井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

そもそも自民党立党の目的は何であったか

2014-05-25 | 歴史・政治

朝、ふとテレビをつけたら「バンキシャ!」で一度ご一緒したことのある
増田寛也 元総務大臣が写っていらして、おや増田さんだ・・・・・
と見ていたら「時事放談」で、野中広務氏も出ていらした。

途中からちらっと見ただけなので、全体の論旨を把握した上でのことではないので、批判というほど明確なものではなく「単純な感想」に過ぎないが・・・・

話題は憲法改正と集団的自衛権であるらしく、増田氏は
「(改正は)時間をかけて丹念に」という意味のことをおっしゃった。
憲法改正慎重論者、ないしは反対論者の定番の言い分である。

しかし・・・・どのくらい時間をかければいいのであろう?

自民党の立党が、1955年(昭和30年)である。そして自民党の立党時の党是は
言わずもがな「憲法改正」である。
約69年間が経過しているが、その間国民はほぼ自民党を選択し続けてきた。
これで十分でないとすると、後どれだけの期間が必要なのだろう。

ちなみに、立党宣言と綱領はこうである。

https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/

抜粋

  六、独立体制の整備
  平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
  世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える

50年以上も国民は、改憲が党是の政党を支持し続けて来たわけだが、
これでも足りぬというなら、「もっと時間をかける」という言葉は、実質的に
無期限の先送りと同義なのではあるまいか。
いったい、いつ決着をつけるというのであろう。

公明党は自民党の党是を知らずに連立を組んでいるわけでもあるまい。
野中氏が改憲に反対でいらっしゃるのなら、なにゆえ自民党に留まり続けたのであろう。
最近共産党と親和力高く何かを主張していらっしゃるようだが、ではなにゆえ
最初から共産党員ではなかったのだろう。

野中氏は憲法のおかげで日本は70年間、戦争をせずに平和で来た、と
おっしゃるのだが、果たしてそうであろうか。
「紙に印刷された文言」に過ぎない憲法にさほど、平和を守る力が
あっただろうか。
日本を守って来たのは、日米同盟における核の傘というしょせん
「武力」ではなかったのか。
もしいわゆる平和憲法のみで日本の防衛が万全なら、日本は多大の
出費をしながらなぜ日米同盟を堅持して来たのだろう、無駄ではないか。
平和憲法が自国を守るなら、なぜ中国や韓国のみならず、他の国々は
防衛費を年々増大させて来たのであろう、これも大いなる無駄ではないか。

それにしても、安倍総理のおっしゃる「戦後レジームからの脱却」とは、
自民党立党宣言の綱領六、現行憲法の自主的改正をはかり、また「占領諸法制を再検討」と「集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」という、何の事はない本来の自民党の原点に立ち戻ろう、ということではないのだろうか。

これに反対する自民党員は、そもそもの立党趣旨にアンチなわけであるから、
速やかに党を離れ、自らの頼む信念にそぐわしい政党に身を移すべきであろう。

あと野中広務氏は、安倍総理がパネルを見せながら集団的自衛権の必要性を訴えた
例・・・・・米艦船が日本人を乗せて救出中、的に襲われたら・・・・を批判して、
その場合は個別的自衛権で対応できると、主張なさった。

そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
私には解らない。ただ明確に解るのは、この件に関しては、個別的自衛権が行使できる、
いや出来ないと、見解が真っ二つであるということである。
そして、一朝(いっちょう)事が起こった時、真っ二つに分かれた見解を
議論して統一するほどの時間はないということである。
それはほぼ、個別自衛権の行使が出来ないに近いことではあるまいか。

というごときことを、「感想」として持った。

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「一手間」が文化

2014-05-24 | 歴史・政治

肉食は考える所あり、絶っていた期間が数年間あるのだが、
今は10日間に1回程度の割合で食する。

それが昨日今日と2日間肉食をしてしまった。

というのは、テレビで焼き肉の紹介をやっているのを見たら
無性に食べたくなって出かけたのだが、まずくて、まずさというのは
次にマシなものを食べるまで舌に残っている。心理的なものでも
あるのだが、甚だ気色が悪い。

