気を取り直して、もう少しoutputする。
離婚を決めた時、「0対100であっちが悪い」と思っていた。
そう、私は完全な「被害者」だった。
自分をそうとらえていた。
その時は、それが必要だったんだろう。
そのくやしさで、なんとか踏ん張って、毎日の生活を乗り越えていった。
離婚することによって、何かを失ったと思いたくなかった。
だから、運転免許も取って車も買った。
それまで行けていたところに、ひとりでは行けないということが悔しかったから。
買ったばかりで35年ローンが始まったばかりのマンション。
名義の書き換えも、ローンの借り換えも、全部ひとりで手続きした。
いい加減で根性の無い元だんには出来ないだろう、でも私はひとりで出来るもん!と。
それからしばらくは頑張って頑張って頑張ったなぁ。
ざっくり端折るけど、それからまたいろんなことがあって、
いつの間にかスピリチュアルな道に足を踏み入れて。
いつだったか、「私も悪い」と気がついた。
物事に、0対100はあり得ない。
向こうも悪いけど、こっちも悪い。
0対100が、1対99になり、10対90になり。
30対70くらいになり。
やっぱり、50対50かな、と思うようなり(^^ゞ
途中、自分の方が悪いと思った時期もあった。
こんな自分だったからダメだったんだ、と。
私も加害者だった、ではなく、私が加害者だったと自分を責めたこともある。
でも、結局、どっちもどっちだと思うようになった。
どっちも悪かったよな、と。
何にも考えずに結婚なんかしちゃったんだもん。
そんなふうに納得していた。
うん。
「納得」していたんだ。
「女性性の癒し」というテーマがぽっかりと出てきて、最初は、傷ついた自分、つまり被害者だったかわいそうな自分をあらためて優しく感じてあげるのかなって思った。
でも違う。
一方的に被害者だったわけではなく、被害者でもあり、加害者でもあった。
そう気がついた。
そして、それも違うんだよね。
被害者でも加害者でもない。
ただ、ベストなタイミングで、ベストな人に出会っただけ。
お互いに、あのとき、あのタイミングで必要な人だった。
必要なことが起きただけ。
いいも悪いも無い。
ただ起きたこと。
全ては最善。
・
今まで、「全ては最善」と言っている人に何か違和感を感じていた。
「最善のことが起きている」と言ってそれ以上見ようとしない。
ふたをしてしまっているような。
振り返りも反省もしないで、ただそう言って終わりにしてたら、進歩は無いんじゃないの?って思ったり。
でもどこがどう違うのか、自分の感じるその「違和感」をうまく表現できなかった。
「最善」って、受け入れることなんだよね。
ちゃんと全部味わって。
痛みも苦しさも、嬉しさも楽しさも、全部感じ切って受け入れる。
そうしたら、もうそれを痛みとも喜びとも名づける必要がないことがわかる。
それがただ「最善」ということ。
出来事でも行為でもなく、ただその状態まるごとのことを「最善」と呼ぶのだ。
その強さ、美しさ。
それを、今、感じる。
受け入れるということは、受け身でも弱さでもなく、
積極的で、強く、
そして、豊かで、美しい。
自分の中にあるものが、
さらに強く、さらに豊かになったことを感じる。
その美しさこそが、「女性性」なのだと思う。
離婚を決めた時、「0対100であっちが悪い」と思っていた。
そう、私は完全な「被害者」だった。
自分をそうとらえていた。
その時は、それが必要だったんだろう。
そのくやしさで、なんとか踏ん張って、毎日の生活を乗り越えていった。
離婚することによって、何かを失ったと思いたくなかった。
だから、運転免許も取って車も買った。
それまで行けていたところに、ひとりでは行けないということが悔しかったから。
買ったばかりで35年ローンが始まったばかりのマンション。
名義の書き換えも、ローンの借り換えも、全部ひとりで手続きした。
いい加減で根性の無い元だんには出来ないだろう、でも私はひとりで出来るもん!と。
それからしばらくは頑張って頑張って頑張ったなぁ。
ざっくり端折るけど、それからまたいろんなことがあって、
いつの間にかスピリチュアルな道に足を踏み入れて。
いつだったか、「私も悪い」と気がついた。
物事に、0対100はあり得ない。
向こうも悪いけど、こっちも悪い。
0対100が、1対99になり、10対90になり。
30対70くらいになり。
やっぱり、50対50かな、と思うようなり(^^ゞ
途中、自分の方が悪いと思った時期もあった。
こんな自分だったからダメだったんだ、と。
私も加害者だった、ではなく、私が加害者だったと自分を責めたこともある。
でも、結局、どっちもどっちだと思うようになった。
どっちも悪かったよな、と。
何にも考えずに結婚なんかしちゃったんだもん。
そんなふうに納得していた。
うん。
「納得」していたんだ。
「女性性の癒し」というテーマがぽっかりと出てきて、最初は、傷ついた自分、つまり被害者だったかわいそうな自分をあらためて優しく感じてあげるのかなって思った。
でも違う。
一方的に被害者だったわけではなく、被害者でもあり、加害者でもあった。
そう気がついた。
そして、それも違うんだよね。
被害者でも加害者でもない。
ただ、ベストなタイミングで、ベストな人に出会っただけ。
お互いに、あのとき、あのタイミングで必要な人だった。
必要なことが起きただけ。
いいも悪いも無い。
ただ起きたこと。
全ては最善。
・
今まで、「全ては最善」と言っている人に何か違和感を感じていた。
「最善のことが起きている」と言ってそれ以上見ようとしない。
ふたをしてしまっているような。
振り返りも反省もしないで、ただそう言って終わりにしてたら、進歩は無いんじゃないの?って思ったり。
でもどこがどう違うのか、自分の感じるその「違和感」をうまく表現できなかった。
「最善」って、受け入れることなんだよね。
ちゃんと全部味わって。
痛みも苦しさも、嬉しさも楽しさも、全部感じ切って受け入れる。
そうしたら、もうそれを痛みとも喜びとも名づける必要がないことがわかる。
それがただ「最善」ということ。
出来事でも行為でもなく、ただその状態まるごとのことを「最善」と呼ぶのだ。
その強さ、美しさ。
それを、今、感じる。
受け入れるということは、受け身でも弱さでもなく、
積極的で、強く、
そして、豊かで、美しい。
自分の中にあるものが、
さらに強く、さらに豊かになったことを感じる。
その美しさこそが、「女性性」なのだと思う。
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