鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

チケットの売れ行きは好調のようだが、やや物足らなさを感じた8月納涼歌舞伎第一部

2017-08-13 | Weblog
 12日は東京・銀座の歌舞伎座へ8月の納涼歌舞伎を観賞に行った。今年から3階席で観ることにしていたが、どういうわけかチケット売り出しの日にもうすべて売り切れで、やむなく1階奥の2等席を予約した。開場まもなく歌舞伎座へ行ってみると、観光バスで乗り付けた大勢の観客があふれ返っており、異常な熱気が会場を包んでいた。これといった花形役者のいなくなった歌舞伎がこんなに人気があるのは不思議なことで、永年歌舞伎を観てきた観客の一人として理解を超える。

 午前11時開始の第一部は「刺青奇遇」と題する長谷川伸作の市川中車主演の人情もので、幕開けから江戸郊外の行徳で身投げを図ったお仲を助けた博打好きの半太郎の織り成すひと幕だが、舞台が暗くて見ずらいうえ、旅行帰りの疲れが出て眠りに誘われ、いまひとつ乗り切れなかった。お仲と半太郎は以後所帯を持つが、生来の博打好きがやまない半太郎は相変わらずの貧乏暮らしで、お仲は重い病を患い、医者にも見放されてしまう。それを知ったお仲は賭場から戻った半太郎に右腕に骰子の刺青を彫り、博打をやめるよう懇願する。

 しかし、半太郎は再び賭場へ赴き、イカサマ騒動を起こし、鮫の政五郎親分の前に引き出され、事の次第を聞かれ、病のお仲のために大金を作ろう、と思ったと打ち明ける。委細を知った政五郎は半太郎に丁半博打をすることを勧め、負けて半太郎に大金を与えたところで幕となる。なぜそんな気持ちになったのか、2人のやりとりだけではわからないし、その後半太郎とお仲がどうなったのかもわからない中途半端な幕切れでもあった。

 続く演目は中村勘九郎の子息、勘太郎の演じる「玉兎」と市川猿之助と勘九郎による「団子売」の舞踏で、全体を通じてやや物足りない演し物であった。実は「刺青奇遇」の主役を務めた市川中車がかつて俳優だった香川照之であることを思い出したのは見終わったあとのことで、遠くからではそこまで見分けられなかった。「刺青奇遇」は政五郎親分を演じたのは市川染五郎であったが、出てきたのは終盤の10分足らずで、単なるお付き合い程度の出番でしかなかった。その染五郎が演技を終わって去り際に拍手が起きたが、結局最後まで大向こうから恒例の「高麗屋ーー」の掛け声が掛けられることはなかった。そういえば、幕が開いただけで拍手が起きたり、俳優が登場するだけで拍手が起きていたのはいかに田舎からの客が多いかの証拠で、興ざめした。この日の第一部では最後まで大向こうからの掛け声を聞くことはなく、いかに低調であったか、何よりの明かしではなかろうか。

 歌舞伎を観るということはいわゆるスターの演じる姿に見惚れ、豪華な舞台、衣装に華やかさを感じる楽しみがあるからこそはせ参じる、という側面がある、と思う。ところが、今回の納涼歌舞伎第一部に関してはそのいずれの面でもやや物足らないところがあった。
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