井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

行くなら親日台湾へ

2017年01月29日 | 日記

中華民国(台湾)の蔡英文総統が、自身のツイッターで日本語を使用したことから、中国で、反発を食らっています。

私は、学習院の理事を務めていた亡き親友が、台湾出身であったこともあり、
台湾に親しみを感じ、応援してもいるし、日本に何かことがあれば
真っ先に支援に駆けつけてくれる台湾の方々に感謝もしています。

訪れたこともありますが、料理美味しく人々は温和で日本人に友好的です。

 

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6228595

 

 

<台湾>蔡英文総統が英語と日本語でツイート 内外に波紋

 【台北・鈴木玲子】台湾の蔡英文総統が27日、春節(旧正月)に合わせて新年のあいさつをツイッターに英語と日本語で投稿したところ、日本語での投稿に中国から批判が殺到する騒ぎに発展した。(毎日新聞)

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こちらがご本人のツイッターです。

https://twitter.com/iingwen

日本語も書き込めるようです。

数年前、上海のドラマ祭に招待されて赴いた折り、空港で
台湾の人々が、中国人たちの列にも加わらず、しかし
外国人の列にも並んでいず、別枠で扱われていることが
不思議で、ドラマ祭の主催組織が通訳につけてくれた女学生に
尋ねたら、私の疑問をどう受け取ったのか、「台湾は中国ですから」と
胸を張りました。

いや、そういう意味ではなく・・・・と私がいいかけて口をつぐんだのは、
自分が中国からの招待客であり、その空港で政治談義など
ふさわしくないと思ったからでした。

いまだ、韓国への修学旅行が絶えないようですが、あちらで
生徒たちに吹き込まれるのは、捏造の反日史が多いのです。

日頃の友情と、支援へのお礼も込めて旅は台湾へと
お願いしたいのです。

亡くなった友人は、外交官の子息でお父上は、李登輝総統と親友で
いらっしゃいました。
後年、その李登輝総統が靖国神社さんの灯籠祭りに見事な文字で揮毫された時、その隣が私のぼんぼりであり、どんなにか亡き親友にそれを
見せたかったことか。

遺児である娘さんが佳子さまのご学友であり、親友は髭の殿下のお仲間、私と
皇族とをつなぎたがっていたようですが、私はその頃皇室には全く
関心を持っていず、従って日本人としてのアイデンティティや
国の存在に思いを致すことがなかったのです。

私のような生まれながらの日本人で、それゆえ日本を深く思うこともなかった
者と違い、友は自らの意志で日本人たらんとした日本人でした。
日本を愛するに並々ならぬ心があり、それをなつかしく思い出します。

今なら友と、数時間を語れることができるものを、と口惜しく思うのです。

ちなみにWiki他に私が、ソウル特別市生まれと記載しているので
在日説が定期的に出て、私の言説を批判するために「あの人は
ソウルの生まれだから」といかにも日本人ではないような、
姑息な悪用をする人たちもいます。

正確には出生地はソウルではありません。京城です。
日韓併合時代の終焉数日前の生まれであり、当時の半島には、大勢の日本人がいて、私もその中の一人として誕生したのです。

Wikiには国籍日本と記しているものの、帰化の可能性を疑われます。
特殊な時代の特殊な場所に生まれたばかりに、一生「私はもともとの
日本人です」といい続けねばならないのでしょう。

Wikiの編集者の人々は、その記述1つで誤解を受けて生涯迷惑をこうむる
存在があることを分かって頂きたい、と思うのです。
一行書き添えてくれるだけで、要らざる誤解を受けず済みます。
私は私が日本人であることに誇りを抱いているので、日本人以外の、
それがどこの国でも誤解されることが残念です。

亡き脚本家、市川森一さんにある日それを愚痴ったら「きみのように和服が似合う在日の人なんていやしないよ」となぐさめてくださったのでしたが、むろん
市川さんも差別の意味で、なぐさめてくださったわけではありません。
自己アイデンティティとしての、国籍の重さを解ってくださってのことでした。

私も亡き友とは違った意味で、いつしか自らの強い意志で「日本人であることを選んだ」日本人であるような気がしています。

 

*誤変換その他、後ほど推敲致します。

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1 コメント

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Unknown (紫苑)
2017-01-31 20:40:26
>いつしか自らの強い意志で「日本人であることを選んだ」日本人であるような気がしています。

先生のお言葉、すごくよくわかります。
なぜなら、私も、自分の意志で、今現在のこの「日本」に、何らかの使命を持って生まれてきたような気がするからです。