私の74年の人生で今年のように天候不順、大荒れの年はなかったように感じております。変な、変なと思っている内に10月も早3日、慌てて10月の法語アップを行っています。
まどいの眼には見えねども ほとけはつねんい照らします
正信偈の原文は 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(煩悩に眼倦を障えられて見ずといえども 大悲倦きこと無くして常に我を照らしたもう)
親鸞聖人が源信僧都の『往生要集』のご文を引用されているカ所ですが、如来さまの純粋で無蓋の大悲を的確に云い得ているご文であります。親鸞聖人このご文を和讃にも詠じておられます。
煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり
私の祖父慈朗は大正11年秋、37才で他界しておりますから孫の私は全く知りません。しかしこのような行実が伝わっております。慈朗がまだ万福寺に入寺する前の20代前半の頃のことでしょうが、人生の大きな問題にぶち当たり相当苦悶したことがあったようです。そうした中、朝のお参りの折、このご和讃「煩悩にまなこさえられて・・・・・・・・・」をお唱えした時、忽然として他力信心の深心に触れることが出来たのだと云います。
このようなご縁もあって、このお言葉には一入味わい深いものがあります。