途中デパートで前開きの寝巻きと薄手の下着、口腔ケア用品等を購入してホームに向かいました。

午後二時過ぎにホームに到着。やはり今日はずっと寝たままです。。。水分も一口程度しか飲めなかったそうです。

日中はほとんど言葉を発しません。口腔ケア用のスポンジで微量のお茶などで口元を湿らす程度。。。これにも抵抗があります。一昨日はあんなにノリノリなビデオを撮らせてくれたのに、桜も一緒に見えたのに。。。でも私のためにその機会まで頑張って持ちこたえてくれていたのでしょうね。。。

主治医の先生に今日の容態を報告しました。水分が摂取できなくなるとあと2〜3日だそうです。。。点滴を求める家族もいるそうで、どうしてもと家族が要望するときはごく少量だけ入れるのだそうです。。。でもそれによって血管の確保で注射針を刺す痛み、一発で確保できない場合や液漏れ、針を自分で抜いてしまうリスクなど。。。本人にはとても苦しいことなのだそうです。娘としては辛いけど、母にとって痛いこと苦しいことはなるべくしないことを貫くことにしました。

また夜間のせん妄もそばにいる家族がしんどいようであれば座薬で夜静かに眠らせるお薬があるとのことでしたが、せん妄にもちゃんと付き合う覚悟があるので処方依頼はしませんでした。

来週木曜から週一回の訪問看護の予定も急遽変更して、毎日30分入ってくださるようになり明日からスタートです。

今晩もせん妄が出ていますが、昨晩まで鮮明だった声も呂律が回らなくなっており、私を叩いたり掴んだりする力も弱々しくなってきました。

いよいよです。。。覚悟して、ガンバル。
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2015年母の看取り日記(18)

2017-04-03 18:45:00 | 介護・看取り回想
早いもので、4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(15) 2015年4月3日(その3)

今日は朝8:30くらいから母のホームへ。
今日は昨日とは異なりずっと精気はありません。水分摂取もほとんどできませんでした。。。

つい最近までは立位もよく自分でトイレで手すりにつかまって立ち上がったり、ベッドに仰臥位からベッドの淵に座位になるのも自分でできていたのですが、ほぼ毎回介助が必要になってきました。特にトイレは二人体制でなければ危なくなってきました。。。

ステロイド少量投与も食欲には効果はなかったようです。。。
約6日間便が出ていないのでテルミン座薬を入れていただきました。量はそれなりに出ました。何度もトイレで立ったり座ったりと昨日のドライブの疲れでしょうか、終日ポーっとしているか手を振り上げて叩こうとする拒否の繰り返し。。。本人が一番しんどいのでしょうね。。。可哀想。。。

昨晩も夜勤の方がどうやら父としゃべっているのか「早く助けて〜」「どうしたらいいの」「待っててね」「お父ちゃ〜ん、早く迎えに来て〜」という言葉を発していたそうです。

口を真一文字にして鋭い眼光で抵抗する表情はあの母とは似ても似つかず。。。むしろ父が認知症で抵抗していた顔つきとそっくりなんです。

先日往診の先生からいただいた「大切な人との別れの準備」の中に逝くことを受け入れるという項目があり、そこには次のようなことが書かれています。

「人が死に逝く数日前になると身体の働きは停止してくる段階に入ってきます・・・(途中割愛)・・・これはごく自然な身体のプロセスで、身体がその働きを終える準備をしているのです。この準備にはその人の人生でやり残したことをやって解消することや、残される家族がその人の死を受け入れる準備をして最終的に受容されることが含まれています。
死に逝く人はたとえそれで苦痛が長引くことになるとしても、残される人たちが大丈夫であることを確認するためにがんばろうとします。死に逝く人をこの気持ちから解放して安心させてあげることは、この時にできる家族の最善の行為です。」

