万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

ニューヨークから

2007年03月25日 | Weblog
 春彼岸の布教のご縁をいただいた菅原先生から、「ブログにコメントを寄せたのに見てないでしょう」とご指摘をいただきました。トラックバックになった状態のものに気づかずにいました。過去のものを調べてみたら、数件保留のままになったものがありました。
 その中に、ニューヨークからのお便りが。姉の同級生の和歌子さんからで、大三島にはもう5年も帰られてないそうです。せっかくコメント頂いていたのに、半年も気づかず失礼致しました。海外からも見ていただいているなんてとても感激です。そういえばタイに赴任中のご門徒さんもチェックして下さっているとお聞きしました。世界中で活躍されている大三島出身の方々とつながれるのは、ネットさまさまです。これからはこまめにコメントチェックしますので、みなさまどうぞコメント書き込んで下さい。
(大三島・岡山地区もやっと光ケーブルがきました。まもなく万福寺のホームページも光の環境に移行します。そのためプロバイダーが変更になりHPのアドレスが変更になると思います。ブログはそのままですので、その際は予めこちらでご案内します。) 若院
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瓦葺き

2007年03月23日 | Weblog
 お彼岸の入りから快晴の日が続いていますので本堂の瓦葺き工事がはかどっています。岐阜市の大野瓦工芸社の6人の職人さん達によって手際よく作業が進められています。終日急勾配の屋根の上での仕事ですからプロとは云え足腰は相当堪えるお仕事です。
 写真は本堂の裏側(西側)の屋根の状況です。現在正面の屋根が葺かれています。
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瓦葺き工事始まる

2007年03月20日 | Weblog
3/19日より本堂の瓦葺き工事が始まりました。建築会社と同じ岐阜の業者さんです。大三島に宿舎を借りて約40日をかけて屋根が葺かれるのです。
 昨日、本日と瓦が搬入されて来ました。三州瓦と呼ばれる三河で焼かれた瓦が使われます。万を超える瓦が梱包されたまま境内に積み上げられています。この瓦がこれから何十年、百年を越えてこの御堂を守ってくれるわけです。宜しくお願いします。三河で(愛知県)で生まれて大三島に生涯を働く瓦たちです。ご苦労さまです、ご因縁の途方もない広がりに沈思合掌。
 今日、明日とお彼岸と総永代経法座です。菅原先生の御法話軽妙且つ有難し。
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本山 白洲布教

2007年03月17日 | Weblog
 明日から、本山(本願寺)での春の彼岸法要が始まります。期間中、本山と大谷本廟(親鸞聖人とご門徒方のお骨が納められている場所)の境内で、若手布教使によるリレー法話があります。これを白洲布教と呼んでいて、本山での研修を終えた私も、明日、明後日の二日間、これに参加します。明日は、本願寺で、明後日は大谷本廟にいます。お近くのご門徒さん、是非お参り下さい。
 二日間の布教の後は、すぐ大三島に戻り、20日、21日と万福寺春彼岸法座をお勤めします。今年は、本堂の改修中で永代経法座もあわせてお勤めします。ご講師は、山陰教区の菅原先生。インターネット上の「日々あらたに」というサイトで、わかりやすく、現代的な感性でお法を伝えられています。感動的な文章には、いつも心うたれます。私自身、この度のご縁を楽しみにしています。みなさま、是非お参り下さい。(若)
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お彼岸法座

2007年03月14日 | Weblog
 春のお彼岸法座を永代経法座と併修で営みます。
仮本堂でのご法座でありますのでご不便をおかけして
おりますが、お繰り合わせてご参詣くださいませ。
日時は3/20午後1時始め、3/21午前10時始め
 ご講師さんは山陰の温泉津町西楽寺のご住職菅原昭
生先生でございます。余りにも名高い在野の宗教詩人
浅原才市翁がよく聴聞に参詣された寺の一つが西楽寺さん
です。
 たくさん残された法悦の歌の中からを2、3紹介してお
きます。

   才市や、ありがたいのが、どして知れた
   わしがつまらんで知れたのよ、
   親のおかげよ、

    闇が月になるこたア出来んのウ
   月に照らされ、月になる。
   才市が仏になることできぬ。
   名号不思議に照らし取られて、
   なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

