咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

見沼区新堤付近を明治の地図でみる

2017年07月16日 | 日記
2017年07月07日ブログで私は不食供養塔を見た。
案内板には東西の道について、このように解説されていた。
不食供養塔は黄丸の三差路の近くにあった。
案内板にある東西の道と思われる道を赤で示す。青丸は旧半縄橋で、半縄河岸はこのあたりにあったと思う。
不食供養塔案内板には南に延びる道について、このように解説されていた。
先ほどの地図に南に延びる道を赤で追加するとこのようになると思う。緑は日光御成道。
明治13年の迅速測図を見る。先ほど現在地図に赤と緑で示した道を迅速測図に描くとこのようになると思う。

天保期の日光道中絵図には宮下村から分岐する原市道が描かれている。
この分岐点は迅速測図のここだと思う。日光御成道から分岐した道を原市方面に赤で辿る
2017年06月22日ブログで私は北区奈良町から岩槻の加倉への道を迅速測図で辿った。加倉方面はこのようだった。
日光御成道から原市方面に延ばした道と同じ道になる。
そこから奈良町方面はこのようだった。このY字路右に辿ると原市町である。

2017年07月07日ブログとその翌日ブログでこのような道を綴った。
その道を迅速測図に描くとこのようになると思う。迅速測図に道がないところは緑で描いた。
神社と寺の地図記号を赤丸で示す。
現在の地図のここ(赤丸)だと思う。
稲荷神社新堤観音堂だと思う。
新編武蔵風土記稿の新堤村に記載の稲荷社と観音堂だと思う。

新堤観音堂のお地蔵様は享保8年(1723)の造立だった。
ウィキペディア見沼代用水の歴史には、
1629年 見沼溜井が造成される。
1727年9月 工事開始。
1728年2月 完成。3月より水利が始まる。
とあり、新堤観音堂のお地蔵様が造立された時(1723)は見沼溜井の時代だった。お地蔵様は水をたたえた見沼を見ていた。
稲荷神社御由緒にはこの神社は大宮台地上に鎮座するとあった。
ウィキペディア見沼に掲載の見沼を水色で表示した地図を見る。拡大し、見沼代用水東縁がクランク状に曲がるところを青矢印で示す。そこは迅速測図のここ(青矢印)だと思う。
見沼代用水が出来る前、新堤村あたりの見沼溜井はこんな感じで広がっていたのではないだろうか。
稲荷神社は大宮台地の端っこに創建されたのだと思う。
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