娘として安心して逝かせてあげれるように、今は粛々と物理的精神的な準備を進めている感じです。。。

今晩は母のところに泊まります。

いろんなことがありますが、スタッフさんたちの協力もあって悲壮感は一切なく、みんなで母の挙動を温かく見守れるので本当にありがたいです。私一人じゃないという状態が本当に有難いです!お互いユーモアを忘れずに楽しく介護ができています。
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2015年母の看取り日記(17)

2017-04-03 18:42:14 | 介護・看取り回想
早いもので、4月6日は母の二年目の命日です。(大正13年生まれ、行年92歳)

一昨年に母を看取るまでの数週間書き綴った日記を少しずつ公開しています。(Facebookで公開したものです)

End of Life: 母との時間(14) 2015年4月3日記(その2)

4月2日(木)
自宅で眠れたので少し寝不足が解消しました。
朝8:00過ぎに行ってみると、朝全く起きれる状態ではなかった様子。ベッドで過ごしていました。

何故か枕元の壁の角っこばっかり身体をのけぞるようのして見つめています。夜勤の方がその一点ばかりをよく見ていると。。。父がいるんでしょうか。。。

施設の看護師さんが表情を見て、起きれる感じがするので介助して座位にしてくださいました。座位になるとやはり少ししゃんとなるんでしょうね。少しずつ身体が目覚めてくれた感じでした。昼前には清拭もでき、きよし君のコンサートビデオでを観る母の表情も久しぶりに快活!先のビデオでお見せしたようなノリノリの様子を見せてくれたんでした。ごく短時間での出来事でしたがやっぱりすごく嬉しかったです。

今日は快晴。桜が満開です。明日からしばらく天気が崩れる予報なので、お花見は今日を逃すとできなくなると思い、タクシー会社の介護キャブを13:00予約で手配しました。

高島新屋敷にあるホームから長年住んでいた家のある祇園界隈を回ってもらいました。懐かしそうに見てくれました。そして旭川の土手沿いにある桜並木を車窓から一緒に眺めました。約45分程度のドライブでした。

今日は平日だというのに道路は大渋滞!でも逆に車窓から満開の桜を堪能することができました。

母は街路に見える看板が珍しいのか大きな声で読み上げるんです。
「タマホーム!!!」「焼肉!!!」「営業中!!!」etc...
さらに
「岡電両備!!!」というので「え!?」と探すとバス停の名前まで( ̄▽ ̄)

一方桜は「綺麗じゃなぁ〜」というもののすぐ集中力が切れて「助けて下さ〜い」「うちにかえりたーい」と。また集中力が戻って「たくさん人がおるなぁ〜」「綺麗じゃな〜」と。。。母の魂が何を感じてくれたかわかりませんが私はこれから毎年旭川の土手の桜並木を見るたびに今日のことを思い出すのでしょうね。。。

今日のことは一生忘れません!

いずれ来る母の葬儀では氷川きよしさんの曲を流してあげようと考えており、今朝方選曲しました。選曲内容はまた母との思い出とともに書こうと思っていますが、ぴったりの曲ですがどうしても入れることんできない曲が一つあります。。。「櫻」という曲ですが、とても良い曲なのですが、悲しすぎます。。。

今日も夜勤さんにお任せできそうなので夜帰宅。

「櫻」
歌:氷川きよし 作曲:平尾昌晃 作詞:なかにし礼
月の光に 妖しく匂う
花はあなたの 横たわる姿
私が死んだら 櫻になるわ
それがあなたの 口癖だった。
櫻、櫻 夢かうつつか
ぼくを抱きしめる あなたの幻。

まるであなたの 涙のように
花が散ります はらはらと泣いて
春にはかならず 櫻となって
会いにいくわと あなたは言った。
櫻、櫻 花にかくれて
ぼくにくちづける あなたの幻。

空は明けそめ 薄紅(うすくれない)に
花は輝く 新しい命
愛する心は 永遠だから
春が来るたび あなたは帰る。
櫻、櫻 花でつつんで
ぼくを眠らせる あなたの幻。

愛する心は 永遠だから
春が来るたび あなたは帰る。
櫻、櫻 花でつつんで
ぼくを眠らせる あなたの幻。

















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