万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

さようなら2013年(平成25年)

2013年12月31日 | Weblog
                

                                                         

 喜ばしいことも、胸が痛むようなことも、不愉快でたまらなかったようなことも・・・・、今年も一杯あって、しかも未消化の

ままで今年も暮れて行きます。

 ですがこのように不甲斐ない私ではありますけれど、生かされて生かされて生きて大晦日を迎え、そして新しい年を迎えようと

していることは間違いのないことです。有難うとしか云いようのないことです。

 今日大晦日、いつものように新年を迎える準備を坊守、若院との3人で致しました。若坊守は出産を控えて今年は少し用心をし

ております。

 どうにか夕方までには準備が出来ました。

 除夜の鐘はPM11時45分から撞き始め、0時20分頃に撞き終え、続いて喚鐘を打って新年の勤行を「正信偈」で行いま

す。勤行後に住職が新年の法話をさせて貰って新年のご挨拶といたします。

 寒い中ですがご縁ある方はどうぞお参り下さい。


 今年も沢山の方々がこのブログ「大三島のつれづれ」にご訪問下さいました。有難く感謝を申し上げます。始めてからもう9年

になります。自分自身よく続いたものだと思いますが、これも偏に皆さまがご訪問下さいましたから続けることが出来たのだと思

います。本当に有難うございました。来年もどうか宜しくお願い申し上げます。
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今年も もう晦日

2013年12月28日 | Weblog
                   
                       鈴子さんの折り紙の馬

 バタバタと時は、加速度を増して今年も終わりに向かって走っています。

 ヤッと昨夕、年賀状を書き終えて郵便局のポストに投函いたしました。25日までと云うことで

したから、多分元旦に配達して頂けるのは半分もないだろうと思われますが、まァ、年末の大仕事を終

えてホッとしております。今年の年賀状には「山茱萸」の写真を使って見ました。若院はしまなみ

サイクリングをテーマにしたようです。(自分が自転車を走らせているからでしょう)

 昨日、東京小平市にお住まいの高山鈴子さん(旧姓重松)から来年の干支、午(うま)を折り紙

にした色紙が贈られて参りました。今回で辰、巳、午と3回目です。

 鈴子さんは確か私よりも4学年上の方だったと思いますが、お元気で、折り紙の趣味を持たれ、

今では東京のあちこちの折り紙教室の先生をされているのです。折り紙は相当頭脳を酷使する趣味

であるように傍目には思えるのですが如何でしょうか、

 私の干支は午、ですから来年は6回り目となるのです。72才になる駄馬と云うべきでしょう。
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真菰(まこも)

2013年12月23日 | Weblog
                       

画像は何であるかと云いますと、真菰(まこも)を編んで作られた菰(こも)製の「ほご」(この辺では藁製の籠を「ほご」と

呼びますが、これは藁製ではなく真菰製と思います)の中に旅用の茶道具や塗り物の食器などが一式入っています。これらの持ち

主は大正11年10月22日に38才で早世した、私の祖父に当たる慈朗の所有していたもので、処々への布教や所用で行く時に

いつも携えていたものと思えます。もう90年以上も昔日の道具なのですが、孫の私からすれば見飽きることのない遺品であると

云えます。

 真菰製の「ほご」の中に丸い刳り盆が仕込まれその上に仕服に入れられた朱塗りの応量器(食器)、そして黒柚肌茶碗、箸一

膳、塗り匙2、牙製茶杓、仕服に入った黒棗、茶筅筒などが納まっています。これらの茶道具は特別いいものと云う分けの物では

ないのですが、「ほご」や茶碗などが入れられている袋類は実は祖父慈朗が縫ったものであることは母や祖母が語っていました。

真菰の「ほご」も祖父が編んだものであるかもしれませんが、「ほご」の中に布で裏地をしつらえたり、松葉の刺繍を施した巾着

を付けたりしているのは祖父のしたことは一目瞭然です。

 祖父の生家、江田島の教法寺の祖父の父一来師は茶道「宗偏流」をよくした人で、明治維新に茶道の各家元が廃藩の為に浪々の

身となった一時期に宗偏流の家元が教法寺に寄宿したことがあったと聞きます。そのようなことからなのでしょう祖父慈朗の茶の

嗜みは相当のものであったことが今窺えるのです。

 今、足早に去り行く平成25年と云う歳を噛みしめつゝ、百年近くも前に急逝した祖父のことを遺品を通していろいろと思い巡

らしています。

 

