還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

「ぼくどうして涙が出るの」

2012年08月12日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
1965年に封切りされた映画のタイトルです。
吉永小百合主演の「父と子の歌」という映画との二本立て、夏休みに小学校の校庭にスクリーンを張って開かれた映画会で観た映画でした。
昔は毎年のように、映画を観るイベントが開催されました。
授業の一環で学年全員で映画館に行ったりとか。

で、この「ぼくどうして涙が出るの」・・・内容も出演者もすっかり忘れましたが、映画のタイトルだけは忘れずに覚えていました。
今日何かを検索していてついでに見つけ、ウィキペディアにたどりつき、どんな映画だったのかがわかりました。

最初の数行だけC&Pしますと、
当時20歳の伊藤紀子(主人公)は突然胸の痛みを訴え、僧帽弁閉鎖不全症と診断される。手術をしない場合、余命2、3年と診断されるが病院のベッドに空きがなく、入院すらできない。自暴自棄になる紀子であったが、1962年8月9日に東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所に入院する。

文學(主人公の兄)は紀子の入院をきっかけに肉親の情を強く意識し、毎日仕事の帰りに病室を訪問する。このころから一階下の三階の子供たちと交流し始める。紀子の手術は1962年9月17日と決まり、成功率は「四分六分」と知らされる。
~以下略~

主人公は僧帽弁閉鎖不全症だったのですね。ちなみに実話です。
手術とは年代から推定すると多分人工弁置換術ですが、成功率が四分六分ということはリスクの大きい手術だったのですね。
主人公の兄伊藤文學氏と主人公との共著で、ノンフィクション小説として発行されベストセラーとなり、映画もヒットしました。

当時の心臓手術はまだまだ発展途上で、成功しても10年生きれば良いと医師は言っていたそうです。保険も適用されていませんでした。
さらに調べていくと伊藤文學氏のブログがみつかりました。
ここです。

2012年6月16日の記事に、映画の主人公である妹さんのことが書かれています。


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4 コメント

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心臓弁膜症 (kiyo)
2012-08-13 21:16:51
私が子供の頃は 心臓弁膜症と聞いただけで特別な怖い病気だと思ってました

私は 今医学も進んでる中 治療できるし
こうやって体験記のみなさんとブログで知り合え不安が一つづつ減り 今の時代でよかったなーと感じています

みなさんに感謝です



おはようございます (kiyo)
2012-08-14 07:21:38
了承得る前に ブログへリンクさせて頂きました
毎日拝見させて頂いてます すみません
今の時代で良かった (豆パパ)
2012-08-14 14:40:44
50年以上前に、生母を同じ病気で亡くした私もそう思います。心臓病にもたくさんの種類がありますが、弁膜症という名前だけはずっと覚えていました。

kiyoさんのブログもリンクさせていただきますね。
ありがとうございます (kiyo)
2012-08-15 08:32:36
よろしくお願いします

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