咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和二十二年九月洪水氾濫図をみる

2016年10月17日 | 日記
平成20年発行埼玉県立文書館編『古地図を楽しむ』所載の昭和二十二年九月洪水氾濫図のさいたま市周辺を拡大する
浦和市と表示(文字)がある西の荒川左岸に赤点がふたつある。赤点は決壊箇所だと下にある
昭和二十二年洪水氾濫図は当時の埼玉県河川課が被害状況をまとめたものである、と説明されている。

荒川に架かる橋の描かれ方を見ると上江橋と治水橋は「永久橋」、羽根倉橋と秋ヶ瀬橋は「冠水橋」のように見える。
ウィキペディア上江橋によれば、永久橋の開通は昭和32年3月である。昭和二十二年九月洪水氾濫図のベースになっている地図は昭和22年当時の地図ではないようである。本日はこの地図の製作年代を探ってみる。

昭和二十二年洪水氾濫図には国道17号が表示されている。
ウィキペディア国道17号によれば、昭和27年12月4日、新道路法に基づく路線指定で旧9号がそのまま一級国道17号(東京都中央区 - 新潟県新潟市)として指定された。昭和22年当時は国道9号だったということになる。
旧国道16号は判読しにくいが、129号と表示されていると思う。
ウィキペディア国道129号によれば、昭和28年に二級国道129号に指定され、昭和38年に一級国道16号になった。

さいたま市を構成する旧岩槻市はウィキペディア岩槻市によれば、昭和29年7月1日に南埼玉郡岩槻町が市制施行して岩槻市が発足した。昭和二十二年洪水氾濫図には岩槻市と表示されている。
さいたま市を構成する旧与野市は昭和二十二年洪水氾濫図には与野町と表示されている。
ウィキペディア与野市によれば、昭和33年7月15日市制施行により与野市となった。昭和二十二年洪水氾濫図は昭和33年7月以前に製作されたものと思われる。

昭和二十二年洪水氾濫図には美園村の表示がある。
ウィキペディア美園村によれば、昭和31年4月1日に戸塚村・大門村・野田村が合併し美園村となる。
昭和二十二年洪水氾濫図には美笹村の表示があり、その下に戸田町がある。
ウィキペディア美笹村によれば、昭和32年7月20日に戸田町に編入合併され消滅する。

以上のことから、昭和二十二年洪水氾濫図のベースになった地図は昭和31年4月1日から昭和32年7月20日までの時期に製作されたのではないかと思われる。洪水の約10年後になる。

ところで秋ヶ瀬橋は「冠水橋」のように描かれているのであるが、昭和13年に「永久橋」の秋ヶ瀬橋が完成していた。
JSCE公益社団法人土木学会サイトの戦前土木絵葉書ライブラリーに秋ヶ瀬橋の写真がある。全景。左側拡大と右側拡大を結合した

荒川の西に足立町の表示がある。
ウィキペディア志木市によれば、昭和30年5月3日に志木町と宗岡村が合併して足立町が発足する。そして昭和45年10月26日市制施行に伴い名称変更、志木市となる。
昭和48年与野市発行『私たちの与野市 市制15周年記念』の挿入写真産業の大動脈(新大宮バイパス)を見ると、道路案内標識に右方向6Km足立と出ている。昭和45年10月に志木市となっていたのだが・・・。
この道路案内標識の交差点は上峰信号交差点だと思う。
現在の道路案内標識

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 夜の大宮西口駅前風景 | トップ | 八幡通り~西大通り~せせら... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。