ある中学生のお嬢さんのお話です。
そのお嬢さんは、小学校から私立の一貫校に学び、さまざまな意味で恵まれた家庭に育つ幸せなお嬢さんでした。
でも、そのお嬢さんには、たった一つ、どうしても許せない・・・納得のできない・・・上手く言葉では言い表せないけれど、「耐え難い、悲しいこと」がありました。
それは、彼女のお母さんが、お昼のお弁当のときに使う「ナプキン(布製のランチマット)」を、頻繁に入れ忘れること、でした。
彼女は、お母さんが入れ忘れるたびに・・・
「ママ、今日もナプキン、忘れてたわよ
」
と話したそうです。
お母さんは、娘のその言葉を聞き、いつも。
「まあ、そうだったわね
いやだわー、ママったら
」と悪びれずに笑った・・・
けれど。
彼女には、それが耐えがたく・・・とても、とても悲しいこと、だったのでした。
ママは・・・どうしてママは・・・私が何度も何度も「ナプキン、必ず入れてね!忘れないでね!」と言うのに、いとも簡単に忘れちゃうの?
ママは・・・どうしてママは・・・私がお弁当の包みを開くたびに、そこに「入っていない」ナプキンに落胆する気持ちを、知ろうとしてくれないの?
ママ・・・私はね・・・ママが朝、とっても慌しい中で、私のお弁当を作ってくれていることに感謝しているの。幼稚園の頃からずっと、お仕事にでかける前の時間、ママが、どんなに忙しい思いをして、私のお弁当を作ってくれていたか・・・
でもね・・・ママが私のために買ってきてくれる何枚ものかわいいランチ用のナプキンを、朝、私のために選んで、そして入れて欲しかったの!
なんでかわかんない・・・でも、ナプキンを買ってくるだけじゃなくて、私がお弁当の包みを開けるときのことを思って、私のために、今日の1枚を選んで、入れて欲しかったのよ、ママ・・・
私は、このお嬢さんの気持ちを思い、泣けました。
「今日はママ、忘れてないかな?・・・ママ、入れてくれてるかな?」
そう思いながら、きっと毎日、お嬢さんはお弁当の包みを前にして、ドキドキとしていたのでしょう。
あるとき、私がこの話しをしたら、一人のお母さんは呆れ顔でおっしゃいました。
「いったい、この子は何歳なの?ナプキンくらい、自分で入れればいいじゃないの!お母さんが忙しいこともわかっているわけだし、そんなにしつこくこだわらなくてもいいんじゃないの?むしろ、この子は、ママに対して意地悪じゃないかと思っちゃう・・・いつまでも、甘えたことを言うんじゃないわよ、本当に・・・」
このお母さんの言葉にも、確かに一理あります。その通りですね。ママは忘れんぼうだから、これからは自分で入れることにしよう!と決めれば、ことは簡単に解決する・・・
けれど、これは、話しの論点が違うのです
思春期真っ只中。多感な、むずかしい時期にいたこの子は、「ナプキン」に願掛けをするような思いを持って、そこで、母親の愛情を再確認したかったのでしょう。
むしろ、お母さんの忙しさを十分に理解し、そのことに深い感謝の念がある子だったからこそ、些細なこととは言え、この子は、ナプキンに母親の愛情の重さのようなものを感じずにはいられなかった・・・
この呆れ顔のお母さんがおっしゃるように、この子は、もちろん毎日、お母さんが買ってきてくださるかわいいナプキンを、自分で1枚選び、お母さんが出勤前の忙しい時間に作ってくださったお弁当の包みの中に入れて、登校することは簡単です。
けれど、この子は、そうはしたくなかったのです。
この子が悲しかったことは、「お母さんが、自分の期待の重さを感じていないこと」だったでしょう。
「ママ、必ず入れてね
」と、かなり悲壮な願いを込めて語っていることを、感じて欲しかったのです。
この母子の温度差が、ボタンの掛け違いとなって、どんどんと深く、埋めがたい溝となっていくのです・・・
もとは、それほど大きな問題ではないのに、なぜか時間が経過するとともに、とんでもなく大きなシコリとなったり、溝となったりして、子どもに耐え難い苦痛を与えること・・・こういうことは、少なくはありません。
親子のあたたかい関係は、合理的に、頭で考えるのではなく、心で聞き、心で語る親のしなやかな愛情あってこそ・・・
そう思っています。
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです
「まどか先生の相談室」は、こちらから。
そのお嬢さんは、小学校から私立の一貫校に学び、さまざまな意味で恵まれた家庭に育つ幸せなお嬢さんでした。
でも、そのお嬢さんには、たった一つ、どうしても許せない・・・納得のできない・・・上手く言葉では言い表せないけれど、「耐え難い、悲しいこと」がありました。
それは、彼女のお母さんが、お昼のお弁当のときに使う「ナプキン(布製のランチマット)」を、頻繁に入れ忘れること、でした。
彼女は、お母さんが入れ忘れるたびに・・・
「ママ、今日もナプキン、忘れてたわよ
」と話したそうです。
お母さんは、娘のその言葉を聞き、いつも。
「まあ、そうだったわね
いやだわー、ママったら
」と悪びれずに笑った・・・けれど。
彼女には、それが耐えがたく・・・とても、とても悲しいこと、だったのでした。
ママは・・・どうしてママは・・・私が何度も何度も「ナプキン、必ず入れてね!忘れないでね!」と言うのに、いとも簡単に忘れちゃうの?