 先日、大阪から帰郷されたご家族にお茶の趣味の方が居られ、その息女が高校時代の茶道部の師範が宗偏流であったと語られた

ことから、思いを巡らせたことでした。 
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松山の赤穂義士の寺

2013年12月21日 | Weblog
 昨日12/20、所用があって松山に赴きました。数年前にもこのようなことがあってその折は正岡子規の寺、正宗寺の子規堂

を拝観するご縁がありまして、このブログで紹介したことでした。今回も同じ通りをブラブラ散策していると「義士の寺」の看板

が眼に留まり「義士祭」が行われているのはこの寺だったのかと、ブラッと境内に入りました。

 先日の14日に義士祭が行われたことが報道されていましたが、東京の47士の墓所のある泉岳寺での義士祭はよく知られてい

ますが、実は松山でも14日の赤穂浪士討ち入りの日に義士祭が行われているのです。このことは愛媛県内の人は周知のことです

が県外の人には余り知られていないことと思います。私自身そのことへの認識は曖昧なものでした。いい機会と咄嗟に思って境内

に入ったのでした。

 この寺は臨済宗妙心寺派に属している禅寺で興聖寺と称されています。案内板によりますと、14日の討ち入り後47浪士は4

藩の江戸屋敷に分けて預けられて処罰の判決を待ちました。その藩の一つが松山藩の江戸屋敷だったのです。(現イタリア大使

館)松山藩の預かり浪士は10名で、大石主税、堀部安兵衛、木村岡右衛門、中村勘助、菅谷半之丞、千馬三郎兵衛、不破数右衛

門、大高源吾、貝賀弥左衛門、岡野金右衛門の10名でありました。

 元禄16年、2月頃全員切腹との達しがあって各藩邸庭で切腹が行われたのでしたが、松山藩邸での木村岡右衛門と大高源吾の

介錯をした宮原久太夫頼安は両人の遺髪を藩主の許可を得て松山に持ち帰り自分の菩提寺である末広町興聖寺墓地に丁重に葬り墓

石を建てたのでした。この両人は教養の高い人であり、またその両人の徳香に感応する介錯人宮原頼安の高邁な人格が偲ばれる行

実であると感動を受けたことです。

 両名の遺髪塚と介錯人宮原頼安の墓石は並んで建っていました。その墓地の奥まったヶ所に両名の辞世の碑が建てられて顕彰され

ていました。


             

   大高、木村、宮原の墓石   木村岡右衛門の遺偈碑  大高源吾の遺句碑

大高源吾については「忠臣蔵」でよく語られて来た人でありますからよく知られています。大高源吾は俳諧をよくした人で宝井其角に師事し、俳号を子葉(しよう)と称していました。
 討ち入りの前夜、大高源吾は大掃除用の煤払い竹売り屋に扮装して吉良屋敷辺を探索していた時、両国橋で師の宝井其角に出会いました。其角は「年の瀬や水の流れも人の身も」と発句で声をかけたのです。すると源吾は「あした待たるるこの宝船」と返句して討ち入りを仄めかしていると伝承されています。

 このように松山市駅から県立中央病院を結ぶ道は松山の歴史を再発見出来る道だと思います。時間のある時に散策探訪されては

如何ですか、何か発見があるはずです。
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平成26年の法語カレンダー

