咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和32年頃大宮鳥瞰図を見る (3)

2016年10月13日 | 日記
昭和32年頃大宮鳥瞰図で大宮中央通りの市役所の東を見ると、東中学校の向かい側に洋裁高女校というところがある。
昭和36年の空中写真を見る。左端は大宮駅である。
東中学校と洋裁高女校のあたりを拡大する
現在の地図で見る。洋裁高女校はザロイヤルダイナスティさんのあたりと思われる。
2015年01月30日ブログのザロイヤルダイナスティさん。2011年7月の写真
昭和52年の地図には出雲会館と出ている。

昭和57年発行『大宮市史 第四巻 近代編』には大宮洋裁女学校についてこのように記述されている。
出雲会館の地に校舎が誕生したとある。昭和32年頃大宮鳥瞰図の洋裁高女校は大宮高等洋裁学校のことだと思う。
現在は大宮開成高校になっている、とあるので大宮開成中学・高等学校HPの学校概要を開くと沿革が載っている。大宮洋裁女学校創設から始まっている。
平成元年発行『続大宮市史Ⅰ 現代資料編』に掲載の埼玉新聞資料(「大宮高等洋裁学校の教育」「開成高校の開校」)。
学校HPの沿革には昭和34年2月現在地に移転とあったが、昭和34年1月9日の埼玉新聞によれば昭和34年度は旧校舎を使用したと思われ、もしかしたら現在地への移転は昭和34年度の2月だったかも知れない。

先ほどの昭和36年空中写真は学校跡地が写っているということになると思う。
昭和36年空中写真で新校舎(現在地)を見る。
現在の空中写真を見る。
2016年02月15日ブログの大宮開成中学・高等学校

昭和32年頃大宮鳥瞰図で洋裁高女校から開成高校新校舎に向かう道を辿ると、屠殺場と塵芥処理場が並んでいる。塵芥処理場には煙突が描かれている。
昭和8年大宮町全図でそこを見ると町立大宮屠場と町立塵芥焼却場がある。
昭和52年の地図でそこを見ると塵芥処理場はあるが、屠殺場はない。
昭和51年の大宮市地図で与野市境界近く線路際を見ると大宮市屠畜場がある。
大宮屠場は昭和36年まで堀の内町あったと思われるが、昭和38年頃の廃屋となっている旧大宮屠場の写真を見ると、奥に煙突が見えている。塵芥焼却場の煙突だと思う。
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