スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsとにかく感謝ですけん、ありがとう!

2012年12月31日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。この大晦日は7月の破傷風いらい3回の転院で未だに家に戻れない親父の、正月用の着替えやもろもろを届けた。天気もいいので多少遠いが自転車行った。2年3ヶ月の片道1時間の深夜自転車通勤は途方もない足の筋力をつけてくれた。
リハビリ室では多くの老若男女が、復帰に向かって賢明のリハビリをしていた。
隣で立っていた初老の事務の男性の方と話をした。
「復帰したら、どっか旅行とか、うまいものを食いたいとか・・そんなモチベーションではないですね」
「ただ、身内に迷惑をかけないで、ゆっくりでもいいから、自分で食べれて、トイレにいけて、眠れたら、それでいい・」という最もシンプルな望みを再度つかむ為に必死にリハビリに励んでいるのだった。人に面倒見てもらうことは、その人のプライドは根底では、許さないのだということを思った。
自分で立つ。自分で食う。自分で歩く・・・・そして迷惑掛けなく自分で死ぬという思いに繋がるのだろうか。
いよいよ今年も終わる。
とにかく生きてこれた・・・ありがとう。

深夜の中央市場のパートの人、運転手さん、社員さん、雨の日も台風の日も、日食の日も、タンタンこなした仕事には、本当に沢山の学ぶことがあった。これを知る為の今までだったのだろうとさえ思う。・・・ありがとう。

京都の従姉妹・・本当食えないときに振り込んでもらったお金。返せる金額はとっくにオバーしているがいつか必ずお返しをしたいと思っている。・・・ありがとう。

フェースブックのイイネをいつもいつも返してくれたナムシェの素敵な女性。書くことの辛も忘れさせてくれる、伝わるやさしさ・・・ありがとう。

詰らん私の話にコメントくれた、宮崎の侍サファーや、江戸京都間を阪急電車に乗るがごとく忙しく動き回る、リーマンミュージシャン、・・ありがとう。
また一杯イイネを押してくれた方・・ありがとう。

5人も女性を紹介してくれたのに、全くなかず飛ばずだった。でも常に私を褒めて励ましてくれたパワーストンの先生。・・・ありがとう。

会社でのいろいろなトラブルを持ちながらも、何時も北村さん・・「事起こす時には、絶対一緒にやりましょう・・」と声を掛け続けてくれた移動遊園地の管理人さん・・・ありがとう。

少ないコピーライトや企画デザインの仕事を忘れずに振ってくれた、ベンツに乗りユーミンを愛する社長さん。深夜の往復に社長の会社の年賀状のコピーを必死で考えましたから、必ず来年も幸を呼びますよ・・・・ありがとう。

芸能人イベントの企画会社の出資金をお願いした時、すぐに出していただいたレフティーギターの社長さん。まだ出資金も配当も返せないないけど・・返すのと同時に、社長の好きなロリ系アイドルとの撮影旅行には必ずお連れします。・・・・ありがとう。

いつも優しい喋りで、大丈夫か?元気か?と心配してくれていた、我が永遠のブルースブラザーズよ、沢山の気付きをくれたこと、風呂がセックスより気持ちいいと教えてくれたこと、そして許してくれたこと・・ありがとう。

突然の電話から・・「北村さん見えたんです・・」と霊視の能力を言ってきたミスチル好きの後輩君。
「是非会わしたい先生がいるから・・」と私に手を差し向けてくれたこと、そして奇跡のような出来事を目のあたりにして、はっきりと今後の道を確信できたこと・・・・声をかけてくれてありがとう。

私のような親父をもったことに文句の一つも、すねた態度もしないで、自分の道を自分の力で切り開いている我が娘、息子達。またそんな子供達の面倒を見ている、別れた嫁さんよ・・・
何百回のお礼よりも、日本中央銀行券のほうがいいと思うが、それはそれで頑張るとして・・ありがとう。そして笑おう!!

