※ネタバレ多数。本編を読んでない方はお控えください。また、これは私自身が消化し切れていないことについてつらつらと書いてあるだけです。読んでご気分が悪くなられたら、ごめんなさい(><)
天波八次郎様作「魂響」(多分、たまゆら と読む)を読んだ際、後書きにこんなことが書いてありました。
~この小説は、紅恋猫ろみさんの『Day Dream』への私なりの返事として書いたものです。~
・・・・・・!?
すぐさま「Day Dream」を読みました(←野次馬根性全開)
けれど最初「Day Dream」を読んだ時は――はて、『魂響』のどの辺がこの作品への「返事」なんだろう?――その意図が全く理解できず、がっくり。悔しかったので何度か丁寧に読み、以下2作品の共通点について、つらつらと考えてみました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「魂響」について
・概要
章立てされた6つの短編がオムニバス的に描かれて、それらが連なり合い一つの物語を成している。6編はすべて時間軸が異なる。登場人物の男性(男の子)は一貫し、彼の幼少時代の記憶と現在が交互に描かれる。一人称、三人称も各編ごとに使い分けられており、高度な技法や仕掛けを多く取り入れた作品。主要な登場ポケモンはセレビィ。「時渡り」と呼ばれる時間跳躍の力を持っている。
・時間軸
第二編、第五編は男性の現在――争いにより破滅の一途を辿ろうとする世界を描く。第三編、第四編は男性の回想――彼の過去の出来事を描いており、時渡りポケモン・セレビィと出会い、第二、五編より未来のある時点へと時間跳躍し、その荒廃し無と化した世界に一本の木を植えてくるまでを描く。そして第一編、第六篇は三人称で男性がいなくなった後の、再び豊かな自然に覆われた世界を描いている。
「Day Dream」について
病弱でベッドから出られない女の子と出会ったゴーストポケモン・ムウマは、女の子と遊びたいがために彼女の夢の中に入ってしまう。その中では、現実とは比べ物にならないくらい元気で明るい彼女がいて、ムウマは毎夜夢の中へと通い続けるようになる。しかしある日、女の子はベッドの横に一つのメッセージを残し、息をひきとる。
三人称、童話調で描かれた作品。登場ポケモンはムウマ。ゴーストであるムウマは人の夢に入り込むことができる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
共通点を考えると、「現実と夢」「現在と未来」という対比がなされており、その2つの繋ぎ手として、ムウマとセレビィが登場しているところです。
2作品に共通して、心に残ったフレーズがあります。
・「……畜生……これがありだっていうのか……なら……それなら……」
・「こいつが、しあわせに生きられる時代に連れてってやってくれ!」(『魂響』より)
・『現実なんて、白昼夢なのに』
・『ずっと夢のなかだったらいいのにね』(『Day Dream』より)
嫌な言い方かもしれませんが、両作品とも、主人公は現実や現在に対し絶望しています。
この場所では幸せになれない、この場所では生きられない――そういった深い悲しみが伝わってきます。自分ではもうどうしようもない状況――世界の破滅や病魔を前に、彼らはムウマとセレビィに願いを託します。そこには現状の絶望に負けない、大きな希望があったように思えます。主人公は決して幸せな最期を遂げていない両作品ですが、ラストはどちらも優しく温かな印象です。
八方塞の主人公2人が行ったことは、やはり同様の意味――ポケモンに対する絶対的な信頼と、希望――を持っていたのだと思います。
上で考えたことは、全部私の勘違いかもしれません。どうなんだろう(><)きっと勘違いですね。
全く違う捉え方をした人がいらっしゃたら、是非お聞かせください。
それにしても作品で会話した御二人は、すげぇ(><)
面白い作品を本当にありがとうございますm(_ _)m
2007/12/21(金) まんねんろう
天波八次郎様作「魂響」(多分、たまゆら と読む)を読んだ際、後書きにこんなことが書いてありました。
~この小説は、紅恋猫ろみさんの『Day Dream』への私なりの返事として書いたものです。~
・・・・・・!?
すぐさま「Day Dream」を読みました(←野次馬根性全開)
けれど最初「Day Dream」を読んだ時は――はて、『魂響』のどの辺がこの作品への「返事」なんだろう?――その意図が全く理解できず、がっくり。悔しかったので何度か丁寧に読み、以下2作品の共通点について、つらつらと考えてみました。
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「魂響」について
・概要
章立てされた6つの短編がオムニバス的に描かれて、それらが連なり合い一つの物語を成している。6編はすべて時間軸が異なる。登場人物の男性(男の子)は一貫し、彼の幼少時代の記憶と現在が交互に描かれる。一人称、三人称も各編ごとに使い分けられており、高度な技法や仕掛けを多く取り入れた作品。主要な登場ポケモンはセレビィ。「時渡り」と呼ばれる時間跳躍の力を持っている。
・時間軸
第二編、第五編は男性の現在――争いにより破滅の一途を辿ろうとする世界を描く。第三編、第四編は男性の回想――彼の過去の出来事を描いており、時渡りポケモン・セレビィと出会い、第二、五編より未来のある時点へと時間跳躍し、その荒廃し無と化した世界に一本の木を植えてくるまでを描く。そして第一編、第六篇は三人称で男性がいなくなった後の、再び豊かな自然に覆われた世界を描いている。
「Day Dream」について
病弱でベッドから出られない女の子と出会ったゴーストポケモン・ムウマは、女の子と遊びたいがために彼女の夢の中に入ってしまう。その中では、現実とは比べ物にならないくらい元気で明るい彼女がいて、ムウマは毎夜夢の中へと通い続けるようになる。しかしある日、女の子はベッドの横に一つのメッセージを残し、息をひきとる。
三人称、童話調で描かれた作品。登場ポケモンはムウマ。ゴーストであるムウマは人の夢に入り込むことができる。
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共通点を考えると、「現実と夢」「現在と未来」という対比がなされており、その2つの繋ぎ手として、ムウマとセレビィが登場しているところです。
2作品に共通して、心に残ったフレーズがあります。
・「……畜生……これがありだっていうのか……なら……それなら……」
・「こいつが、しあわせに生きられる時代に連れてってやってくれ!」(『魂響』より)
・『現実なんて、白昼夢なのに』
・『ずっと夢のなかだったらいいのにね』(『Day Dream』より)
嫌な言い方かもしれませんが、両作品とも、主人公は現実や現在に対し絶望しています。
この場所では幸せになれない、この場所では生きられない――そういった深い悲しみが伝わってきます。自分ではもうどうしようもない状況――世界の破滅や病魔を前に、彼らはムウマとセレビィに願いを託します。そこには現状の絶望に負けない、大きな希望があったように思えます。主人公は決して幸せな最期を遂げていない両作品ですが、ラストはどちらも優しく温かな印象です。
八方塞の主人公2人が行ったことは、やはり同様の意味――ポケモンに対する絶対的な信頼と、希望――を持っていたのだと思います。
上で考えたことは、全部私の勘違いかもしれません。どうなんだろう(><)きっと勘違いですね。
全く違う捉え方をした人がいらっしゃたら、是非お聞かせください。
それにしても作品で会話した御二人は、すげぇ(><)
面白い作品を本当にありがとうございますm(_ _)m
2007/12/21(金) まんねんろう