ママは・・・どうしてママは・・・私がお弁当の包みを開くたびに、そこに「入っていない」ナプキンに落胆する気持ちを、知ろうとしてくれないの?
ママ・・・私はね・・・ママが朝、とっても慌しい中で、私のお弁当を作ってくれていることに感謝しているの。幼稚園の頃からずっと、お仕事にでかける前の時間、ママが、どんなに忙しい思いをして、私のお弁当を作ってくれていたか・・・でもね・・・ママが私のために買ってきてくれる何枚ものかわいいランチ用のナプキンを、朝、私のために選んで、そして入れて欲しかったの!
なんでかわかんない・・・でも、ナプキンを買ってくるだけじゃなくて、私がお弁当の包みを開けるときのことを思って、私のために、今日の1枚を選んで、入れて欲しかったのよ、ママ・・・
私は、このお嬢さんの気持ちを思い、泣けました。
「今日はママ、忘れてないかな?・・・ママ、入れてくれてるかな?」
そう思いながら、きっと毎日、お嬢さんはお弁当の包みを前にして、ドキドキとしていたのでしょう。
あるとき、私がこの話しをしたら、一人のお母さんは呆れ顔でおっしゃいました。
「いったい、この子は何歳なの?ナプキンくらい、自分で入れればいいじゃないの!お母さんが忙しいこともわかっているわけだし、そんなにしつこくこだわらなくてもいいんじゃないの?むしろ、この子は、ママに対して意地悪じゃないかと思っちゃう・・・いつまでも、甘えたことを言うんじゃないわよ、本当に・・・」
このお母さんの言葉にも、確かに一理あります。その通りですね。ママは忘れんぼうだから、これからは自分で入れることにしよう!と決めれば、ことは簡単に解決する・・・
けれど、これは、話しの論点が違うのです

思春期真っ只中。多感な、むずかしい時期にいたこの子は、「ナプキン」に願掛けをするような思いを持って、そこで、母親の愛情を再確認したかったのでしょう。
むしろ、お母さんの忙しさを十分に理解し、そのことに深い感謝の念がある子だったからこそ、些細なこととは言え、この子は、ナプキンに母親の愛情の重さのようなものを感じずにはいられなかった・・・
この呆れ顔のお母さんがおっしゃるように、この子は、もちろん毎日、お母さんが買ってきてくださるかわいいナプキンを、自分で1枚選び、お母さんが出勤前の忙しい時間に作ってくださったお弁当の包みの中に入れて、登校することは簡単です。
けれど、この子は、そうはしたくなかったのです。
この子が悲しかったことは、「お母さんが、自分の期待の重さを感じていないこと」だったでしょう。
「ママ、必ず入れてね
」と、かなり悲壮な願いを込めて語っていることを、感じて欲しかったのです。この母子の温度差が、ボタンの掛け違いとなって、どんどんと深く、埋めがたい溝となっていくのです・・・
もとは、それほど大きな問題ではないのに、なぜか時間が経過するとともに、とんでもなく大きなシコリとなったり、溝となったりして、子どもに耐え難い苦痛を与えること・・・こういうことは、少なくはありません。
親子のあたたかい関係は、合理的に、頭で考えるのではなく、心で聞き、心で語る親のしなやかな愛情あってこそ・・・
そう思っています。
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。