秋依頼、ちょっとしたことがあって、それ以来会っていないユニバーサルスタジオのナイスなスタッフの君。酔って書いた自転車のフラフラの手書きの名前が今でも脳裏に浮かびます。私はあれが出来る、お洒落なあなたがカッコ良いと思います。もう少し、あとちょとのことで手からこぼれる幸せを、絶対につかめるように、私の毎朝の祈りにお願いしています。来年は、変った君と何処かで逢えることを楽しみしております。つまらん安物の酒に文句も言わずに「ごちそうさま・・」と言ってくれたこと・・・・ありがとう。

そして・・今年いろいろなことを教えていただいて、学ばせてくれた沢山の皆様・・
心からありがとうと申あげます。

2年前に出雲大社にお参りに連れていただいた。
いくつもの祠におまいりするうちに・・当然気がついた。
「ずーと自分のことばっかりを祈っているやん・・・アホちゃうか俺は?」
そしてそれから「祈りは人の為に・・・」という事を自分との約束にした。
頼りない祈りかも知れませんが・・・・私はありがとうもらった皆さんのことを祈ります。

2013年も、2013年は、2013年こそは・・・皆様に楽しみの多い日々がきますように・・
本当にありがとう・・・・



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とにかく生きてみるvs2013プロジェクトが動いている。vs年越しは聖地で!

2012年12月30日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトをやめて一週間がすぎた。体全体の低体温症も、徐々にであるが緩和されてきみたいだ。まだ睡眠時間の変化に私の体内時計はなれずに、夜中の変な時間に眼をさます。そうすると今頃あの冷蔵庫で頑張っている人々の顔やいろいろな物からでる音が蘇ってくる。

さてその新しい飲食プロジェクトである。店の内装のほうは9割がた出来あがった。
そしてここらからはその箱に魂をぶち込む仕事が待っているのだ。ここからが私がこのプロジェクトに名を連ねさせて得いただいている一番の理由である。2年と3ヶ月の深夜の、一バイト君の貴重な経験を、今度はこの店で働く人々に伝えれるようにしていきたいと考えている。ということで、この12月の26日からスタッフの採用面接をしている。店舗のコンセプトとして、若い方、中年の方、またまた日本に勉強にきている外国人の方たちを満遍なく採用していきたいと思っている。

それは、新しいアトラクションのキャスティングをすることである。
もちろんこのアトラクションに来ていただけるゲストさんを「本当に喜んで頂けるように・・」をテーマに面接を行っている。まずは20歳代の若い方がたの応募がある。どこでどんな出会いがあるかわからないからという気持ちが大きく、面接の前にはワクワクするのだ。
二人の若者が印象に残った。男君と女君である。
大学を卒業して大手の会社に就職した男君。
就職氷河期の中で自分のしたい事との間で、ギャップがあることを感じ、バイトの道を選んだ女君である。彼らの表情には、世間に遅れている、普通に正社員としてやっている同期の人達との、負けている感が全く感じられないのだ。それは自分のしたいことを追求してやるんだ!という強い意志と、それを維持させていける若さが、そうさしているのだと思う。
2年3ヶ月前に私は・・ワンアウト、ツゥーアウトを喰らった。そしてとにかく生きてみるという覚悟のもとに、アルバイトの履歴書を書いた。一番の葛藤はその動機であった。
「文章を書きながら仕事を・・云々」とか、「 いろんな職場を体験することで云々・」とか考えていたが、「えいぃ・・いい格好はやめよう」と言う気持ちになり、「お金に困っていますので・・・少しでも家計の足しになれば・・」ということを履歴書に書いたし、面接でも言った覚えがある。そして、この本音こそが、私を2年半も引っ張った一番のモチベーションだったのだ。だが、今日の彼らには「未来の自分の為に・稼ぐのだ・・」と言うことがあんなに爽やかに言えていること、またそれを爽やかに受け取っていることに、つくづく「若いて・・・素晴らしい・・やんけ」と呟いた。
そして彼ら二人のあの・・・(誰もみていないから判らんが)笑顔が素晴らしいのである。どこの自己啓発本やスピリチャル系の本にも、「笑顔・・」が最大の幸せの近道みたいなことが記してあるし、その笑顔を得るためのセミナーなども人気となっていると聞くが、ワシも芸能界や業界を渡り歩いてきた人間として、モデルやタレントの卵や新人が、放つ「作り笑顔光線・・」がなんとショボくて薄っぺらいものなのかはようよう知っているから、今日の彼らが見せた笑顔には軽い感動が起こった。
私の持論であるが、笑顔の素敵な人は、その親のしつけというか、まだ赤ん坊のころから、笑顔で接していた時がそうでない人よりも絶対に多いからだと言う思いがある。だからいつも「その笑顔・・親に感謝しいや・・」という説法を言うのであるが、これまた自分がそうであるかというと「笑顔が・・素敵、北村さん・・」など、ここ最近言われたことがないのである。
そして彼らは、甲子園に出場している高校に行っていたのであり、女君のほうは、九州の公立で優勝経験もある学校の出身であった。関係ないといえばそうだが、母校の為に頑張った球児たちの本の少しのおかげがここに現れていることを、この大阪の街で感じているだろう。
君らの未来の為に、このカフェでいろいろな経験をつんでもらいたいし、私に出来ることなら惜しみなく力になろうと思う。そしてどんどん世の中と繋がっていってほしいのだ。
そして・・もう一人、今回の求人で「自転車手当て」なる項目をつけた。
自転車で通勤する人に対する敬意と感謝である。
早速、近所の主婦が面接にやってきた。子供乗せをつけたTHEママチャリである。
家族、子供の為に働くことをハッキリと口にする40歳代のお母さんには、前の若者のような笑顔は見られないけど、この子たちは私が育てるというしっかりとした意思が滲みでている。
履歴書の写真が数年若い頃のように見えるのは、私の思い過ごしだろうか?

