咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

明治後期のコクーンシティの地

2017年01月03日 | 日記
明治43年実業新聞社出版『大宮案内』に所載の大宮町全図右側(南)を見る。
赤で示した道を大正13年の地図に(回転して)示すと概ねこのようになると思う。
現在の地図では概ねこのようになると思う。
さいたま新都心駅東口のコクーンシティ周辺は大正13年の地図では片倉製糸場、明治43年大宮町全図では愛光舎と表示されている。

大宮市史年表には「明治34年5月、大宮町に片倉組大宮製糸場設立」とあり、「大正5年6月、片倉大宮製糸所が大宮町仲町から吉敷町の現在地に移転」とある。現在のコクーンシティ周辺の地は、片倉大宮製糸所が移転する前は愛光舎があった。

大正3年埼玉時事新聞社出版『大宮案内』は畜産業のところで、種牛牧場をこのように案内している。
愛光舎は角倉賀道氏の経営する大牧場で、明治38年9月中山道東側の松林を開拓して設けられたものとある。
明治43年埼玉県出版『埼玉県之産業』には “ 愛光舎大宮種牛牧場は北足立郡大宮町にあり角倉賀道の経営に成り明治三十八年の創設にして面積三十町歩玉蜀黍を耕作し五萬貫以上の埋蔵庫三棟を建設し年年海外より純粋種牛を輸入し現今三百余頭の「ホルスタイン」種「ブラウン」種「ゼルシー」種及多数の山羊を飼養し種畜として各府県に販出し熱心に畜産の改良を計れり中山道大宮駅より十町の東方にあり ” と記述されている。
平成2年大宮市教育委員会発行の写真集に所載の「角倉牧場」(大正元年)の写真

愛光舎大宮種牛牧場の経営者角倉賀道氏については、日本ジャージー登録協会HPからジャージーの歴史を見ると “ 角倉賀道は愛光舎牧場を明治32年(1889)東京府巣鴨に創設、次いで明治38年(1905)に埼玉県大宮に愛光舎大宮種牛牧場を作り、ホルスタイン種牛の大量輸入も併せて行った。” と記述されている。

また牛の博物館から企画展プレーバック、ミルクの夜明けの「江戸・明治期から戦前の乳利用」を開くと、牛乳容器の変遷と衛生の項で “ 明治32年(1899)には愛光舎の角倉賀道がアメリカの状況にならって細口色つき瓶を打栓し、蒸気殺菌した「減菌牛乳」を販売 ” との記述がある。

豊島区公式ホームページから文化、郷土資料館を開いて、ミルク色の残像─東京の牧場展─を見ると、角倉賀道氏は豊島区における牧場の先駆者の一人にあげられている。

角倉賀道氏は医師でもあった。明治28年東京牛痘館出版『種痘全書』巻末の囲み
大正10年の官報に痘苗の広告を出している。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 北区奈良町から宮原駅西口まで | トップ | 中浦和駅から大戸経由別所を歩く »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
種痘痕について。 (みやのこ)
2017-01-11 06:46:13
おはようございます。
記事のおしまいに種痘の事が出てましたけど、むかしある推理クイズで種痘のネタがあり、それによると1976年以降に生まれた方より、天然痘がほぼ地球上から絶滅し、その事で種痘をしなくてもよいと書かれてあったのを覚えてます。

それゆえに中年期いじょうの方だと、種痘痕がある(私もあります)ゆえ、その推理クイズで知るまでは全く知らなかったから、成る程だなと思った次第であります。

以上をもちまして、私はこの辺にて失礼します。
種痘の痕 (咲いた万歩)
2017-01-11 07:20:56
おはようございます。
種痘の痕を気にする人もいるようですが、私の世代はみんなありましたから、あって安心でした。
では、失礼します。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。