というわけで、今日口直しの焼肉屋を求めさすらい、韓国人のやっている
店を見つけて入った。韓国の食べ物が好きなわけではないので、
あくまで焼き肉メインである。

しかし、まずご飯に驚いた。釜飯で出てきたのである。
白いご飯であり、意味が解らない。やたら早く炊いたのだと
思うが、オコゲになって底にこびりついていて、オコゲは嬉しいが
しかし、取れないのだ。

しかも、しゃもじもなく、スプーンでこそげ取るのだが、釜の底に
へばりついたご飯は、どうしても取れない。
そして、憮然としたのだが、しゃもじはおろか茶碗すら
ないのである。釜から直接食べよということなのである。

韓流ドラマで、あちらが鍋から直接ラーメンを食べる習慣を見て
知っていなければ、戸惑ったと思う。

確かに、茶碗に移すのは手間がかかる。どうせ食べるのだから
鍋や釜から直接食べればいい、というのも考え方だろう。
しかし、その一見無意味な、茶碗によそおうという一手間が
文化ということなのではあるまいか。

金属の箸も口に違和感がある。日本人の口にははやり、木であろう。
食後にと渡されたガムは粗末な紙にくるまれていて、口に含んだら粉っぽくて
ティッシュに吐き出した。

韓国料理屋を貶めているわけではなく、私が東京一美味しいと思う
焼肉屋は、多分韓国人の経営だと思う。
韓国料理が苦手で頼んだことはないのだが、メニューにはしっかり
韓国料理が並んでいるので。
以前住んでいた住宅街の徒歩至近圏内にあり、よく訪れていて
有り難みも感じなかったのだが、いざ離れてみると群を抜き、
美味しい店だったのだと思い知った。
どこで焼き肉を食べても、美味しく感じない、というよりはっきり
マズイのである。極上を舌が憶えてしまっている。

私の思い込みでもなさそうで、聞けばこのところビートたけしさんが
ロールスロイスを横付けに食べに現れているという。
たけしさんクラスが通うなら本物である。

まあ言ってしまえば、売れている芸能人というものは実によく
美味の店を知っていて、彼らが現れる店は当たり外れなく、そして概ね高い。
私は職業上の役得で、中華も和食も寿司も極一流を知ってしまっている。
かといって、常時おごったものを食べたいということではない。
よく誂えられたものなら、コンビニの弁当でも喜んで頂く。

が、マズイものは本当にマズイ。あれは何なのだろう。
作り手のセンスが鈍いとてきめんで、しかし不思議なのは
味覚が鈍いのがなんて調理人になるのだろう。

私が嫌いな人種に「プロではない」というのがある。
なんでもよい、仮に売春であろうが、歌手であろうが、コンビニの店員であろうが
そこに専一、従事している者でなければ見せられない芸を見せて欲しいと思う。

韓国料理屋で、あらぬほうへ連想が飛んだが、舛添都知事。
当然思っていたとおりに、早速飛んだのは中国であり、
しかもオバマ大統領来日時の喧騒の東京を不在にしての
訪中であった。

それからさして日が経たぬ内に、今度は韓国へ行くという。
韓国大使を迎えるにあたって、個人所蔵である李氏朝鮮時代の書の掛け軸を知事室にかけてご機嫌取り結ぶという周到さで、胸が悪くなる。
礼儀とおもてなしで、いいではないかと言う人もいるだろうか。
いやしかし、これが韓国でやられたらどうか。
ソウル市長が、日本大使を迎えるにあたって、日本の掛け軸や屏風を
わざわざ市長室に飾ったら、何が起こるか。問題点はそこにある。
日韓の友好など常に片務でしかなく、よきものは生み出さない。