2013年12月18日 | Weblog
                     

 後数日で本年も終わり、否応なしに平成26年(2014)年が始まって行きます。やり残したものが一杯あるようで、ピリオ

ドを打って置かなければならなかったことも多々あるように思いますが、致し方ありません。謹んで新年を迎え、新たな年に委ね

ばなりません。

 平成26年の法語カレンダーを架けて表紙を眺めています。徳島県阿南市にお住まいと云うイラストレーター羽尻利門(はじり

としかど)さんの絵ーーお父さんに手を引かれた少女が桜吹雪の中を歓声をあげているーー。そして表紙の法語は

    称名(しょうみょう)とは
      み名を
     聞くことであります    足利淨圓

 足利淨圓先生のお言葉が掲げられています。本年の9月の法語の甲斐和里子(かいわりこ)先生の御歌
    
    み仏を呼ぶ我が声は
     み仏の我を呼びますみ声なりけり

 み名(南無阿弥陀仏)を称えるままがみ仏の呼び声、「いくら苦難があろうとも、耐えられないような悲しみがあろうとも、そ

のあなたとともにお浄土へ帰らしてもらうよ」と、私に常に寄り添って呼んで下さってある呼び声である「南無阿弥陀仏」のみ名

を聞くことであると、両先生がお示し下さってあります。

 実は、足利淨圓先生は甲斐和里子先生の甥御に当たられるのです。淨圓先生のお母さんは産後早世され淨圓先生はお母さんの

生家である備後神辺町勝願寺で祖父足利義山和上のもとで大きくなられ、和里子先生とは姉弟のようにして大きくなられたのだと

聞きます。

 淨圓先生は戦中戦後、大崎上島町の東野の沖の小島生野島(いくのしま)に隠棲されていました。その頃大三島からも淨圓先生

の高徳を知り先生のご講話に浴せんと艪舟を押して訪ねる同行(どうぎょう)も少なからず居たのです。また、万福寺のご法座へ

もご来講されたこともありましたから大三島のこの辺とも大変ご縁の深い先生であられました。 
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秋珊瑚(あきさんご)

2013年12月15日 | Weblog
                      

                                            

 庭の山茱萸(さんしゅゆ)の枯れ葉が木枯らしに吹き落とされると真っ赤な実が鈴なりになって現れました。「秋珊瑚」と呼ば

れているように赤珊瑚のように赤く照る実を見ていると何か急にリッチになった気分になれます。来年3月頃には若葉が出る前に

真っ黄色な花が枝に無数に付きますので「春黄金花」と呼ばれるのです。春も秋もリッチな気分になれる山茱萸の木です。


                     
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氷雨に濡れて咲く花

2013年12月13日 | Weblog
            

 夜来突風が吹き続けていましたが、朝になると雨に変わりました。それも氷雨かのように冷たい雨です。

 庭に出てみると、その雨に濡れながら水仙が早くも咲き始めていました。昨年は年末には咲かず今年の1月下旬であったように

思いますが、今年は年内に、それも寒波襲来の中に咲いています。11ヶ月にならない内に咲いているのです。???、水仙は清

楚で香り高く、しかもたくましい花です。

               
 先日の京都で床の間の懸けに「白侘助」の蕾が挿してありましたが、拙寺のは如何と行って見ると、雨に濡れそぼって何輪も

早、咲いていました。85㍉レンズを装着していましたので接写ではありませんが撮しておきました。
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旅日福建同郷懇親会(りょにちふっけんどうきょうこんしんかい)