本日は、板前退職者の65歳の方を面談する。一花も二花も咲かせる花咲か○○かもしれない。
雨の師走。またまたの神様の脚本を想像してみながら面接に向かう。
そして大晦日は、深夜バイトの最後のお礼奉公に私はあの聖地へ行く。



新梅田シテイー横です。(ツインビル) 外観と中味のギャップと、そのプレゼンテーションをお楽しみにしてください。詳しい案内はまたします。

                                              

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とにかく生きてみるvs2013年紅白歌合戦を予想するvs90歳まで生きる。

2012年12月26日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトの刑期も終わり、通常の生活に早くなれるように日々リハビリ中というところだが、なんだかんだと言っても時間は過ぎる。いよいよ今年も押し迫ってきた。私のイブは何もない夜だったが、大晦日には、世界経済を動かすほどのセレブがこの紅白歌合戦に大金をかけるのである。これは日本政府もアメリカのCIAも知らないことなのである。
だから・・私は毎年この時間に、一人水割りセットとタバコを持ち込んで部屋に篭るのである。

ある時期から私はある中国系ユダヤ人(食客)の伝でこのシンジュケートの予想屋になった。
それまでは、内緒にしていたが、私は日本野鳥の会の補欠メンバーだった。本大会出場を賭けた予選会ではいつも若干の誤差があり、それは多分太すぎる指がカンターを余計に押すと言う欠点をカバーできなかたからだと思う。そしてそれからは今の紅白歌合戦予想屋として、SINGEN北村として、動からざること山のごとくをモットーに、その予想を続けている。

紅白歌合戦と名の付く限りそれは、勝敗を決するゲームなのである。それは晦日そばとコタツとみかんという典型的日本型の観戦の仕方ではない。なんと言っても一晩に数百ドルが動くのである。
そもそもこのゲームは、ハンディー氏なるものが、紅組に15点とつけたら、白組は15点以上の差がなければ勝てないという仕組みである。そのハンディーは、今は31日の日本時間午後6時に世界各国の超アッパー達に届く。それからスイス世界決済銀行を仲介して大金が賭けられるのである。
私は中国系食客のグループのメイン予想を授かっているのである。毎年、敵はあの世界を牛耳っているロスチャイルド家グループである。