さなきだに、竹島という領土を不法占拠され、捏造の慰安婦で
名誉を毀損されている時に都知事の分際で、そのようなご機嫌取り結びは
不法占拠と名誉毀損の肯定ではないか。
日本国民として、甚だ迷惑に感じる。

舛添氏は「国家がぎくしゃくしていても都市どうしは友好を結べる」というが
都知事は外交をやるのが仕事か。就任して間もなくやるのがなぜ、
よりによって反日国との外交なのだ。

しかし、「こんな都知事」なのである。わかっていたことだ。

ヘタしたら、平昌の冬季五輪に都民のお金を渡しかねない。
それにしても、石原さんは結局なにをしたくて、辞めたのだろう。
都知事で居続けたほうが効率はよくなかったか? 選挙すれば
都のお金も莫大に飛び、石原さんが辞めたお陰でお金が飛び、
猪瀬さんがあんなふうで、また都のお金が費やされた。

費やされてよくなればいいが、猪瀬さんがまだましだったと言われる
ていたらく。

いやしかし、それも事前に分かっていたことだ。
都民はそれを分かってか分からずか、とにかく舛添氏を選んだ。
おそらく、舛添氏の本質を知らぬままに。

それにしても、石原さんの音頭取りで集められた尖閣保有のための
全国からの寄付金はどうなったのであろう。
新都知事にあらぬ目的のために、使われぬようにと願いたい。
集めた責任上、石原さんには目を光らせておいて欲しい。
なんのために都知事を辞められたのか、一向に解らぬが
せめて飛び立った跡を濁さないで頂きたいのである。

舛添氏の掛け軸に話を戻すが、李氏朝鮮時代の書など
取りようによっては、相手国への侮辱であると思うが。
要するに一握りのリャンパン(貴族階級)が圧政を敷き、
搾取していた朝鮮半島極貧の時代であり、国は国で
中国に隷属していて、朝鮮王は中国からの皇帝の使いにさえ、
頭を床に擦りつけて、恭順の意を示さねばならなかった
屈辱の時代であろうに。

日本に朝鮮通信使が来て、日本の水車を見て朝鮮で作ろうとしたが、
輪を木で作る技術無く、貴族の乗り物ですら両輪均等に作れず、
石炭を運ぶごとき、屋根もない一輪車であったというあらゆる意味で
貧しかったのが李氏朝鮮時代である。
その時の書を飾って、お相手への敬意やおもてなしになるのかどうか
解らない。

このところ、韓国が言い出して朝鮮通信使をユネスコの記憶遺産にするという
動きがあり、日本の各関係自治体が乗っているが、愚かしさもほどほどに
して頂きたいと思う。韓国がその教科書で何を教えているのか
ご存知ないのであろうか。
「朝鮮通信使は、文化の劣った日本が我が国に懇願して、我が国が送り出して
文化を学ばせてやった使節団である」と教えられるのだ。

むろん、偽りである。当時の史料を紐解けば、そんな言い分は簡単に
論破出来る。しかし学校で教科書を使ってまで教えこまれたそれを
韓国人はよもや偽りだとは思わない。
従軍慰安婦もそうだが、信じこんで世界に発信するので、たちが悪い。
世界のほうも、よもや一国がまるごと嘘をつくとは思っていないので
信じてしまうのである。

国民は本気で取り組まないと、日本の評判はいずれ地に堕ちてしまう。
本来は政府の仕事であるが、彼らはやらない。
やらない、やれない理由は以前少し書いた。改めてまた書くかもしれない。

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花畑ニッポン

2014-05-12 | 歴史・政治

このところ、テレビではアンジェリナ・ジョリが引退して
監督業に専念するというニュースをしきりに報じていて
ハリウッドの一女優の引退がどれほどの大事件かと思うが、
それにしても、どの局も彼女の反日には触れない。

彼女の監督二作目作品が『Unbroken』であることを報じても、
それが日本軍に捉えられ虐待されたアメリカ兵の話で、
しかも日本軍が人肉を食べるという内容であることは
日本国民に教えない。

