Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

【再掲】東京大空襲の日に、思う

2016-03-10 14:28:08 | 豆大福/トロウ日記
9年前に書いた記事を再掲します。
英語版も同時に載せたのですが、今回は記事を分けて投稿します。
英語版、こちらの日本語版と内容が異なっていますので、そちらの方も読んでくださると嬉しいです。

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62年前の今日は、米軍機B-29約300機が東京の下町を大規模に爆撃し、一夜にして10万人の命を奪った日である。両国の国技館から北へ5分ほどの横網町公園内に、東京大空襲、そして関東大震災で命を落とした人々への追悼の場として、東京都慰霊堂があり、特に東京大空襲の犠牲者に対しては「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」がある。この公園の中に入ると、私は必ずといってよいほど狭心症のような胸の痛さと息苦しさを覚える。比喩で言っているのではない、ほんとうに息苦しくなって、その場にはいられない程になってしまうのだ。

私がそうなってしまうのは、実は慰霊堂の内部でというよりは、公園の北側にある震災復興記念館のちかく、小高く盛り上がったところ、池のあるあたりだ。

ひと晩で10万人が死んだのである。町中に、川面一面に、積み重なった死体。1945年3月はとても寒い異常気象の年で、10日には2,3日前に降った雪がまだかなり残っていたらしい。しかしいくら寒かったとはいえ、もはや誰なのかも分からない焼け焦げた死体は異臭を放ち、そのまま放っとくわけにはいかないのである。そこでさしあたり、その何万もの死体は、付近の公園や広場などのちょっとした広い空間があれば、そこここに仮埋葬された。後にそれらの骨は掘り起こされ、1948より51年にかけて、ようやく現在の慰霊堂のある場所に合同に埋葬されるに至った。私が息苦しさを感じる小高い場所は、それら身元不明の遺骨が実際に埋葬されているところなのである。

おそらく、私の身内の骨もそこに納まっているに違いない。あと1週間ほどすると、彼岸入りである。実際には遺骨が納められていない墓の前で手を合わせるときの方がまだ、冷静な気持ちでお参りができる。大勢の人々と共に実際に埋葬されているであろう場所の横網町公園は、多くの人々のうめきが今なお聞こえてくるようで、私はいてもたってもいられなくなってしまうのである。

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