さて2013年紅白歌合戦(RED&WHAITE SONG MACHI GAME 013)である。
ここ最近の傾向であるが、どうもジャニーズ系の演者が多いというか多すぎるのである。
特に今年の白組のトリであるSMAPであるが、目立ったヒットもないので2012スペシャルという、何もスペシャルでないのに、ハンバーグにエビフライ、から揚げのスペシャルランチみたいに、スペシャルをつければいいと言うもんでもないのにとため息がでるくらい期待ができない。
紅組は、いきものがかり・・・・華がたらん!
本来のトリはこの前にでる、北島三郎と石川さゆりとなるのであるが、NHKも30代後半からアラフォーに気を使ったのか情けない話しである。
まず勝ちパターンとしては、第4時間帯からラスト各3組の聞かせる歌手がたたみ掛けるように歌うのがセオリーである。
昔は、台所で用事しているおかあちゃんも、「都はるみ・・出てきたら言うて・・」とか、「やっぱり五木ひろしは上手いなぁ・・」とか言わせやなだめなのであるが、この時間帯のたたみみ込み方が、やっぱし甘いのが気になる。今年で言えば、プリプリのラス前3の「ダイヤモンド」だが、昔のイメージで演っていては身も蓋もない。おばさんになったプリプリの今の姿のバージョンに変えてきたなら、そこに紅組の勝利のチャンスがある。キーはプリプリである。
チェリッシュやトワエモアなどはどっちから出るのか、紅か白かという永遠の哲学論争があるなか、またいつの時代もこの手には困らされる。三輪である。白組からの出場であるが、ひょっとして、あの黄色い髪をばっさと切って、完全男でこの「ヨイトマケの唄」を歌う覚悟があるなら、白組の鼻差の勝利もあるかも知れないが、そこまでするのか?と疑問もある。
また今年のスペシャルあるものは、舘ひろしが、裕次郎の「嵐を呼ぶ男を」歌う。完全に企画ミスである。あるが・・・・ひょっとして石原慎太郎の登場もなきにしもあらずということも考量しておくといい。
またAKBやSKEの扱い方も少々ややっこしい。毎度毎度のスペシャルメドレーでは、得点に貢献できない。だからこそ、他の歌手のバックをやったり、応援コナーに頻繁に顔を出すしか道はないのだが、無勢に多勢といことで賑わいの部分を補うのにはやはまだ必要であるのだが、後半開始から、桃色クロバー、パフューム、AKBと続くあたりに、白組が当てるのが、関ジャニ、TOKIO、コブクロというのでは、白組熱狂ファンらには申し訳ない気がする。

そして・・目玉はだれぞ・・・
はっきり言おう・・由紀さおりである。「夜明けのスキャット」で挑むのだが、今年全米で最もヒットした日本人としてはその扱い(順番)は粗末過ぎるのだ、そしてまたこの曲が、るるるううう・・・ららららあぁ・・・と歌詞がないのである。これはしりとり歌合戦で「る」のつく唄がない時の飛び道具だったのだが、これこそスペシャルバージョンが必要でないかと思う。

さて勝敗だが、紅組29勝、白組33勝の代63回大会である。裏読みであるが、2013年で、紅組30勝に乗せて、63回 紅30勝、白33勝と「3」という数字が気になる。そしてそのハンディーが、紅組にたった5ポイントくらいではないだろうか?

私はあと37年生きるつもりであある。それは紅白歌合戦100回大会を是非この眼で見たいからである。それは古い預言書に書かれてある。
「日の出ずる国の、初日の出の前の紅と白のトリの囀りは、100回目ににしてはじめて同点となるであろう・・ その時その国民は争うことを放棄する・・」

それは、その年・・私がちょうど90歳になるのだ。

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とにかく生きてみるvs深夜バイトを卒業vsそのトラウマ

2012年12月20日 | 自分的エッセー
とにかく生きてみる。奇跡が起こるか、そうでないか?それまでは、とにかく生きてみると
決めたのは今から2年3ヶ月前である。深夜の自転車通勤で使用した自転車3台・・そのうち2台は廃車をした。雨の日も強風の夜も、深夜のカッパ族となって通勤した。
働き始めたころは、千春の「大空と大地の中で・・・』を口ずさみながら漕いだ。
野に育つ花ならば力の限り生きてやれ・・と無我夢中、この先何がおきるかなども考えルことも出来ないまま、慣れない深夜バイトに向かった。
そして先月くらいからは、妙に吉田拓郎の「洛陽」が脳裏に浮かび・・思わず口ずさむ。
「土産にもらったサイコロ二つ・・手の中で振れば、またふりだしに・・」と。

あぁ・・本当に勉強になったというのが実感である。何が?と言われれば「いろいろ・・ある」としか今はいいようがないが、おいおいその経験を記してみたいと思う。
ただ・・私は今の現状をワンアウト、ツゥーアウトを喰らった50才男が、ゲームセットのコールを未だに聞くことに抵抗できている一番の理由は、自分自身を、世間で言う真の失業者と思っていなかったことに帰依する気がする。そもそも働きたいけど、誰かのせいで働けないので、これは間違いである、だから国や自治体がなんとかしろ・・という真性失業者ではなかった。
自分の都合で働けないことや、働くことをしないことを何時も自己責任にしていたのである。「わが身に振りかかかる不幸をすべて自己の責任で引き受けていた・・・」このことのみが2年3ヶ月の間、深夜バイトに向かわした理由だったのではと今は思う。