少々お人好し過ぎないか。
これでアンジェリナ・ジョリがその新作とやらの
プロモーションに来日して、ファンが歓声を上げながら
迎えたら、もう日本は諦めたほうがいいのかとさえ、ふと。
大きな事件がひしめく中で、若い女性たちの関心の二番目が
アンジェリーナ・ジョリの引退というのも情けない話だが
その内容を知らずに無邪気にこのハリウッド女優の
動向に関心を抱くさまが、ほとほと情けない。

彼女が描く米国人捕虜の話が真実かどうかは知らない。
それをわざわざ、今取り上げて描くことの意味が解らない。
従軍慰安婦という濡れ衣を着せられて、日本が世界の
糾弾の対象になっている最中に、反日傾向の強い
国連で戦時下のレイプについてアジ演説を行った女優である。
日本と名指しもせず、従軍慰安婦とも言ってはいないが
韓国人が事務総長を勤める反日色の強い国連で、
戦時下のレイプといえば、人々の脳裏を過るのは
ありもしなかった強制の従軍慰安婦、日本軍のいわゆる性奴隷たちの
ことであろう。

ミャンマーで日本軍が鉄道を建設するときに捕虜を虐待したという
話があり、しかしその説の一端を検証した日本人がいて、少なくとも
検証された部分は嘘だったということが分かっている。
ことほどさように、日本軍の犯した残虐性という内容には
フィクションも多い。

私が絶望するのは、至って反日性の強い映画も日本人は
平然と出かけ、ましてボイコットなど決して起こらないことである。
かつては「パール・ハーバー」という映画がそうであった。
ラブストーリーに擬態した反日映画であったが、その側面は
まるで話題にはならず、それどころか第二次世界大戦での
一方的悪役は日本だったのだ、と思い込む日本人も多かったのだろう。

それ以降もハリウッドでは反日映画が作られ、日本の俳優が
平然と出演し、それが批判もされぬ国である。

断っておくが、事実なら何も言わぬ。一方的視点で日本が
傷つけられる描き方に対して、一言も発しない国民性を
情けなく思うのだ。

テレビで言えば、憲法改正について報道していた番組があり
何気なく見ていたら、某映画監督が現れ平和を謳いあげた
現在の憲法が美しいなどと言っていて、ため息が漏れた。
この監督もまた、平和憲法があるから日本の戦後70年間の
平和が守られたと思い込んでいるのだろう。

日本が侵略されずに来たのは、憲法で戦争放棄したからではない、
戦争放棄とは対極にある米国の核の傘と、軍事力に守られていたからこその
平和である。

占領軍に押し付けられた憲法でも、中身がよければいいではないかとも
おっしゃった。何という阿呆な人なのであろう。監督としては有能だが
こういうお花畑に、テレビは語らせるべきではない。
賛否両論を出すのはいい。しかし基礎くらいは心得た人間を起用して欲しい。
でないと、それこそ「話にならない」。

日本国憲法の、分かりづらいそして翻訳調の醜い日本語が我慢できる
時点で、クリエイターとしての感性さえ疑いたくなるが、そもそも
その監督は日本国憲法を、当時の占領軍が日本に良かれと
思って作られたと思っているのだろうか。

あり得ない。

憲法作成にあたりマッカーサメモと称する物を見れば、彼らの憲法作成の
動機が日本弱体化と消滅を狙ったものであることは端的に判るのに。

それに加えて、報道管制であったプレスコードと、自虐史観を植え付ける目的であった
WGIP(ウォーギルトインフォーメーション)の存在と。
こういう情勢下で作成された日本国憲法が日本を守るためのものではないこと
自明の理であろうに。