2013年12月11日 | Weblog
                          

 先月11/12に一族16人が神戸からバスでお参りになられたS・Rさんから画像の様な書籍が贈られて来ました。S・Rさ

んは大戦中も戦後昭和25、6年頃まで大三島の口総に家族で生活されていた在日中国人の方なのです。その頃は日本名でH・H

と呼ばれていたのですが大三島の中学を卒業後神戸で働かれ、神戸の華僑界で信頼される地位を築かれたのでした。口総に住んで

おられた御両親ともに中国福建省の出身であることから在日の福建省懇親会のメンバーでその御世話をもされて来られたのです。

 先月のご法事は口総に住んでおられ、神戸で死去された御両親と長姉のご法事を懐かしい口総の万福寺で行いたいとご兄妹家族

で来山されたのでした。同級であった人に伝えてあったこともあって何人かの人が出迎えられたようで懐かしさ一杯の思いでご法

事にお参りされたようでした。

 在日の福建省出身者は全国に今6万4千人居られ、その会を「旅日福建同郷懇親会」と呼ばれ、昭和36年に懇親会を京都で行

って以来昨年で52回を数えています。S・Rさんは「神戸福建同郷会」の長年理事長をされ今はその顧問になっておられるので

す。

 あの大戦は日中戦争に端を発しているのですからその中を日本に在住することは苦渋そのもであったに違いないのです

が・・・、口総の方々に大変宣くしていただいたと喜びを語っておられたのです。

 いただいた記録誌(全519頁)は万福寺の書庫に保存いたしますので見てみたい方はお申し出下さい。

 
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鳥とまらず

2013年12月09日 | Weblog
                       


 5日の夕に研修旅行参加住職全員で会食の時間をもちました。会場は京都東山八坂神社の裏近くの亭で和食をいただきました。

そのお部屋の床柱に掛け花入れに、白侘助の蕾と紅葉した柳葉様の一枝が入れてありましたが、その一枝は何なのか不明なので、

仲居さんに問うと「・・・とりとまらずの木です」と教えてくれたのですが、一同ビックリ、皆初めて聞く名前なので「???」

「そんな木があるのですか!」、「棘があるからなのです」とのこと、いろんな名前の植物があるものです。


 自坊に帰って早速「牧野植物図鑑」で調べて見ると確かに「鳥とまらず」の項目がありましたが、①には「へびのぼらず」、②

に「鳥とまらず」とありました。ちなみに③に「こがねえんじゅ」とも呼ばれていることが知られました。「めぎ科」に属する木

で「なんてん」や「ひいらぎなんてん」などが属していて棘がある木が多いようです。名前はともかくとして紅葉した葉はあざや

かでやさしさがあります。

 和食が世界文化遺産に指定されたことを料亭の皆さん大変喜んで居られました。お料理も大変素晴らしいものでした。  
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龍谷大学図書館リニューアル

2013年12月09日 | Weblog
 本願寺式務部関係の拝観から続いてリニューアルした竜大図書館を寶壽寺村上弘徳師のご案内で見学させていただきました。本

願寺境内の南西隅に昭和7年に建造された地上4階地下1階の図書館なのですが蔵書の増加などで数年前より内部の改造工事が大

規模に行われ今春完成したとのことで、私ども竜大に学んだ頃の図書館内部の面影は無いほどに変わっていました。

 今、大宮図書館の蔵書は70万冊、深草や瀬田キャンバスの2図書館の蔵書を加えると200万冊の蔵書となるのだとのことで

、大学図書館としては蔵書数の多い大学だと思います。殊に大宮図書館には本願寺歴代門主の文庫である「写字台文庫」が移管さ

れたり、大谷探検隊のシルクロードからの文物などが保存されているなど貴重な文献が多くあります。それらは貴重本の地下収蔵

庫に保存されていて閲覧の機会は少ないのですがこの度は収蔵庫に入れていただき何点かを目の辺りに出来ましたことは眼福であ

りました。今回閲覧に呈された文献、「平家物語」(室町時代写本、覚一本)、「李柏尺牘稿」(大谷探検隊がローランで発掘し

た文書。重文)、「解体新書」など。収蔵庫の中でシルクロード発掘の西夏語経典断簡、などなど管見出来、胸のときめく時をも

たせていただいたことは有難く感じました。有難うございました。

 また、竜大大宮学舎本館で博物館学受講者による展示実習「今と昔の赤い糸 ーー婚姻の歴史と文化をたどるーー」が開催中だ

から是非見て下さいと、お勧めにより久し振りに本館に入らせていただき観覧いたしました。大変面白いテーマで、一般の人と見

られる人も多く来館されていました。

 私は帰りに本願寺前にある「龍谷ミュージアム」にも立ち寄り企画展「アジアの仏教」を拝観して帰途に着いたことです。



図書館玄関ロビーの左右にベゼリク石窟寺院の壁画が実物大に再現された陶板画が立てられています。 
                          龍谷蔵と写字台文庫の扁額 貴重本収蔵庫の内部。

龍谷大学本館(重文)

龍谷ミュージアム地階の紅葉
 
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