万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

四田観水(よつだかんすい)さんのこと

2011年11月21日 | Weblog
                  
                  菅千恵さんにいただいた四田観水筆
                   「名 月」
 過日今治桜井の菅公孝(菅自動車)さん宅の報恩講にお参りにうかがいました。お参りの後、いろいろお話をうかがっている中にお床のお軸についてのお話になりました。そのお軸は草原に2匹の黒牛とその上にくつろいでいる数人の牧童が描かれている牧歌的な雰囲気が漂うている珍しい絵でした。画かれたのは四田観水と云う方で公孝さんの妻千恵さんの大伯父に当たる人であるとのこと。今治の近見のご出身で若き時画業を志して上京し横山大観らに師事し日本画を学ばれた方であるとのことでした。色紙も何枚か画いてもらっていますので、・・・とて見せて下さり、その中の「名月」と題された色紙を是非貰ってくださいと云われ頂戴することにしました。その色紙を手に取ってしげしげと見せていただきましたがどうしても横山大観画伯との画風が違うので「????」、しかし落款の「観水」には見覚えがあります。拙寺に一冊の伝来の画帳がありましてその中に山水画が数点画かれていてその中に「観水」のサインがあるのと同じ筆跡に見てとれましたので、そのことを伝え、よく確認してお知らせすることにいたしました。

 寺に帰って早速に頂いた「名月」の色紙と画帳の山水画を照合して見ました。画帳には観水筆のものが2点ありました。その1点には「大正甲寅」の年号が記されていますから大正3年に当たり観水20代前半頃のものと考えられます。もう一点もしっかりした筆致で山水が画かれています。落款の署名には年齢の隔たりはあるにしても同一人物であることは疑う余地はありません。画帳の2点の山水画(小さいながらも)は横山大観の画風を彷彿とさせるものがあります。
 しかし、この「名月」や菅公孝さん宅の床の絵との画風の違いはどう理解すべきなのか・・・・、観水さん晩年の90才前後の絵であるとしても余りに画風が相違しているのは何故なのだろう、???。

 全く手がかりもありませんので、ネットで調べることにしました。「今治おもしろ百科」のHPなどで四田観水の記述を拾い読む中に、同じ郷里の出身で横山大観の弟子大智勝観によって大観の弟子となり日本画の研鑽を積み大正8年に院展に「高原の夕」が初入選以来郷里の風景をモチーフとして作品を画いていたようですが、昭和初期にアメリカに渡りアメリカで創作活動をしていたことが知られました。いつの頃帰国されたのかは知り得ませんが、菅公孝、千恵さん宅で見た軸「草原の牛」の絵や頂いた色紙の「名月」の絵はどうもアメリカで学ばれた画風のような思いがいたします。アメリカの心象を画かれたものと解すべきでしょう。「名月」もアメリカの月、コロラドの月の心象かも知れません。

 今治城の展示ホールや松山の県立美術館に観水さんの作品が収蔵されているそうです。

         
        観水さんの大正初期の作品
        (万福寺所蔵)

                              
                              同じく山水画
 
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