憲法起草に日本人が加わっていたことを挙げて、押し付け憲法ではないと
いう論があることは無論知っているが、加わった日本人は傀儡であると私は
思っている。

以下、マッカーサー・ノートの一節である。

War as a sovereign right of the nation is abolished.
国家の主権としての戦争は廃止される。

Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。

自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。

つまりはそういうことである。日本は自国の安全を維持することを放棄せよと
言われているに等しい内容であろうに。

憲法論をとりあえず、脇において考えてみてもよい。
戦争をしません、と宣言したからといってその国は侵略されぬという
保障はどこにある? かつては日本を守ってくれた日米同盟も
時代とともにその堅牢さは失せて来ているし、今後ますますその
傾向にあるだろう。

九条改正、核保有の可能性を言うと、即戦争をしたがっていると
短絡する人たちがいるので困りものである。
戦争など私とて、ごめんこうむる。好戦的な動機で憲法改正が言われ
集団的自衛権が言われているわけではない。国防が動機である。

世界の諸情勢から、国の守りを考えるにもはや日米同盟が盤石なもので
なくなりつつあると同時に、国防をアメリカという他国に頼ることにより
日本の戦後がいつまでも終わらず、米国に従属する構造を残したまま、
自国の神社に総理が参ることすら、とかく口出しされるのである。
性奴隷という名の強制の慰安婦など、いもしないのに同盟国であるはずの
アメリカが日本の名誉を守ってくれるどころか、韓国や中国の
大嘘に加担して日本を叩くさまを見るが良い。
他国はしょせん他国なのだ。自らの国の利益と戦争犯罪の隠蔽のためには嘘もつく。

 【補遺】

韓国で韓国人たちによる九条改正反対デモが行われているのも
語るに落ちる話。それほど九条が素晴らしければ、自国政府に
働きかけて現憲法に九条を付加してもらうのが、筋道であろうに。

h ttp://hosyusokuhou.jp/archives/38057206.html

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民度

2014-05-10 | 歴史・政治

ハルピン駅に出来た安重根記念館を、韓国政府の代表団が訪問したとかで、
ほとほと、この両国の日本叩きに見せる民度にはうんざりさせられる。

安重根(あんじゅんぐん)というのは、言わずもがな伊藤博文公の
暗殺者であり、記念館はつまりテロリスト賛美館である。

殺人者の美化などいかなる理由であれ、国際的基準からは下衆であり、
侮蔑の対象になることをやる両国の民度が問われるところ。

伊藤博文公は、日韓併合に対しては慎重派であり、それを殺害した
安重根というのは、日韓併合推進者であったということになってしまうが、
論理の矛整合性はどうでもいいらしい。

菅義偉(すが・よしひで)官房長官は機敏かつ冷静で有能な方であるが、
今回出した談話は穏やかすぎた。

「一方的な主張に基づき、中韓両国が連携して国際社会に訴える動きは、この地域の平和と協力構築に資するものではない」

と言うのがその言葉だが、殺人者の称揚など恥ずべきことであり、また韓国は日韓併合に恨みごとを述べながら、その一方併合に反対していた伊藤博文公の暗殺者を称えるなど、論理の整合性を欠き、一国家の品位と理性に関わることではないか、とこの程度には具体的に突っ込んで欲しいと思った。

日本が合邦するまで、中国の厳しい支配下に置かれ、世界の最貧国としてあえいでいたのが朝鮮であるので、文化や倫理の厚みの希薄さは致し方ないところだが、それにしても
中国。孟子や老子孔子を生み、文学もアートも幾多排出した文化の歴史の
分厚い国がいったい、どうしたのかといぶかしいが、しかし時の権力者が
変わる都度、それ以前のものが全て否定され、人々は殺され、この間の文化大革命でもそれまでの価値観が根絶やしにされた国であり、5千年の歴史というのは単に
時が経過しただけのことであり、文化の伝承がなければ建国からいまだ
一世紀経たぬ未熟な国でしかない。