   わたしゃ、あなたにおがまれて、
   たすかってくれと、おがまれて、
   ごおんとうとや、なむあみだぶつ、
(読みやすくするために適当に漢字に換えたところがあります)

 才市さんは昭和7年に島根県温泉津で83才でなく
なっています。50才頃までは船大工職で北九州辺りで
働いていたのですが、50才頃から郷里に帰り、下駄を
作りながら聞法生活を続けられました。仕事の折々、聞
法の折々に口から出てくる法悦歌をカンナ屑に書きとどめ、
夜な夜なノートに清書された詩集が80冊も残されたと云
うことです。
 額(ひたい)に角を描かせた肖像画のこともよく知られ
ています。

 春のお彼岸さんにどうぞどうぞお参り下さい。

   掲載の写真は「王冠」と名付けられている椿の蕾
   です。咲くと非常に豪華です。珍花と云うべきで
   しょう。

  

  
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朝に紅顔ありて

2007年03月11日 | Weblog
 掲載の写真は何だか判らないと思います。これは御煎茶を点てる時に使う
茶合と云う道具なのですが。この二つとも万福寺の先々代住職慈朗法師の手
作りになるもののようです。両方とも煤竹で作られていますが、興味をそそ
るのはどちらにも印刻刀で漢詩が行書体で彫り込まれていることです。
 写真の右のものには制作の年号が彫り込まれていますので製作年次が良く
わかります。「明治已酉仲春 於教法精舎階上 慈朗」とありますから明治
42年の今頃の季節でしょうか、製作場所は江田島の教法寺の庫裏の2階居
室であることが分ります。年齢は25才、万福寺へ入寺する前年の年に当た
ります。この茶合の詩は表が「廬せん」の「去国三巴遠云々」裏側には細か
い刻りで白楽天の「慈烏夜啼」の詩が全て刻られています。
 写真左の茶合は万福寺へ入寺以後の製作と思われますが、右下に髑髏が彫
られていて、平安時代の21才で早世した優れた歌詠みでもあった藤原義孝
の七言絶句「朝有紅顔跨世路 夕成白骨朽郊原」(朝に紅顔あって世路にほ
こり、夕べに白骨となって郊原に朽ちる。「和漢朗詠集」)
 この詩は蓮如上人が「白骨の御文章」に使われていますのでよく知られて
いるものです。
 慈郎法師は大正11年秋38才で境涯を終えています。現住職である私の
祖父に当たるのですが、遺されている数少ない遺品類を通して祖父と真向か
いとなる時をいつしか楽しむようになりました。
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春は曙

2007年03月07日 | Weblog
宗門立(本願寺)の龍谷大学で「第4回青春俳句大賞」の選考発表をネット上で見ました。
 高校部門(中学、高校、大学、英語の4部門)で大賞に選ばれたのは何と、大三島の隣島にある伯方高校3年森 保緯さんの句であったので紹介しておきます。
  春は曙鍵付の日記帳
 いかにも青春といったほのぼのにやりとする名句である。五七五の形式を踏んでいないことも気にならない。
ちなみに優秀賞3句も紹介しておきます。
 夏の月牛のどさりと生まれけり     東京開成高2年  森田貴之
 授業中せ・し・す・するせみの声    大阪吹田東高1年 中川明紀
 秋草になら泣く訳を話そうか       松山東高 1年  河野光梨
 何れも若いいのちの感性の鋭さが感じられます。           
    写真ははなやかに軽やかに咲いている「雛桜椿」     住職
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昭和8年3月

2007年03月06日 | Weblog
掲載の写真は昭和8年36日と明記されている集合写真です。
右書きで「慧光日曜学校五周年記念」と見られます。これは大三島
宗方の旧公会堂で行われていた日曜学校の開設5周年の記念写真で
あることがわかります。前から2列目中央が万福寺前住職浅野三智、
その右が小学校の渡辺禎四郎先生、住職の左が古重俊昌法務員、小
笠原稔さん、次の人は不詳、小笠原藤吉総代の顔がみられます。当然
全て故人です。前列の生徒の全員の左手にお珠数が見えるのが印象的
です。この写真の70名近い生徒も果して何名存命されているのでし
ょうか?多分亡くなっておられる人の方が多いかも知れません。
 ですが、このように培われて来た精神風土に頭が下がります。
                            住職
 
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