人生楽ありゃ苦もあるさ・・
人生いろいろ・・・
いつかこの努力が報いますように・・などなどの庶民的な宗教感がやっぱり支えになったことは間違いないと思う。

それでも長い旅を終えることは、それを始めるより難しいということである。
職場にもなれた・・自分の立ち位置も定着してきた。周りからの信頼感も感じることが出来るようになってきたら、其処はいごごちのいい職場になっていたと言うことだ。しかし私のソウルはここに留まることを希望しなかったのである。ただしここを辞めるということは、別のところで、その収入を得る道を確保しておかなければならないのだ。それが見付からない限り、ただの転職では意味がないということも十分理解している。しかし職安も求人サイトもまた同じ旅にでることでしかないような情報ばっかりであるし、自分で始めるには資金も信用もない・・・
自分探しの呑気な逃避行的なバックパッキーな旅に出るほどの余裕も、さらに言うならそんな宇宙からの啓示もなければ、兆候もない。ただ不定期だが、3年くらい続けているブログの更新と、いろいろなジャンルを読みまくった市の図書館の本の数が、なにやらその問題を解決してくれそうな気がするのである。

そう・・・・・・「発信すること」これをキーワードにした
世間の風に乗っていくというビジネスの成功セオリーがある。でももともと風にのることが出来ない天邪鬼体質であるから、それならいっそう風を創ることに今後の人生を賭けてもいいのでは、もっと強く言えば、「ワシがその風吹かしちゃるけん・・・」と叫びたい。
何処かで聞いたせりふだなぁ・・・あの坂本の龍馬ちゃんのようになるぞえ

誰の目からしてもこの2年3ヶ月の間。奇跡は起こらなかったと思うだろう。
しかし私はこの瞬間がまさしく奇跡なのだ。まだ生きている・・まだ何かできる・・
これこそが奇跡なんだと実感する。

来年そうそうから、面白元気企画の飲食店舗が本格的に始動する。
そのプロジェクトにかかわることが出来たことに感謝をする。それが今回の深夜バイト卒業の引き金であることは事実である。しかしそれは単に転職をしただけであると言う簡単な説明では話せない。私の周りの人々が幸せになれるようにと・・言う命題がかかっている。
世界の金融界、マスコミ等を握っているユダヤの人々のソウルアイデンティーティーは、
「その仕事は、大変でございますから、苦労の多い仕事こそ我々(ユダヤ人)が神様からやるように命じられたものです。どうぞ皆様は楽な仕事をしておいてください・・・私がやりますから・・」という下から目線で、責務一杯で生きていくのだそうだ。(ある本で読んだ)
なんとなく心地良い言葉の裏にある頂点で生きる為の老獪さがしみてくる話である。
「私がやらせていただきます・・・どうぞ楽なほうへ・・」と言って生きてやろうか!!

さて・・深夜バイトの卒業だが、クリスマスの連休と大晦日と3元日は、御礼奉公をさせてもらうのだ。だが、もうすでに体は拒否反応をしめす。
昼間自転車を乗っていても、シンドイ辛い感が胸を圧迫する。
いい勉強と引き換えに自転車を乗るとよみがえる深夜バイトの通勤のトラウマ。
思いがけないおつりを貰ったもんだと、涙こぼれそうで苦笑い・・そしてドラマは終わる。








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とにかく生きてみるvsユーミンよ何故?あれを歌わんのだ!!

2012年12月04日 | 自分的エッセー
とにかく生きてみる。深夜バイトの帰りの早朝の中央市場の喫茶店で、ユーミンの40周年記念コンサートの記事を見たのが、10月の終わりである。その頃ブログでユーミンと尾崎亜美と広瀬香美との架空合コン空想短編をアップしたので、結構ユーミンとの距離が、私の勝手であるが、近づいたように思っていたので、早速だめもとでチッケトの応募の電話番号をコピーして、午前10時からの受け付に備えた。50回以上の挑戦に諦めかかった時、奇跡的に繋がったのだ。そしてそこでチケットを4枚手にいれた。
お宝チケットを誰と行くが次の集中する思考となった。
日ごろからお世話になっている方に2枚プレゼントはあっさり決まった。が私の横にくる人が想像できなったのだが、そのお世話になっている方の、女性側のお友達を招待すると言うことで、ユーミンコンサート+女性友達紹介と言う企画が必然的に出来た。
さて・・・そのメンバーであるが、共にユーミンの歌と共に青春時代を過ごしたジャストの年代である。ユーミンのあの頃の歌を聞くとよみがえる青春の日々がよみがえる・・・めちゃくちゃファンではないけど、コンサートがあるなら行ってみたいという感じである。そしてせっかく行くならと、前もって新しくリリースされたユーミンのアルバムまで買って、テンションをあげているその真摯な姿勢は、日ごろの忙しさから少しの間だけでも、あの日に変えれる時間を楽しみにしているのが感じられたし、正しいユーミンコンサートの準備姿勢であることは間違いないのだった。

