マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

 三つの選択

2014年07月26日 | キリスト教


「 しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、

               なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」

                                                           伝道者の書  2:11

自分の人生、どう使おうと勝手だ。そう、その通りですか゛。全てが自分のためになるとは、限らないのです。

人の現在の生き方を、決めるものは、その人の未来観でしょう。神か、富か、どちらを取ると言われたら、多くの人は富のほうに手を出すことでしょう。ま

だ、富のはかなさを知らないからではないからでしょうか。富は、永遠にはあなたのものとはならないのです。そのことは十分に知っているはずなのに、

この世での刹那的なひと時に人生を求めてしまう。弱いわたしたちです。


 三つの選択

 この世においてか ・・・・ 。

 あの世においてか ・・・・ 。

 この世も、あの世においてもか ・・・・ 。


主イエス・キリストを信じる者には、今も、また来る日においても、全て満たされるのです。少し、虫のいい話に思われるでしょうが、私たちはこれを事実

とし受け入れています。

あなたはどちらに賭けられるでしょうか、あなた次第です ・・・・ が。
 

イエス・キリストの教会はあなたに永遠の希望を提供しています。

「 すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。

    私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。」     Ⅰコリント  6:12

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来なさい

2014年07月19日 | 聖書

すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」   出エジプト  33:14


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。   マタイ  11:28

私は、見下ろしてみている。
主は私を見上げて、「 さあ。来なさい 」 と。
愛の慈しみに満ちた瞳で私を下から見上げている。
どうしょう。踏み出せば良いだけの事なのに、
何かが、私を後ろに尻込みさせる。
それは、私の自我か。自分は汚れていない、とうそぶく、自分を覆い隠す自分がいる。
それも、主は承知の上で、たらいに水を入れて待ってくれている、なんと感謝な事でしょう。
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労苦とは

2014年07月12日 | 聖書

 

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

                                           マタイの福音書  6章 34節

 この不安定な時代、確実なものを見出しにくい時代。明日の事に思いを馳せ、思い煩いやすい者です。

 思い煩いの原因それは、恐れるということでしょう。ではその原因とは何でしょうか。

     40 パーセントが、これから起ころうとすること。
     30 パーセントが、過去にあったこと。
     12 パーセントが、有りもしないこと。
     あとの残りが、人間関係です。   以上が、恐れの原因でしょう。
 

私たちは、一日一日の積み重ねが、一年であり、一年一年の積み重ねが。一生であるという、厳粛な事実を意外に忘れられているのではないでしょうか。

その日をどのように過ごすかは、その人の人生をも変えていくのです。祝福も、災いも同じ24時間からなっています。この一日をシッカリと受け止め、意

義ある一生にして生きたいものです。

私たちは今日まで、耐えられないと思うことを、よく耐え、出来ないと思うことを、何とか遣り抜き、もう駄目と思うときにも、どうにか生き抜いてきたので

す。ですから、思い煩いは不必要です。

それでも、思い煩い苦しいときには、近くの主イエス・キリストの教会へお出かけください。きっと、楽になると思います。

 

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私に御顔を

2014年07月05日 | 聖書


私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。

御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を 向け、私をあわれんでください。
                                                                                                                     

                                                                詩篇 119 篇 131~132

「私をあわれんでください」 としか言えないような、心も肉体も疲れ果てている者にとっての、ただ一人の理解者であり慰め主をあなたは知っておられます

か。このお方に心を向けるとき、全てが始まるのです。少し時間がかかるかもしれませんが、主は必ずあなたを顧みて下さます。

すべての傷付けられた魂、と傷付けたゆえに苦しむ魂が。この主に出会われますように。主はあなたたちを招いておられます。心の底から全てを投げ打っ

て主のみ前に出られますように。 
 

                                                                    主の平安がありますように。 シャローム。 そして マラナ・タ

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