まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

『サラバ!』

2017-07-20 15:16:56 | 

  

サラバ!
1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。
父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。
イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。
後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずに――。

一家離散。親友の意外な行動。恋人の裏切り。自我の完全崩壊。
ひとりの男の人生は、やがて誰も見たことのない急カーブを描いて、地に堕ちていく。
絶望のただ中で、宙吊りにされた男は、衝き動かされるように彼の地へ飛んだ。

作者の西加奈子さん。テレビで何度か拝見したことがある。
いやあ、お若い。そしてよくしゃべる。関西弁で次々と、言葉がよく出るなあ、ちょっとうるさいか、なんての感想。
その加奈子さんのしゃべりが文章になるとこうなるのかという気がして。

僕はこの世界に、左足から登場した。
母の体外にそっと、本当にそっと左足を突き出して、ついでおずおずと、右足を出したそうだ。

という衝撃的な書き出しの文章で一気に小説の世界に引き込まれて、上下の分厚い本も抵抗なく読破。
いやいや抵抗なくといえばちょっと嘘になる。

主人公、圷(あくつ)歩君 いつもおずおずと回りを見て都合よく生きている歩君は、つまりあまり魅力的じゃない。
が正直な感想。(「つまり」と言い換えて断定する文はよく出てくる)君に共感はできない。

 (西さんのイラストです。表紙はこれらの絵を分割して構成したそうで。)

自分にはこの世界しかない、ここで生きていくしかないのだから、という諦念は、生まれ落ちた瞬間の、
「もう生まれて」しまったという事実と、緩やかに、でも確実に繋がっているように思う。

甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。
「お前は、いったい、誰なんだ。」

なんてね、こんな男の子がいくら頭がよくて見栄えが良くてそれなりに社会生活を送っていても魅力的なわけがない。
それでも、この小説には私を引っ張ってくれる力があって読後感はけっこう爽やかだった。
それには歩を取り巻く超個性的としか言いようのない女性たちの生き方がある。

母 姉の貴子 母の妹夏枝おばさん 近所の矢田のおばちゃん 大学友人鴻上さん。
彼女たちの人生の浮沈が激しくて、あまりに自己が強すぎてそれがぐいぐいと生きて心地よくて。 

もうひとり。ヤコブ エジプトで友達になったエジプシャンだ。
アラビア語でもない日本語でもないヤコブと歩にしかわからない言葉。
今でも覚えている、別れの言葉「サラバ。」
さようなら。様々な意味を孕む言葉「明日も会おう」「元気でな」「約束だぞ」「グッドラック」「ゴッドプレスユー」、
そして、「僕たちはひとつだ」「サラバ」は僕たちを繋ぐ、魔術的な言葉だった。

小説のタイトルはここからきている。

そしてこの小説には心揺さぶる言葉が随所にある。
そのほとんどは、家から出ず食事もとらなく「ご神木」などとあだ名を付けられた姉の貴子が
その状態から抜け出して、自分で自分の世界を歩きだして放つ言葉。たとえば。

そう、揺れている。歩には芯がないの。」「自分だけが信じられるもの」
「今まで私だけが信じてきたものは、私がいたから信じたの」

「あなたも信じられるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。ほかの誰かと比べてはだめ。」
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」
『歩、歩きなさい。』

歩は、アラブの春、東日本大震災後再びエジプトへ行く。初めて自分から行動して、自分の意思で。
僕は生きている。
生きているということは、信じているということだ
僕が生きていることを、生き続けていることを、僕が信じているということだ。

なんてことをようやく言えるようになるのよ。30代にして。長かったといえば長かった。

エジプトで再会したヤコブと歩。
「サラバ。」そこには僕たちのすべてがあった。
「サラバ!」
二度目の別れ。僕たちは「サラバ」と共に、生きてゆく。
サラバ! 小説家になろうと決心した歩が決めたタイトルでもある。

終盤に向かって話は怒涛の勢いで進んで。

最終。歩は生まれた地、イランのテヘラン空港に降り立つ。
「僕は左足を踏み出す。」

歩は左足から此の世に登場して、ようやく自分を生きていこうと左足を踏み出す。
うーん、なかなかです。

昨日、157回直木賞が決定したのね。
ちなみに「サラバ!」は152回直木賞、2015年本屋大賞2位を受賞している。

コメント
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