井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「遣日使」が示す、日本の優秀性について

2017年06月01日 | 日本語

 

 

とかくギスギスした話題が多い昨今、本日は敢えて悠長な話題を取り上げてみたいと思います。

 

田中英道・東北大学教授が「遣日使の方が多かった917世紀の日本と

東アジア」として季刊「日本文化」平成17年夏号)に記されていることですが・・・・

 

今まで私たちは、日本が隋や唐から日本より優れた文化を取り入れようとして、遣隋使遣唐使を盛んに送った、と学びました。

 

これに対して田中氏はこう述べています。

 

 

 

「これは日本の歴史において、常に外国から学び、模倣することから日本

文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界

における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたので

ある。遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証

拠である」

 

日本側の史書にも、遣唐使の何倍もの使者が唐から日本に来た、と田中氏は説きます。

 

そう言えば、聖徳太子のあの有名な言葉、

 

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」

 

教えを一方的に乞うにしては、随分「頭が高い」挨拶文ではありますね。

 

日本書紀には、「唐人を乗せた船が余りにも多く押し寄せたので、防人たちはすわ侵略軍かと思い弓を射た」という記述があります。

 

当時の日本の総人口は1000万人もいないので、人口比で言えば2万人の唐人が押し寄せたのと同じ、という計算をする人もいます。

 

日本から何かを得よう、教えを請おうと渡って来たのは唐のみならず、新羅や渤海からも来ていました。正倉院の宝物は、日本人が持ち帰ったものではなく、彼らが持ち来たったものであると学者も見ているそうです。

 

然るに、「けんにちし」を変換しようとしてもパソコンの語彙に「遣日使」はないように、私達の脳内にも「遣日使」は存在しません。

 

これは、いかなる現象でしょうか。

 

それと共に連想するのが「朝鮮使節団」の存在です。

 

 

江戸幕府では、彼らを「将軍に貢物を持ってくる」すなわち朝貢使節団という扱いでした。

 

然るに韓国側では、あたかも「文化の劣る日本に、ウリの高い文化を教えてやりに行った」と主張。

 

ちょっと考えればそういう片務的関係なら、貢物など必要もなく第一、日本に何度も行列をなして訪れることもないのです。

 

そして朝鮮通信使が、日本文化の思わぬ高さに驚きまた羨み妬む心情を彼ら自身が書き記しています。それが「日東壮遊歌」です。

 

そういう歴史事実が歴然としているというのに、日本で行われる朝鮮通信使のイベントは、あたかも対等の関係であったように設えられ、どうかすると韓国人まで参加して、「ウリの秀でた文化を、列島国日本に伝えてやた」というニュアンスのお祭りにすり替えられ、それに安倍昭恵氏などが賛同して、乗せられやすい日本人が多いのは困ったことです。

 

さんざんコケにされながら日本で催される「日韓友好祭り」という片務的祭典に外務大臣や高円宮家久子殿下と共に、ビビンバの大鍋をかきまわし、キムチをぱくついてみせるのも安倍昭恵氏です。

 

いいかげんにされたい。と書くとすわ井沢はアンチ安倍政権と短絡なさる人々がいるので困るのですが、国民から付託をされているわけでもないのに、余計な言動をなさるから篭池問題で、安倍内閣の足を引っ張りもします。

昭恵さんも総理夫人としての肩書でどうしても何か発言してみたいなら、「遣日使」の史実をこそ。韓国側の日本貶めに加担なさって、どうなさいますか。

 

 

 ■「遣日使」 文化の発信者としての日本 

 

http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/720a007506333b559a182730e014979a

 

 

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2 コメント

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Unknown (りさ)
2017-06-01 06:58:22
おはようございます。

遣日使のお話、改めて勉強になりました。

「朝鮮使節団」の絵巻を以前見たことがありますが使節団を間近で見ている日本人たちの顔がなんとも迷惑そうな顔ばかりで、確か書物にも所構わず排泄し遠慮のない様も記されていたと聞きました。

昔からかの国はこんな感じだったのでしょうね・・
お忙しいと思い遠慮しておりましたが、どうしても書きたいこと。 (しほ)
2017-06-02 21:57:54
伊沢先生、本日の記事、ありがとうございます。

私の敬愛する伯父が、次のステージへの旅立ちの時を迎え、今世での最後の命の灯火を燃やしているのですが、その伯父の最大の関心事が、卑弥呼は東遷したのか、したのであればどうしてなのか、どこからなのか、というようなこと。

そして、日本と朝鮮半島ととの関わり、まさに渤海、遣日使のことで、伯父が在籍した研究会で講師として発表した際の議事録を昨日読んだところでしたので、この、ちょっと不思議な巡り合わせに涙するとともに、これは良いことを頂戴できる兆し、私の行動を伯父が肯定してくださったのだと、元気をいただいたのでした。

これは本当にたまたまなのですが、退職後に伯父が志していた研究と、私たち親子の興味とが一致することに気がついたのが1年半前で、伯父も、随分喜んでくださったのですが、伯父の長男である従兄が嫉妬をし、伯父が交流していた会の関係者の方にの思いを、八つ当たりで拒絶したのが昨日のことでしたから。

これまでにも恐らく私を手に入れたい気持ちからだと思いますが、従兄には散々嫌な思いをさせられてきたのですが、伯父、伯母のことが大好きだったのでこらえてまいりました。しかし、伯父が信頼を寄せている会の皆様への不義理には、腸が煮えくりかえり、私の守護神であるところの不動明王の烈火のごとき怒りがほとばしり、痛烈な一言を初めて放つとともに、自身も傷つけたところでの、先生の記事でしたから。

先生には私の念が届いているのでしょうか。

従兄は、謝らせたい私から意に沿わぬ一言を返され、さらに怒りの炎に焼け焦がれているようです。

私は、私のやり方で、伯父の思いに沿うように行動する所存です。

どうやら今が、私の精神的人生でも正念場なのだな、と感じております。どうぞ、これからもよろしくお願い存じます。

そうそう、黒子の装い、粋で、色気もあって、ため息がでるほどに素敵でした。これこそが本当のお洒落だなと思いました。息子にも真似させたい。親のひいき目ですが似合いそう、でも私に財力が無い、いつか気が向いてくれたら、でも触れさせないことには、ぐるぐる回っています。でも、結論はでなくても、私自身への刺激のためにも、是非、和装のお洒落を見せていただきたく思います。