リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

映画「TONO RISOKUDE GOZARU」

2016-10-31 16:51:17 | NZにて
ハロー!



10月29日から「NEW ZEALAND ASIA PACIFIC FIILM FESTIVAL 2016」(ニュージーランド アジア パシフィック 映画祭)が始まりました。(写真をクリックすると大きくなります)

そして昨日日本からの作品を観に行ってきました。
タイトルは「TONO RISOKUDE GOZARU」というものです。この映画が上映されるということは9月の下旬に知りましたがなかなかタイトルが覚えられませんでした。

日本の方は既にお分かりかと思いますがあの「羽生結弦」さんが殿様役で出演する「殿、利息でござる」というものです。
横文字でタイトルが書かれているので「リソク」という単語が中々頭に入らなくて何かお金に関係するような単語だったな~としか分からないのです。ある日ネットで調べて初めて「利息」とわかりそれからは迷うことなくタイトルが出てきます。漢字を目にするとしっかり記憶に残るものだと改めて日本人ということを意識しました。

この作品は勿論日本語ですが英語の字幕付きでした。最初にこの作品は1770年代の江戸末期における実話ですという案内が表示されました。磯田道史著の「無私の日本人」という本を映画化したものです。

当時の仙台藩の貧しい農民たちが殿様にお金を貸してその利息で村人の生活が少しでも楽になるようにと私欲をなくしてみんなで大金を集めるのです。子々孫々まで繁栄するようにと殿様に直訴するのです。
造り酒屋の「KOKUDA ya」は資材を投げ打って倒産をするのですがお殿様はお金に困っていたのでとても喜びお酒に使ってよいと3種類のお酒に名前をを与えます。
「KOKUDA ya」はまたお酒を造り始めお殿様が命名したお酒ということで売れに売れたそうです。

時代劇につきものの悪代官という人もいなく話せば理解してくれる良い人たちばかりです。お殿様も理解ある方で仙台の人たちは(日本人は)きっとこんな人たちが多いのだろうなと思いました。

終わった時は誰からともなく拍手が沸き起こり私も久しぶりに映画を観て拍手をしました。あちこちで「いい映画だったね~」と感想が聞こえました。

映画に出てくる作り酒屋の「穀田屋」さんは今でもお酒を造っているそうで最後に平成の「穀田屋」さんが写し出されました。

この映画を観て仙台に行ってみたいという声が聞こえました。私もその一人です。
素人の「羽生結弦」さんですが全く違和感なく堂々と殿様役をこなしていました。

久しぶりに感動した! 日でした。

ホームステイのおばさん

2016-10-25 12:48:40 | NZにて
ハロー!

先日一時帰国からNZに戻ってくるときのことです。
飛行機に搭乗すると私の隣の席には私と同じくらいの年齢の日本人女性が座っていました。
何となく不安そうな顔で「こんにちは~。宜しくおねがいします。」と律儀に挨拶をされました。
きっと隣にどんな人が来るのか不安だったんだろうなと思っていると話しかけてきました。

「一つ不安なことがあるのですが・・・。お尋ねしてもよろしいでしょうか? 随分昔、海外旅行に2回ほど行ったことがあるのですが出国カードを書いていたように思うのです。私は今書かないで来てしまったんです。大丈夫でしょうか?」

「大丈夫ですよ。今は出国カードも入国カードも書かないんですよ。入国の時に税関申告書だけを1家族1通だすだけですよ」

彼女はホッとしたようでした。それからしばらくいろいろ話をして時間をつぶしました。
彼女は60才を過ぎているそうですがこれから単身でホームステイをするためにNZに行くとのことでした。
少しでも英語が話せたらいいなと思いそれならホームステイが手っ取り早いかなと思ったそうです。
ネットでいろいろ調べNZならば近いし年配の人でもホームステイを受け入れてくれるというのがわかり、自分の条件も細かく伝え(京都にある代理店で日本語でメールのやり取りが可能だったとか)納得して1週間だけのホームステイなんだそうです。