さて・・・・開演2時間前に大阪国際会議場近くのバールで、お洒落にもワインをあけながら、軽いタパスをつまんでこれから嵌るユーミンワールドとあの時代に戻っていく自分達を
4人がそれぞれに自分史のタイムマシンの調整をわくわくしながらしていた。
あの歌・・・の思い出。この歌で涙したこと、この歌で元気をもらったことなどなど・・を語りながら会場に向かった。
会場は多くの30代以上の人・・特に40代位の女性の姿が多かったのがなんとなく彼女たちも同じ思いであろうことが理解できたし、またそれが嬉しかった。
「みんな・・・年末くらい、ちょっとあの頃に帰ってもいいやん・・・」的思考は間違いなく日ごろ頑張っている人達へのプチクリスマスプレゼントであったはずだった。

開演した。センターに登場したユーミンは、飛行機雲など・・・懐かしい荒井時代の曲を3曲披露した。タイムマシーンはきっちりとその時代に運んでくれそうな正常な運行だった。
そして・・・そこにユーミンのMCが入る。
デビュー前からあこがれていたというプロコロ・ハルム(バンド名)が登場した。
5名のメンバーが紹介されて、3曲を演奏したところで、「ムフフこの辺でユーミンとコラボか?」と思ったのだが、そのまま2曲を演奏した。合計5曲のプロコロ・ハルムの演奏を聞いた。我ら4名・・むちゃくちゃ音楽通でもないし・・ユーミントリビューターでもない。
「何じゃこれは・・」という思いがしてきた。それは隣も方も前の方も会場のほとんどの方も同じであったと思う。
そして訳のわからんまま拍手をしてプロコロ・ハルムが袖に去っていった。
いよいよユーミンのユーミンワールドと期待した。
ダンディライオン、守ってあげたいなど、4曲を歌った。
そして・・またしてもプロコロ・ハルムが登場して、MCをいれながら、ユーミンとコラボをしだした。
はっきり言おう・・・
「その歌知らん・・」のだ。プロコロ・ハルムて誰なんや・・有名な奴らなんか?
ユーミンは憧れの神さとのコラボに涙声になりながら感動していたが・・
「わしは知らんのじゃけぇ・・」「誰なんさぁ・・」と心に動揺と怒りが湧き始めてくるのが判った。私のお世話になった方も、今か今かと「卒業写真」が歌われるの待っている。
またそのお友達方も「あの日に帰りたい・・」を待っている。
私は、今回の企画者として焦りを感じてきている。
プロコロ・ハルムとのコラボが終わり舞台中央でユーミンを真ん中にして肩を組み挨拶をしているのが見える。そして「ありがとうごます・・」と抜かしやがって舞台を去っていく。
そこで・・お決まりの「アンコール、アンコール・・」のコールが響く。
私は生まれてはじめて、アンコールの拍手とコールを命がけで送った。もちろん誰も立たない席でスタンディングした。
「卒業写真」でも「あの日に帰りたい」のどちらかでもいい。
なんなら「やさしさに包まれたなら・・」でもいい。とにかくさっきのバールで話題になった曲を・・どうかお願いしますと・・・祈る。

舞台に照明がついた。
そしてプロコロ・ハルムのメンバーとユーミンが出てきた。
「来い・・来い」プロコロ・ハルムの演奏でユーミンの「卒業写真」のミックスコラボ2012年大阪バージョンか????と期待した。私がプロデューサならこうするだろうから。
しかし・・・歌はプロコロ・ハルムの曲をユーミンが歌ったのだった。

ユーミン・・何故歌わん・・・ワイらはあの日に帰りにきたんや・・・
それなのに何故歌わん・・・ ワイらは中央フリーウエイに憧れたんや・・

ユーミンよ何故?あの歌を歌ってくれんのや・・・




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