日本は伝統を大事に、次に繋ぐ努力を惜しんではならない。

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「植民地」という言葉が持つ欺瞞

2014-05-06 | 歴史・政治

従軍慰安婦問題は、そこに強制性があったかどうかが基本の問題であったのに、
いつしか、「性奴隷」という言葉に置き換えられて、あたかもそれが
事実であったかのごとき印象操作がなされ、

その上米国もそこに加担、
売買春の是非論と故意に混同させるという錯綜のさせ方で、
世界基準からすれば、売買春の是非などと大上段にふりかぶられれば
とりあえず、誰しもノーと偽善的に答えざるを得ない。

誰も売買春はお互いの合意であればいいではないか、とは言えぬ。
女性の人権とやらを必ず添えて「彼ら」は来るので。

本来、人権と売買春の相関関係は論理的に言えばないのだが、
その議論をしているうちに、従軍慰安婦の強制性はなおさら
焦点ボケして、また性奴隷とやらがいたという虚構の前提に
立ち戻らされてしまう・・・・という繰り返しで、こんにちまで来ている。

当時の日本のというよりは、朝鮮を含めた売買春への価値観を現代の
清教徒的倫理観で裁くのも違う。

韓国のみの主張ならまだしも、アメリカに思惑があり、それが虚構と知りつつも韓国側に
立つので、事は余計厄介である。日本は肝を据えぬと、世界的に恥知らずな民族として
認知されてしまう。

GDPが東京都程度でしかない、失礼な言い方かもしれないが、しがない韓国を、過度に嫌韓とやらで大上段に忌避するのもいかがなものかと思うが、ただその個々の執拗な捏造による言いがかりに対しては真摯に対応していくべきであろう。しがない国の背後には大国アメリカや中国の思惑があるのだし。

慰安婦問題は言葉の置き換えにプラスして、それが偽善であれ、売買春の是非論に持って行かれる鬱陶しさがつきまとうが、日韓併合における植民地化ということに関しては、単純に言葉の定義による抗議ないしは、否定で済む。

古今東西、自国より持ち出しで相手を富ませた植民地などない。
すなわち、日韓併合は植民地の定義からは外れる。
植民地とは一方がひたすら搾取をすることである。

ヘレン・ミアーズというGHQマッカーサーの下で働いていた女性が
西欧の植民地政策を例に引き、アメリカやスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、
フランス、ロシアの搾取を述べて自省するわけだが、しかし白人の植民地化と
一緒にしてくれるなよ、というのが日韓併合の実態である。

それまで白人の専有であった有色人種への植民地奴隷化を
黄色い猿が生意気にもやりやがった、というのも白人連の憎悪をたぎらせ、
またある種の恐怖を抱かせた点でもあろう。「猿の惑星」の恐怖である。

だが、日本は朝鮮の人々を猿のように使役はしていず、人として扱っている。
その証拠に、とにかく朝鮮半島に学校と病院を建てまくった。
こんなこと、白人たちはしていない。足を鎖でつなぎ、食べ物を地べたに放り投げ、
それを拾わせていた。それらの奴隷が、たとえイギリス女性が全裸でいる
部屋に入って来ても、女性は平然としていた。なぜなら植民地の有色人種は
イギリス人女性にとっては、猿や猫と同じレベルの動物に過ぎないからだ。

日本が、いったいいつ朝鮮の人々を動物扱いにして使役したか・・・・
そんなことは皆無である。

ところが、日本はこれを言わない。植民地化と言われるまま、黙ってうなだれている。

当時の国際法上有効であったなどと述べ立てる前に、白人が概念として持つ
植民地とはまるで違っていた、要するに望み望まれて行われた「合邦」であるということ、
いやそれ以前に主張しなければならぬのは「我が国は朝鮮の人々に、人として
対等の尊敬を持って接した」一緒にするな、と言うべきであろう。

台湾の方々の、当時の日本国と軍人たちへの敬愛はまさしくそこにある。
日本は植民地化などしていない。同胞として友として敬愛の念がそこにはあった。
パラオでいまだ日本兵たちが追慕されるのも、それゆえにこそ。

 

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