自分は英語がほとんどわからないので初級から習いたいと申し出たところ教師をリタイアした70才代の女性を紹介してくれたそうです。
子供が4人いるが皆結婚して独立したので部屋が空いている、その一部屋を提供する、午前中3時間勉強し後は自由時間、食事は3食提供すると申し出があったそうです。
料金は聞きそびれてしまいましたが彼女の一歩踏み出す勇気に凄い人だなと思いました。

ちょっと聞いただけですが英語は本当に単語だけという感じで飲み物を頼むときも「おちゃ」とだけ言っていたりコーヒーを飲みたいけれどいまいち言えないところがあり私がコーヒーをお願いした時聞いてみると自分も飲みたいというのでCAにお願いしたら「凄いですね~、英語使いこなしていますね~」と褒められたりしたので謙遜ではなく本当に初心者なのだと思いましたがそれにしても凄い勇気ですよね。

NZに入国の時の税関申告書を書くときも少し教えてあげました。
風邪薬と酔い止めを持っているそうですが市販薬なので軽く考え持っていないと申告していましたがここは「持っている」と申告しないと罰金最低でも400NZ$(約3万円以上)をその場で取られますので気を付けてくださいとアドバイスしメディスンの所に〇をつけてもらいました。

飛行機を降りる時「頑張ってください」とお別れの挨拶をしたのですが入国後ロビーを不安そうな顔で何かを探しているようだったので「どうしました?」と声をかけてみました。
彼女は国内線を乗り継いでクライストチャーチに行くことは聞いていましたが日本で乗り継ぎのチェックインは済ませているのだけれど荷物を預けるところがわからないというので一緒に探したけれど見つかりません。
税関を通った後に乗り継ぎ客の荷物を預けるところがあったのではないかと思われますが既に外に出てしまっているのでそのまま国内線ターミナル(隣の建物)に行き昔のチェックイン カウンターの所で荷物を預けるようにとアドバイスしました。
現在のチェックインは全てセルフ チェックインなのでそれを済ませて昔のチェックインカウンターに行くと荷物を預かってくれるようになっています。

日本も最近自動チェックインを使っているところもありますがNZ航空では全て機械で自分でチェックインをしますが必ず傍に係りの人がいるのでそれほど心配することはありません。それに言語も選べるのでまず最初に日本語を選択すると全て日本語で案内が表示されます。

NZにおこしの際は税関申告をきちんと書いてください。とても厳しいので。(検査の人により厳しかったり甘かったりと言う人もいますが)









戻ってきました

2016-10-21 14:08:50 | NZにて
ハロー!

19日早朝無事NZに戻ってきました。
3週間という日々が経っているのにそれ程春を感じることもなく肌寒い朝でした。気温15℃、曇り空でした。

慌ただしかった今回の日本での生活でしたが孫にも会うことができ運動会や祖父母参観なども予定されていて参観できたのが何よりの癒しでした。

九州では母に会い一緒にホテルに泊まったのですがいつもとそれ程変化はないようでしたが私がNZに行っていることは既に忘れてしまったのか一言もNZについて問うこともなく「娘が東京から来た」と周りの人には言っていました。

東京に戻り病院に行っているとき母から何度も着信が残っていたので夜電話をしても怒っているのか電話に出ることもなく、翌日施設の方に電話をすると私が帰ってから急に体調を悪くしていてご飯も食べないとのことで午後から病院に連れて行く予定とのことでした。(気に入らないことがあるとご飯を食べないことが多くスタッフの方たちを困らせるのが常のようです)
その後電話をしても会話にならず「げんき~?」「あ~」「具合悪いの~?」「あ~」という感じです。

最後に飛行場から搭乗直前に電話。「今からNZに帰るからね」「???(何かのスイッチが入った感じ)」「もう時間がないから電話切るね」「あっ、元気でね!」最後は元気な声でした。(もしかしてまた仮病?と娘は思いました)

3週間の滞在でしたが東京にいたのは病院行きの時だけ、通算8日間だけでした。息子ともゆっくり話をすることもなく本当に慌ただしかったのですが生きているということを実感する日々でした。

孫パワーなのかホームシックにかかったかのように今は早く日本に帰りたい気持ちが山々です。

また図書館通いを始めましょう! と言い聞かせています。