たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

箕輪城攻防 一騎打ち編

2016年11月05日 | 年中行事
一時は敗れた武田軍

武田に寝返った上州の小幡藩と共に夜陰に乗じ再び攻撃を掛けて来るのでした

「皆の者、業政は一筋縄ではいかない武将なり 心して掛れー」






一方、長野軍の剣の達人、上泉伊勢守信綱、藤井豊後守は先頭に立ち剣を振るいます


此処は、かかあ天下の上州 「女とて負けてはおれん、えーやっ!」


少女A 「あれ! 転んじゃった」

少女B 「本当だ お姉ちゃん、やるじゃん!」

ちょちょちょちょっとお二人さん、笑っちゃ駄目でしょ、もっと真剣なお顔でやらないと










お命 頂戴


以下、凄まじい死闘の数々をご覧ください














そして






この戦も武田軍は長野軍には勝てませんでした

時は廻り業政も病には勝てず50代(多分)でこの世を去ります

其れを知った武田信玄がこのチャンスを逃すはずが有りません

直ぐに兵を箕輪城に向けました

(長野業盛、武田勝頼 両者の初陣でした)

業政亡き後の業盛は自ら城門を開け果敢に打って敵を倒します

一方、藤井豊後守は椿砦で勝頼に馬乗りになり首を跳ねんとした時

敵の甘利春吉の槍の一撃に会い無念にも命を失いました

戦況は思わしくなく業盛は「これまで」と覚悟を決め

業政の位牌が祀られる持仏堂で自害したのでした

この時の時世の句が

春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里 だったのです

藤鶴姫は今も残る霊置山で自害

その血が榛名のツツジを今でも真っ赤に染めているのだとか

江戸時代になり箕輪城は和田城(高崎城)に移されたため

名残として西明屋、東明屋と言う地名が今に残されております

終わり

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10 コメント

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凄い、凄い、 (takezii)
2016-11-05 20:10:35
凄いお祭りですね。
まるで 黒澤明監督の映画の如く、
これだけの歴史ドラマを 演出するって 大変なことだと思うんですが。
たか様も 実況中継よろしく 迫力ある映像を捉えられて、
単なるパレード形式のお祭りは 良く有りますが 演技までするお祭りに びっくりです。
いいものを 見せていただき 有難うございます。
これは凄いわ! (越後美人)
2016-11-05 22:25:17
実際の戦のように闘っていますねえ。
それがちゃんと史実に合っていると言うことが、また凄いです。

そして地名の不案内な私にも、分かり易いたかさんの語りで、
すんなりと頭に入って来ました。
たか版「歴史ヒストリア」、素晴らしい出来栄えです(^^♪
此れがお祭りですか。 (アラン大好きおばさん)
2016-11-05 23:14:27
こんばんは。
映画を見ているような気になりました。
どんどんたかさんの解説に導かれて見せて頂いている内に、歴史の流れを知ることが出来ました。
お祭りだったのですね。
こんな実戦さながらのお祭りは 初めてです。
榛名のツツジ、箕輪の地名、素敵な解説で、
ボケボケの私にもよく分かりました。
素敵なお祭りを紹介いただいて、有難う御座います。
お早うございます (延岡の山歩人K)
2016-11-06 06:03:05
皆さん かなり本気モードで真剣に戦ってますね
台本というかストーリーは一応あるのでしょうね
こんなお祭りも珍しいと思います
たかさんのレポ リアルでまるで映画を見ているようです。

中には
童心にかえってチャンバラを楽しんだり
日頃のストレスを発散している方もおられるでしょうね(^o^)
おはよう~♪ (kyoko)
2016-11-06 07:12:27
たかさん
お疲れ様でした(^◇^)
これだけ詳しくレポートするには大変だったでしょう
本当に珍しいお祭りですね
パレードだけのところは大分でもありますが・・すごい!
これは見るだけではなくて参加したくなりますよね
チャンバラなんてなかなかする機会もないし
ましてこの衣装で・・戦国武将の侍になった気分かも!

でも本当は悲しいお話なのかな・・・
takeziiさんへ (たか)
2016-11-06 16:27:47
takeさん、こんにちわ♪

黒沢映画と言えば、ご存知かと思いますがこんな逸話が有ります。
人質になった子供を助ける為に上泉伊勢守信綱は
僧侶に袈裟を借り頭を丸め「お主も子供もお腹が空いているだろう」とを差出し
賊がそのに目を奪われ隙を見せたところを
すかさず取り押さえました。
その様子を見ていた僧侶は感動し貸した袈裟を信綱に与えたと言う話なのですが
これが黒沢監督の映画「七人の侍」のモデルになったと言われています。

その信綱は日本の三流派の一つ陰流の使い手で柳生流もひれ伏したと言う剣豪だったそうです。
  (後に柳生新陰流を成立させたのがこの信綱でした)

また、福田首相は箕輪城の子孫と関わりが有ると言われておりますが
そこのところは私も良くは分かりません。


越後美人さんへ (たか)
2016-11-06 16:38:58
越後美人さん、こんにちわ♪

箕輪城は戦国時代の名城として必ず出てくるお城ですが
幾度となく武田軍が攻めても落とせなかったという史実からして
頷けるものが有りますよね。
ただ江戸時代に全てを高崎に移してしまいましたので
惜しいかな「埋もれた古城」になってしまいました。

たか版「歴史ヒストリア」ですか! 
以前、呼んだ小説「箕輪城攻防」を
思い出しながら書きましたので上手く纏める事が出来ませんでした。
「講釈師、見てきた様な嘘を付き」
という事でどうぞご容赦を。
アラン大好きおばさんへ (たか)
2016-11-06 16:54:32
アラン大好きさん、こんにちわ♪

結構な迫力でしたよ。
戦っている内に槍が折れたり刀が宙に舞ったり
前列の人は相撲では有りませんが
きっと砂被り状態ではなかったかと思います。

私の解説は資料が何も残されていない箕輪城ですので
自分勝手な脚色が織り交ざっておりますが
でも、こうして書いていますと
長野業政像が目の前に浮かんで来る様で楽しくて仕方ありません。
どんなお顔をしていたのでしょうね。
延岡の山歩人Kさんへ (たか)
2016-11-06 17:19:30
Kさん、こんにちわ♪

そうなんです
実戦さながらの闘いぶりでした。
型もなかなか決まっていますよね。

講釈師さんの解説付きでしたが一騎打ちが余りにも迫力があり
戦っているのが誰なのか耳にも入らずカメラで追い続けておりました。
こうした中、笑顔で槍を持つ兵士も御愛嬌で
田舎の祭りっぽくていいものですよね。

箕輪城が落城したのは1566年、今から450年前です。
残された物は古井戸と僅かに残る石垣、空堀だけで
それらも殆ど杉の中に埋もれ見る影も有りませんでしたが
少しずつ整備され今年の11月23日には城門が完成するそうです。

kyokoさんへ (たか)
2016-11-06 17:35:05
kyokoさん、こんにちわ♪

お城祭りと言いますと大体、武者行列ですが
やはり歴史にその名を残す箕輪城
地域振興課の人達も気合いが入ってますよね。
私が今、住んでいるところからは箕輪城を眺める事が出来ます。
という事からして此処でも戦いが繰り広げられていたに違い有りません。

此処に越してきて間もない頃、今では何処の誰かも分からぬ70~80歳位の男性が私の家の前を通りかかり
攻防戦の模様を唾を吐き散らしながら話して下さった事が有りました。
ビデオに撮って置きたいくらいの迫真に迫った演技でした。
あれから30年余り
お元気で有るなら、もう一度、聞いてみたいものです。

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