咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

鴨川第一調節池を昔の地図で見る

2016年09月19日 | 日記
2016年09月13日ブログで私は鴨川第一調節池の付近をこのように歩いた。
県道2号(旧国道16号)の鴨川に架かる橋(加茂川橋)の上で上流を見た。
この橋の場所を大正13年の地図に赤丸で示す。橋の上流は川幅が広く、沼のようにも見える。
現在の県道2号とほぼ重なる道は川越新道で、この頃は西武大宮線の線路道でもあった。沿道にひらがなで「うちの」「なみき」「おほなり」と表示されているところは西武大宮線の駅だと思う。

昭和24年の地図を見る。鴨川は改修され、川幅は一定になった。
大正13年の地図に改修後の川筋を描くとこのようになると思う。
昭和52年の地図を見ると、鴨川の西に並行する小さな川がある。青で強調する。
この川を大正13年の地図に描くとこのようになると思う。鴨川が沼のように幅が広かったころ(改修前)の西側の線と大雑把に重なる。
現在の地図にその川を描くとこのようになると思う。

鴨川と鴨川第一調節池を大正13年の地図に青で描くと大体こんな感じになるのではないかと思う。
そして2016年01月10日ブログで触れた鴨川第二調節池は下の方、こんな感じになるのではないだろうか。
いずれも、かつては沼のようなところだったと思う。

明治18年頃の地図を見る。川越新道はまだなく、赤丸は並木橋である。鴨川は数個の沼の連続になっている。
現在の第一調節池および第二調節池あたりと思われるところを青で示す
紀州御鷹場村絵図の並木橋(赤丸)の上流は「並木沼」と表示されているが、並木村、櫛引村に隣接する大きな沼である。
明治18年頃の地図で並木村、櫛引村に隣接する範囲を見ると、江戸時代の並木沼はこのくらいの大きさではなかったかと想像してしまう。
ちなみに紀州御鷹場村絵図で鴨川流(青枠)と表示されるのは藤橋(赤丸)の下流である。
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